JOG(909) 天皇陛下の執刀医、天野篤の「医師道」
なんとしても患者を救うという使命感と報恩の心が「医師道」の原動力。
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■1.「天皇陛下がご健康になれば、国民も喜ぶ。みんなが元気になる」
近年の医学の発達ぶりには驚かされる。78歳の天皇陛下が心臓手術を受けられたのが平成24(2012)年2月18日。3月4日に退院された陛下は、3月11日には東日本大震災一周年追悼式にご出席、5月16日からはロンドンでの英女王ご即位60周年の式典に参加されるというご活躍ぶりだ。
陛下のご病気は、心臓を取り囲むように走って心筋に酸素を供給する冠動脈が流れにくくなり、胸が締め付けられるように痛む狭心症だった。手術はその冠動脈に別の血管をバイパスとして繋いで血流を良くするというもので、日本屈指の心臓外科医と言われる順天堂大学医学部の天野篤(あまの・あつし)教授が担当した。
天野医師は手術後に、バイパスの血流が勢いよく流れた瞬間に「自分としても、このうえなく満足のいく結果だった」と述懐している。
退院の直前には、陛下にこう申し上げた。
傍らにおられた皇后陛下が、「それはようございましたね」と、嬉しそうに言われた。
天野医師が、手術の翌日、新宿方面に出かけ、帰り道、病院で当直をしている医師たちにお弁当を買っていこうとデパートの食品売り場に立ち寄ったら、知らない人から次々と声をかけられた。「先生、ご苦労様でした」「ありがとうございました」
「天皇陛下がご健康になれば、国民も喜ぶ。みんなが元気になる」ということを身をもって実感したという。
■2.宮本武蔵を彷彿とさせる
天野医師の著書『一途一心、命をつなぐ』[1]を読んだ旧知の先生から、次のような便りが寄せられたという。
確かに天野医師の技術の追求の姿は、宮本武蔵を彷彿とさせる。たとえば、天野医師はオフポンプ手術という手法を日本に導入したパイオニアである。従来は手術の際に心臓を一旦止め、その間は人工心肺装置を使って血液を送り込んでいた。
オフポンプ手術とは、人工心肺装置を使わずに、心臓を動かしたままで手術をする手法である。これにより、患者の負担が軽くなり術後の回復が早くなる、脳梗塞などの合併症が起こるリスクも低くなり、高齢者や持病のある人への手術も可能となる。
しかし、心臓を動かしたまま、その表面に張り付いた冠動脈に別の血管を繋ぐには高度な腕がいる。
吉川英治の描く『宮本武蔵』では蠅を箸で捕まえるシーンが出てくるが、それを思い起こさせる話である。
■3.「心臓外科手術は決闘」
宮本武蔵は29歳までに60余回の決闘をして、一度も負けなかったという。天野医師はこう語る。
外科手術は閻魔さまとの決闘だ。剣豪が決闘に負ければ自らの命が失われるが、心臓外科医が負けたら、患者の命は閻魔さまに持って行かれる。剣豪の決闘も心臓外科手術も真剣勝負である。
だから天野医師は手術件数と手術死亡率にこだわる。手術件数が多いことは、それだけ多くの人々の命を救う決闘の回数だし、手術死亡率を減らすことは、閻魔さまに対する勝利を増やすことだ。
心臓外科医として25年余りで、6千人を超える患者の手術をしてきた。その中で50人ほどは命を助けられなかった。
■4.つねに「完璧な完成度」を目指す
決闘に勝つためにも、天野医師の日頃の修練は凄まじい。たとえば、手術での糸結び。若い頃に、正確で速い糸結びが重要と教わって、暇さえあれば糸結びの練習をした。1分間に90回、繰り返し結ぶことができるようになった。それも患者の体内の深い所での結び方、片手しか入らない時に行う結び方など、さまざまな状況での結び方がある。
しかし6千人以上も手術をしても、技術を磨く道には行き止まりはない。
前述のオフポンプ手術も、こういう日頃の技の追求からもたらされたものだろう。
天野医師は、他科の先生から「手術、飽きないの?」とよく聞かれる。すると「飽きることはありません」と即座に答える。
一人でも多くの患者を救うために「完璧な完成度」を求め続ける一途な姿勢が、宮本武蔵のような求道者を思わせるのだろう。
■5.武士道と「医師道」
「武士道という言葉があるように、私は『医師道』というものもあると信じている」と天野医師は語る。[2,p13]
毎日、手術に取り組む天野医師は、毎日が「いざ、鎌倉」である。まさに常住戦場だ。毎日、助けを求めてやってくる患者をいかに助けるか、その使命感があるからこそ、「完璧な完成度」を求めて技を磨くのである。
■6.「父を引っ張っていった閻魔さまと戦ってやる」
こうした使命感を持つに至ったのは、若い頃に父親を心臓弁膜症で亡くした体験からである。父親は3回の手術を受け、その3回目の手術でトラブルが重なり、天野医師の目の前で亡くなった。
3回目の手術は父親の家に近い病院で受けたのだが、心臓を補助していた人口心肺装置が外せなくなったり、下半身への血流が途絶えたりと、心臓の手術をする上で、「これだけはしてはいけない」というようなトラブルが、5つも6つも立て続けに起こった。
■7.「自分が受けた恩恵を世の中に返したい」
医師道のもう一つの原動力は「自分が受けた恩恵を世の中に返したい」という報恩の心である。
しかも、医師になる過程で家族や世の中から多大の恩恵を受けている。親に育てられ、学校の教師から教わり、大学では、国立大学はもちろん私立大学の医学部も、国から相当の助成を受けている。
医師となってからも、恩師や先輩医師、そして患者からも様々に教えられ、諭され、叱られ、励まされて、一人前に育っていく。自らが受けた恩恵を広く世の中に返したい、という初心があれは、情熱は自然と出てくる、と言う。
■8.「世のため人のためになってこそ価値がある」
使命感と報恩の心で世のため人のために尽くしていく。その道は「医師道」に限らないと天野医師は考える。
たとえば、東日本大震災では自衛隊員、消防隊員は言うに及ばず、スーパーのおばさんから宅配便のお兄さんまで、一刻も早く住民の生活を再建しようと、それぞれの場で立派な働きをした。[a]
日頃から使命感と報恩の心で、それぞれの仕事に取り組んでいるからこそ、大震災という「いざ鎌倉」に際して、大きな力を発揮できたのである。
医師道に限らず、どんな職業も「道」だと考え、そこで自らの技量を磨き、世のため人のために尽くしていこうと志すのが、わが国の伝統的な職業観である。この職業観は、当人に使命感とやりがいを与えるだけでなく、互いへの思いやりに満ちた世の中をつくる。医師道を行く天野医師の生き方はその模範を示している。
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a.
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
1. 天野篤『一途一心、命をつなぐ』★★★、飛鳥新社、H24
2.天野篤『熱く生きる』★★★、セブン&アイ出版、H26
■おたより
■編集長・伊勢雅臣より
確かに、相手を選べない分、天野医師の方が大変ですね。