JOG(890) 朝日新聞の「従軍慰安婦」報道小史
「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」という朝日新聞の「姿勢」とは?
■1.「これからも変わらない姿勢で」
平成26(2014)年8月5日、朝日新聞の朝刊は「慰安婦問題の本質 直視を」という見出しの記事を掲載した。なかほどに見開き2ページもの「慰安婦問題を考える(上)」と題した特集記事を置き、翌日「(下)」を載せた。(以下「2014特集記事」と呼ぶ)
朝日が慰安婦問題の「誤報」を明らかにしたということで、大騒ぎの発端となった記事だが、タイトルからはそんな内容とは窺い知れない。実際、取り消したのはごく一部の記事であり、最後は「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」と結んでいる。
反省も謝罪もなく、今までの姿勢を継続していく、という決意表明なのである。それがどのような姿勢なのか、本稿では、今までの朝日の報道を時系列に概観して、読者各位の判断に供したい。
■2.1982年、「慰安婦強制連行」の「動員指揮官」吉田清治
朝日の慰安婦報道は、昭和57(1982)年に始まった[a]。9月2日朝刊の社会面で、「慰安婦強制連行」の「動員指揮官」だったという「著述家・吉田清治氏」の証言を大きく取り上げている。「朝鮮の女性 私も連行」「暴行加え無理やり」「元動員指揮官が証言」という見出しをつけ、次のように報じた。
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朝鮮人男性の抵抗に備えるため完全武装の日本兵10人が同行した。集落を見つけると、まず兵士が包囲する。続いて吉田さんの部下9人が一斉に突入する。若い女性の手をねじあげ路地にひきずり出す。こうして女性たちはつぎつぎにホロのついたトラックに押し込められた。連行の途中、兵士たちがホロの中に飛び込んで集団暴行した。[1,p26]
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翌1983年7月に、ほぼ同じような内容で、吉田清治の著作『私の戦争犯罪 朝鮮人強制連行』(三一書房)が出版された。慰安婦問題に精しい西岡力(つとむ)東京基督教大学教授は「吉田氏を世に出したのは朝日新聞だ。彼の証言に権威をつけた。朝日新聞の責任は大きい」と指摘する。[1,p27]
朝日は1997年までの15年間で、少なくとも16回にわたり吉田証言を取り上げた。たとえば1991年5月22日には連載企画「手紙 女たちの太平洋戦争」の一環として、「従軍慰安婦」「木剣ふるい無理やり動員」「加害者側の証言 記録必要と執筆」の見出しで吉田の証言を写真付きで掲載した。
吉田証言以外の「慰安婦」報道も含めると、データベース調査では1985年から90年までに朝日は54件の報道をしており、読売、毎日、NHKも含めた合計72本のうち75%を占めていた。まさに「従軍慰安婦」報道は朝日の独壇場だった。[2]
■3.1991年8月11日 「元朝鮮人従軍慰安婦」証言報道
1991年から93年にかけて、朝日は「従軍慰安婦」問題で一大キャンペーンを展開する。慰安婦報道記事は、それまでは年平均10件以下だったのに、91年150件、92年725件、93年424件と毎日のように報道を始める。それに煽られて読売、毎日、NHKも含めた合計では、それぞれ252件、1730件、1029件と爆発的に増加した。
91年からのキャンペーンの第一弾は、同年8月11日、韓国在住の元慰安婦の証言を、「思い出すと今も涙 元朝鮮人従軍慰安婦」「戦後半世紀 重い口開く」という見出しで掲載した記事だった。元慰安婦がメディアで証言したのは初めてで、大きな反響を呼んだ「スクープ」記事だった。[a]
この記事で朝日は、元慰安婦が「女子挺身隊」の名で「17歳の時、だまされて慰安婦にされた。2,300人の部隊がいる中国南部の慰安所に連れていかれた」と報じた。
しかし4日後の8月15日、韓国のハンギョレ新聞は、この元慰安婦・金学順さんがソウル市内で行った記者会見に基づき、こう紹介した。
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生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキーセン検番(養成所)に売られていった。3年後の検番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、キーセン検番の養父に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊の前だった。[1,p54]
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金さんらは、同年12月に日本政府を相手に国家賠償請求を求める裁判を起こしたが、その訴状にも「親によって売られた」事が書かれていた。
■4.「母親に売られ、養父に連れられて行った」事を隠して
金学順さん自身の「母親に売られ、養父に連れられて行った」という証言にも関わらず、朝日はそれには触れずに、「強制連行」されたかのような報道を続けた。たとえば91年12月25日の記事にはこうある。
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「そこへ行けば金もうけができる」。こんな話を地区の仕事をしている人に言われました。・・・近くの友人と2人、誘いに乗りました。」
「平壌駅から軍人たちと一緒の列車に乗せられ、3日間、北京を経て、小さな集落に連れていかれました。・・・私と、友人は将校のような人に、中国人が使っていた空き家の暗い部屋に閉じ込められたのです。」[1,p56]
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この記事だけ読めば、いかにも金さんは日本軍に強制連行されたように思い込む読者も少なくないだろう。「地区の仕事をしている人」では官憲のようだし「軍人たちと一緒の列車」では、いかにも軍に移送されたように読める。しかし誘ったのも、連れていったのも養父なのだ。
この記事を書いたのは植村隆記者で、前節の国家賠償請求訴訟を起こした「太平洋戦争犠牲者遺族会」の会長の娘と結婚している。当然、金さんの記者会見や訴状の内容も知っていたはずで、「親に売られた」事を隠して、「強制連行」されたかのような記事を意図的に書き続けていたのである。
これらの記事を当時から「捏造記事と言っても過言ではない」と批判した西岡力教授を、植村は今になって名誉毀損で訴えたが、2021年に最高裁で敗訴が確定している。
なお、朝日の「2014特集記事」では、植村の記事に関しては訂正していない。「吉田証言」なら、社外の人間に騙されたと言い訳もできるが、自社の記者が捏造報道を行った事を認めては、インパクトが大きすぎる、と判断したのではないか、との憶測がある。
■5.92年1月 「慰安所 軍関与示す資料」
「従軍慰安婦」キャンペーンの第2弾が、92年1月11日に、1面トップで「慰安所 軍関与示す資料」と報じた記事だった。
内容は、悪徳業者が女性を騙したり、誘拐したりする問題が多発しているので、「業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ」という陸軍省の慰安所に対する通知だった。「軍による強制連行」とは正反対の人道的な「関与」である。
しかし、この記事が宮沢首相訪韓の5日前に発表されたことにより、ソウル市内で抗議・糾弾のデモや集会が相次ぐ事態となり、宮沢首相は何度も謝罪をするはめになった。
「2014特集記事」では「首相の訪韓時期を狙ったわけではありません」と述べているが、そもそも1月11日の記事で「宮沢首相の16日からの訪韓でも深刻な課題を背負わされることになる」と書いており、同記事はそういう事態を予測していたのである。[1,p83]
さらに朝日は翌日の社説で、戦地での慰安所の設置・運営に軍が関与していたことは「いわば周知のことであり、今回の資料もその意味では驚くに値しない」と述べている。[1,p60]
周知の事実を、わざわざ首相訪韓の5日前に、さも大スクープであるかのように一面トップで取り上げて、予想通りの「深刻な課題」を背負わしたのである。
■6.1992年 産経、現地調査で「吉田証言」への疑惑
朝日の91~93年の「従軍慰安婦」キャンペーンが奏功して、日韓の外交問題にまで発展すると、他紙もこの問題をとりあげるようになる。
吉田証言に関しては、読者から「そんなことは見たことも聞いたこともない」「もし事実だとしても、それは例外で、一般化するのは不当である」という投書が相次いだという。
1992年3月3日夕刊のコラム「窓」はそのような投書に対して、「知りたくない、信じたくないことがある。だが、その思いと格闘しないことには、歴史は残せない」と書いた。[1,p29]
「強制連行」が事実かどうか、という読者からの問題提起に対して、「知りたくない、信じたくない」から、そんな事を言うのだろう、それではダメだ、という頭ごなしのお説教である。
しかし、事実の検証に乗り出した新聞があった。現代史家の秦郁彦氏による済州島での現地調査結果を、産経が1992年4月30日に報道した。そこでは吉田の著作に関する地元の「済州新聞」の89年8月14日の記事が引用されている。
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島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著作の信ぴょう性に対して強い疑問をなげかけている。
城山浦の住民チョン・オク・タンさん(85歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時そんな事実はなかった」と語った。
郷土史家の金奉玉氏は「1983年に日本語版が出てから、何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨している。[1,p34]
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■7.1997年、吉田証言の「真偽は確認できない」
この産経記事は、朝日の報道にも影響を与えた。「2014特集記事」によれば、この産経記事の直後、朝日の社会部記者が、デスクから指示されて吉田に対して、裏付けのための関係者の紹介やデータの提供を求めたが、「拒まれた」という。
また、「軍関与資料」報道から引き起こされた日韓外交問題に関して、1992年7月6日には、慰安婦に関する日本政府による初めての調査結果が発表され、慰安婦強制連行を裏付ける資料が見つからなかったことも明らかにされた。
しかし、この政府調査結果に関しても、1993年3月20日社説で次のように「負け惜しみ」のような言い訳を述べている。
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朝鮮半島からの労働者の強制連行があったのに、慰安婦についてだけは、強制がなかったと考えるのは不自然だろう。敗戦時に焼却された文書は少なくないはずだし、文書に「強制徴用」の事実を明記するのは避けた事も考えられる。[2]
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しかし、本当の所は、朝日も「強制連行」が事実ではない事をこの頃から認識していたようだ。「2014特集記事」では「93年以降、朝日新聞は強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた」と言い訳している。
吉田自身もその後、『週刊新潮』の1996年5月2,9日号で「本に真実を書いても何の利益もない。関係者に迷惑をかけてはまずいから、カムフラージュした部分もあるんですよ。(略) 事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。チグハグな部分があってもしょうがない」と語った。
97年3月31日の「従軍慰安婦 消せない真実」と題した特集記事では吉田証言について「済州島の人たちからも、氏の著述を裏付ける証言は出ておらず、真偽は確認できない」と誤魔化している。
■8.国際問題への広がり
朝日が91~93年に1299本もの記事による「従軍慰安婦」キャンペーンをやり、しかも吉田証言の虚偽が明らかになった後も、訂正をせずに頬被りしたので、その影響は国際社会に広まっていった。
1996年、国連人権委員会のクマラワスミ報告は、吉田証言などを基に、「慰安婦は日本政府によって強制連行され、性奴隷となった」として、元慰安婦への賠償を日本政府に求めた。
2007年には、米国の下院で「従軍慰安婦問題の対日謝罪要求決議」、EU(欧州連合)でも「慰安婦対日非難決議」が可決された。その後アメリカでは韓国系住民による慰安婦像・碑の設置が続いており、2015年2月時点で、8ヵ所に設置されている。これにより、在留邦人の子弟がいじめにあったケースが報道されている。
しかし、「2014特集記事」では、朝日は自らの報道が国際社会にも大きな影響を与えた点に触れていない。「強制連行という言葉をなるべく使わないようにしてきた」1993年頃に、きちんとした訂正記事を出していたら、国際社会で我が国が虚偽の汚名を着せられることはなかったろう。
しかし、そんな声も馬耳東風のようだ。平成27(2015)年1月22日付けの社説では数研出版の高校公民教科書で「従軍慰安婦」と「強制連行」の文言を削除する訂正申請を行ったことを、「慰安婦問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が2度と起きないようにしなければならない」と批判した。
「2014特集記事」で述べた「私たちはこれからも変わらない姿勢でこの問題を報じ続けていきます」という覚悟は本物だった。
小誌は、朝日にこうお返ししたい。「慰安婦『捏造』問題は日本にとって負の歴史だ。だからこそきちんと教え、悲劇が2度と起きないようにしなければならない」
(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(106) 「従軍慰安婦」問題(上)~日韓友好に打ち込まれた楔
「従軍慰安婦問題」は、こうして仕組まれた。
https://note.com/jog_jp/n/n73e70aa00eca
b. JOG(107) 「従軍慰安婦」問題(下) ~ 仕掛けられた情報戦争
一部の日本人弁護士、ジャーナリストらが仕掛けた国際プロパガンダ。
https://note.com/jog_jp/n/nc10b57fbf641
c. JOG(756) 朝日新聞が伝えた「従軍慰安婦」の真実
朝鮮総督府の警官たちは、婦女子を誘拐する悪徳業者と戦っていた。
https://note.com/jog_jp/n/n0e867d6e155f
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
→アドレスをクリックすると、本の紹介画面に飛びます。
1. 読売新聞編集局『徹底検証 朝日「慰安婦」報道』★★、(中公新書ラクレ、H26
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4121505093/japanontheg01-22/
2. 「実証報告『慰安婦強制連行』虚構拡散の最大責任は朝日だ」、正論H27.4
■おたより
■「ひろき@上海」さんより
私は中国に駐在して通算17年になります。
海外で生活していますと、現地の人々と話していると、当然日本の
歴史や生い立ち等についての話題になる時があります。
こうした時に、我々が日本の学校で教えられて来た歴史観では、中国人や韓国人には全く太刀打ちが出来ません。
訳も判らず卑屈な気持ちになり、第二次世界大戦を戦った祖父の世代を恨む事しか出来ませんね… 余計な事をしてくれたから、我々がこんな迷惑をかけられるんだ…と。
学校で仕込まれた偏向した歴史観を私たちの世代は逆に自分達の努力で修正して行かなければなりません。(正しい物に変えるんです)
その自己勉強の為に伊勢さんのメルマガは大変バランスが取れた情報を提供してくれています。ありがとうございます。
今回のテーマは朝日新聞でした。同紙の「これからも変わらない姿勢で報道を続けて参ります」とのコメントは私も気になってましたが、案の定、全く反省の無い角度が着いた報道を見るにつけガッカリしています。
日本国民、大戦の時代を生きてきた方々を含めて自社の捏造報道の謝罪をして欲しいです。その上で誤解をさせた他の国や国連に対してもキチンと自己の誤ちを説明して欲しいです。
日本では恥を認めたサムライはどの様な形で詫びたのか、彼らも日本のエリートならば知らないハズは無いと思いますが。
■編集長・伊勢雅臣より
海外で日本人として胸を張って生きていくためにも、国内の捏造マスコミや偏向教育から、目を覚まさねばなりません。
■士魂伝導師
いつも学ばせて頂いております。
「これからも変わらない姿勢で」は朝日新聞だけではありません。
困った地元紙「北海道新聞」が地元で胡坐をかいてます。
これまで公開質問状を2度手渡すも紙面をもって回答するとの姿勢です。
これまでの経緯で下記の疑問、否、怒りが納まりません。
1、 何故紙面で回答とするのか。
2、23年間取消さなかったのは迅速だったのか、その理由は何か。
3、喜多記者の元慰安婦・金学順氏へのインタビュー記事は正確な報道なのか。
4、青木隆直記者の記事は「信憑性が薄い」との理由では虚報ではないのか。
5、初稿のみの取り消して他はなぜ取り消さないのか、その理由は何か。
6、喜多記者による記事「韓国紙・東亜日報が一面トップ記事として紹介、韓国民に新たな衝撃を与えている」は正確に報道し、公正な社論によって健全な世論を育てたのか。
7、一連の記事の検証を第三者委員会を設置し付託は行わないのか。
8、北海道新聞による誤報や捏造と言わざるを得ない記事の責任を道民にどのように示すのか。
北海道新聞は編集綱領の第一番に高らかに謳い上げる「迅速、正確に報道し、公正な社論によって健全な世論を育てる。」とは真逆の姿勢と云わず何んと言えようか。空念仏なのだろうか。
なにせ言論空間を独占する巨大な報道機関に風穴をあけるべくもがいているところです。
■編集長・伊勢雅臣より
偏向した地方紙が独占的な地位を占めている事がよくあります。それぞれの地域で、心ある読者の戦いが大切です。
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