JOG(1225) 縄文人の創造力
巨大建築技術、微細加工技術、アニメ、遠距離交易など、縄文人が発揮した創造力は、どこから来たのか?
■1.縄文人の巨大建築技術
青森空港を目指して下降する飛行機の機窓からは、どこまでも続く豊かな緑の山並みに目を奪われました。その時「そうか、青森とは、緑の森という意味なんだ」と今更ながら、気づきました。「緑」とは比較的新しい言葉で、古代の日本人は緑も「青」と呼んでいました。ですから、青山は緑の山、青田は緑の田、青木は緑の木、それらと同様、青森は緑の森なのです。
この緑の森で、かつて縄文人たちは豊かな自然の恵みをいただき、そこから見事な文化を築きました。
「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界遺産に内定したのを機に、先週、三内丸山遺跡とその周辺の4カ所の縄文遺跡を回ってきました。三内丸山遺跡は立派な展示館と復元された巨大建造物で、見学者も十分楽しめる施設になっていますが、他の遺跡も整備が着々と進められていました。
三内丸山遺跡の直径1mものクリの柱6本で構成されている「六本柱」の建造物は、復元されたもので高さ16m。近くで見ると、その巨大さに圧倒されます。別の復元模型の写真では、茅葺きの屋根がつけられており、高床式の神社の本殿のようです。出雲大社は古代には48mの高さがあったとの言い伝えがありますが、巨大建築技術としては連続性が感じられます。
その隣にある大型縦穴住居は、長さ約32m、幅約10m、床面積は280平米もあります。これも中に入ると、巨大な柱や梁に驚かされます。
考えて見ると、日本ではその後の仁徳天皇陵、奈良の大仏、近現代でも戦艦大和から明石大橋、スカイツリーと巨大な建造物を作る技術を得意としています。その素地は縄文時代から発揮されていたのです。
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