JOG(1363) 明治の国際派日本女性ここにあり ~ 明治の女性たちがなぜ海外で活躍できたのか?
江戸時代の伝統的教育しか受けていない女性たちが、なぜ海外で活躍できたのか?
■1.ひどい「男女格差」でも「女性の幸福度」はトップレベル?
世界男女格差報告書(2023)では、日本は146カ国中125位と下位に沈んでいます。先進国中ではもちろん最下位ですし、韓国105位、中国107位よりも低いのです。なかでも「国会議員の男女比」131位、「管理職の男女比」133位などが足を引っ張っています。
しかし、日本女性が「ひどい男女格差」のために不幸になっているかというと、そうでもありません。世界価値観調査で女性の幸福度から男性の幸福度を引いた「幸福度の男女格差」では、日本はダントツの「女性超過」で、2017年には世界第2位、2010年では世界1位でした。日本の女性は日本の男性よりもはるかに幸福で、その差は世界トップレベルなのです。
考えてみれば、国会議員や管理職の数で男女同数かどうか、ということと、女性が幸福かどうか、ということは全く別の次元の話です。国会で金切り声を上げて政府の揚げ足取りをしている一部野党の女性議員の姿は、とうてい幸福とは見えません。(もちろん、しっかり仕事をしていて、やりがい十分そうな女性議員もいますが)
弊誌の読者から「男女平等」より「男女対等」の方が大事だというお便りをいただいた事があります。国会の議席や管理職のポストを男性と「平等」に争いあっている女性よりも、夫を外で活躍させながら、妻はしっかり財布を握り、夫や子供たちからも頼りにされている「対等」の女性の方が、はるかに「仕合わせ」そうです。
(ここでの「仕合わせ」とは、前号で述べた「互いに思いやりをもって「する」行為が「合わさって」もたらされる状態」です)[JOG(1362)]
「男女格差」では、明治日本は現在よりももっと凄い状態だったでしょうが、実はその中で大輪の花を咲かせて、海外でも称賛された明治女性が何人もいます。本編では、そのうちの3人を選んで、女性の「仕合わせ」への道を考えてみましょう。
■2.明治の国際派日本女性3人
その3人の略歴をまずご紹介しましょう。
・下田歌子~ 近代女性教育の先駆者
安政元(1854)年、国学に造詣の深い志士の家に生まれ、幼少の頃から和歌を学び、宮中に女官として入っては、歌の見事さから昭憲皇后から「歌子」の名をいただきました。その後、皇后の推薦で華族女学校の教授となり、欧米での教育視察では英女王と謁見。女王は歌子を何度も召し出されて、日本の国情、国柄などについて聞いています。
帰国後は学習院女子部長として、また一般女子教育でも実践女学校(現在の実践女子学園)を創設して、日本の近代女性教育を切り開きました。
・杉本鉞子 ~ 欧米でのベストセラー『武士の娘』の著者
明治6(1873)年、越後長岡藩の家老の家に生まれ、江戸時代さながらの厳しい躾を受けて育ちました。結婚相手がアメリカで事業を営んでいたため、25歳にして渡米。二人の娘をもうけましたが、夫の急死で帰国。
その後、再び渡米して、娘たちを育てつつ書いた半生記『武士の娘』が欧米でベストセラーに。その後、コロンビア大学で7年間、着物姿で日本語と日本文化を教えました。
・クーデンホフ光子 ~ 欧州貴族に嫁入りした平民女性
明治7(1892)年、東京の商家に生まれ、高級料亭の女中をしていた際に、オーストリア・ハンガリー帝国の代理行使として来日した青年貴族ハインリッヒ・クーデンホフ・カレルギーに見初められ、結婚。ハインリッヒの帰国後は、一族の人種差別の目に負けずに、ドイツ語、フランス語、地理、歴史など貴族夫人にふさわしい教養を身につけながら、子供たちを育てます。
夫の急死後、領地・財産を任された光子は、法律や簿記、農業経営なども学び、子供たちを立派に育てました。第一次大戦では、領地にジャガイモを植えて、食糧不足に悩む前線の兵士たちに届け、「女神さまのご来臨だ」と感謝されました。次男リヒャルトは今日のEU(欧州共同体)に繋がる汎ヨーロッパ主義を唱え、その母として光子は「欧州連合案の母」とも呼ばれました。[JOG(169)]
■3.周囲の人々に助けられている
この3人の生き様の共通点を見ていきましょう。第1に、周囲の人々によく助けられている、という点です。
歌子は、皇后陛下や伊藤博文などの政治家たちに引き立てられました。社会主義者の幸徳秋水や堺利彦らが創刊した反政府系の「平民新聞」が、伊藤博文などを操る「妖婦 下田歌子」、などとスキャンダル記事を書き立てましたが、両陛下が皇女の教育をお任せになり、また森鴎外が「悪徳新聞」と非難して、歌子を守りました。
鉞子はアメリカで出会ったフローレンス・ウィルソンが姉のように世話をしてくれ、鉞子の文章を英語の面で細かく手を入れてくれました。また、雑誌社の編集者クリストファー・モーレーが鉞子の投稿を評価し、半生記を書くことを強く進めてくれました。この二人がいなかったら、ベストセラー『武士の娘』は生まれなかったでしょう。
光子は誠実な夫に支えられ、夫の死後も二人の尼僧が二十年以上も励ましてくれました。また忠実な従僕が長年、城の管理をしてくれました。さらに夫の叔母マリエッタは、夫が多くの子供たちに恵まれたのは光子のお陰だと、可愛がってくれました。
■4.「天命追求型」の生き方
第2に、3人がこれほど、周囲の人々に助けられたのは、それぞれが自分の人生を一生懸命に生きていたからでしょう。その真摯な生き方が周囲の人々の共感を呼び、助けてあげたくなるのです。
下田歌子は女子教育の先駆者、杉本鉞子は国際的ベストセラーの著者、クーデンホフ・光子は「欧州連合案の母」と称賛されるに至りましたが、順風満帆の人生ではありませんでした。不遇な時もありました。
3人とも若くして夫を亡くしています。歌子は親の決めた相手と結婚し、剣客として居場所を失った夫は酒浸りで、ついには寝たきりとなってしまいました。歌子は愚痴も言わず看病を続け、そうしている間に伊藤博文などが、看病がてら自分たちの娘を教育して貰おう、と声をかけるのです。
鉞子は夫を亡くして、二人の娘を伴って帰国しますが、やがて娘たちの教育のために、再渡米します。何人ものアメリカ人の助けを得ながら、辛抱強く雑誌や新聞への投稿を続けました。やがて、執筆を助けてくれる米人女性や雑誌編集者と出会います。
光子は夫を亡くし、一人で7人の子供たちと広大な所領の面倒を見なければならなくなります。一族からは日本女性がそのような任につくのは不適当だと裁判まで起こされますが、自ら弁護士を雇って、訴えを退けます。その後、法律や簿記、農業経営の勉強をして、領地財産の管理を立派にこなしていきます。
3人とも自分の人生に随順して、苦難に屈することなく、また与えられた機会は精一杯生かして、ついに大輪の花を咲かせたのです。これはまさしく、白駒妃登美さんの言われるように、アメリカ的な「目標追求型」ではなくて、日本人らしい「天命追求型」の生き方と言えるでしょう。[JOG(1044)]
「目標追求型」では、国会議員だとか企業の管理職だとか、自分が見える範囲の目標に届くのがせいぜいでしょう。しかし、「天命追求型」では、今の一瞬一瞬を懸命に生きる。たまたま出会った人々とのご縁を大切にし、頂いた恩になんとか報いようと努力する。そうした姿勢で一歩一歩歩んでいると、自分が夢にも思わなかった「天命」にまで行き着くのです。
■5.日本の伝統的な躾を受けていた
第3の共通点は、日本の伝統的な躾を受けていた点です。これが3人とも「天命追求型」の生き方をした理由でしょう。
歌子は国学に造詣の深い、勤皇の志士の家庭で育ちました。仕えた藩が江戸幕府の親藩だったので、父親は謹慎の身になっていました。父親が何か悪い事をしたのか、と思った幼い歌子に、祖母は「国のために一身を犠牲にしておいでになるのだから、お前はけっして悲しいとも恥ずかしいとも思わないでよい」と説きました。
そこから、歌子はお国のために役立つ人間になろうと一心に本を読みました。歌によって皇后から認められるという道もここから開けていくのです。欧米での女子教育を見聞して帰国すると、伊藤博文に「直訳的な西洋文明への傾斜は危険です。今こそ日本古来の婦徳の長所を生かすべく、新時代の女子教育が必要」と説いています。
鉞子は前述のように、長岡藩の家老職の家に生まれ、江戸時代さながらの伝統的な躾けを受けました。それは我を出さずに、家のため主君のために生きる、という教育でした。その様子を鉞子は活き活きと『サムライの娘』の中で記述していますが、後述するようにそれが欧米の読者の共感を呼びました。
光子は商家に生まれ、小学校しか出ていませんでしたが、母親が慈悲深い人で人助けをよくしていました。父親は信心深い人間で、家には仏壇のほかに10もの神棚があり、それぞれ毎朝何時間もかけて綺麗にし、お供えをするのが、光子の役目でした。
来日したカトリックの教師が「日本の女性はすべて子供の頃から無私の教育を受けているから、自然にカトリックになるようにできている」と言っていたそうです。
我が国の伝統的な教育では、「自分のための目標」を追求するよりも、与えられた境遇の中で、いかに世のため人のために尽くしていくか、という生き方を躾けられます。それはそのまま「天命追求型」の生き方なのです。
■6.なぜ『武士の娘』がベストセラーとなったのか?
ここで考えるべきは、日本の伝統的な躾の中で育ち、天命追求型の生き方に徹した3人が、なぜそれぞれ海外でも称賛されたのか、という点です。
3人とも、現地でも多くの人々の支援を得ました。歌子には英女王、鉞子にはアメリカの旧家、光子には二人の尼僧や長年の従僕、親戚の貴族婦人など、伝統的な生き方をした人々でした。これは日本の伝統的な生き方と、欧米の伝統的な生き方が響き合うものだという事を示しています。
鉞子に関する著書の中で、内田義男氏は、なぜ『武士の娘』がベストセラーとなったのか、こう解説しています。
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アメリカの読者の多くは、ミステリアスな日本の「武士の娘」への興味から読み始めるが、読みすすむにつれて、このけなげな少女が、内戦(戊辰戦争)に敗れても武士の誇りを失わなかった父母のもとで、厳しい教育としつけをうけて育ったことを知る。
そして、さまざまな試練にたえながら、二つの異質な国で果敢に人生にたちむかう、ゆるぎない信念と不屈の精神をもつ女性の半生記に感動するのである。[内田、p215]
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その感動の背景には、当時のアメリカ社会の深刻な混迷があった、と内田氏は指摘します。第一次大戦での凄まじい殺戮と破壊は、進歩やヒューマニズムを謳う19世紀的啓蒙思想に深刻な疑問を投げかけました。大戦後の未曾有の好景気で物質的には便利で豊かな生活が定着しましたが、伝統的な宗教や道徳は省みられなくなっていました。
生活の豊かさと自由を享受する一方、堅実だった家庭やコミュニティが崩壊を始め、人々は生きる意味を見失っていきました。そんな社会風潮の中で、「武士の誇りを失わず、ゆるぎない信念と不屈の精神」をもつ鉞子の姿は、自分たちの先祖の生き様を彷彿とさせるものだったのでしょう。
■7.日本の伝統的な「男女対等思想」で「天命追求型」の人生を
冒頭で紹介した「世界男女格差報告書」などは、生きる意味を見失った現代文明の象徴でしょう。そもそも「国会議員が男女同数」がなぜ「理想」となりえるのか、合理的説明は見たことがありません。こういう浅薄な「男女平等」思想は、近現代欧米社会の思いつきに過ぎず、それが実現して幸福な社会を生んだ、という実績はいずれの国のいずれの時代にもありません。
形式的な「男女平等」を問答無用の理想とする傾向は、ユダヤ・キリスト教の旧約聖書での極端な女性蔑視の反発から来ていると考えます。そこでは女性のエバは男性の「助け手」としてGodが作ったと説かれています。
さらにそのエバが蛇に拐(かどわ)かされて、Godが禁じた木の実をアダムと共に食べてしまったことから、罰として男女の間に恨みを置き、戦いあうようにGodの呪いをかけられました。その上、出産の苦しみを増し、また夫に支配される存在にされてしまいました。
この極端な女性蔑視の神話への反発から、机上の空論に走りがちな西洋人が生み出し、「世界共通の理想」として国際社会に押しつけているのが、現代の「男女平等」思想でしょう。
それに比べて、我が国ではそもそも最高神である天照大神が女性神であり、また「お母さん」の語源も太陽のようです[JOG(933)] しかし、男性が蔑視されている訳ではなく、イザナギ、イザナミという最初の男女神は同時に生まれ、結婚して日本列島の島々を生みます。日本では神話からして男女は対等に力を合わせるべき存在なのです。
その男女対等思想から、江戸時代では寺子屋で女児にも基礎教育が施され、その土壌から、3人の日本女性が国際的にも称賛されるような大輪の花を咲かせたのです。
こういう歴史伝統を踏まえた上で、現代社会の迷妄に過ぎない「男女平等」思想などに惑わされず、日本女性が、それぞれの個性、そして女性らしさ、日本人らしさを十二分に発揮して、家庭なり、学問なり、政治なり、実業なり、それぞれの志す道で、活き活きと天命追求型の人生を歩んで欲しいと思います。
(文責 伊勢雅臣)
■おたより
■戦前のブラジルの日系女性の教育もしっかりしていた(Francisco Satoさん)
私はブラジル福島県人会の会長とブラジル漫画家協会の会長の日系三世です。
今日のブラジル日報で「明治の女性たちがなぜ海外で活躍できたのか?」と言う興味深い内容の記事を読ませていただき感動しました。
この三人の女性が欧米で活躍できたことを思い浮かべると、江戸時代の教育と明治時代の日本を思う心、つまり、あの頃の日本のイメージを良くするための努力があったのではないかと思います。
これは戦前、ブラジルで裁縫学校、料理学校や美容学校などを開いた日本人の先生方が若い女生徒さんに伝えたものだと思います。この事はブラジルでコメントされていないですが、たしかに戦前の日系女性の教育はしっかりしていたと思います。
■伊勢雅臣より
ブラジル日系人社会は、戦前の日本社会の良い点をもっとも豊かに継承していると言われています。
確かにブラジルの日系人の皆さんも、今回書いたような天命追求型の生き方で難しい環境の中で今日のような高い地位を築いてこられたと言えますね。
■オスメス対等は生物の本質的で自然な姿(夏子さん)
「男女は平等なのではなく対等」という認識に関して、今年、「ほんとにそうだな~」と大きな啓発を受ける体験をしました。それをシェアいたします。
年明け直後に、6年ぶり、5回目となるブータン王国への旅をしました。
ブータン南部のインドとの国境のある町から、首都方面に北上する途中で、White-bellied Heron という絶滅危惧種の鳥の保護研究センターを見学した時のことです。White-bellied Heronをネットで検索するとシロハラサギと出てきましたので、以後、シロハラサギと書きます。
研究員の方が、熱心に多くのことを教えてくださいました。その中でとても面白いと感じたのが、シロハラサギのオスとメスの話です。曰く、シロハラサギは、人間が外から見ても雌雄の区別がつかないとのことです。確実に雌雄を見分けるためにはDNA鑑定が必要なほどだそうです。
しかし、彼らはちゃんとオス・メス一対で巣を作り、ヒナを育てます。
そして、よくよく観察していると、オスはエサの捕り方をヒナに教え、メスは、巣を作り維持する方法を教えるそうです。ヒナは、両方を学んで ”一人前” のシロハラサギに成長するのです。
「えーっ!!!!」と私は静かに興奮しました。
これこそまさに、生きとし生けるものの世界が、オスとメスという異なる存在で成り立ち、その違う二者が対等に役割を分担し、連携することで、一つの統合された世界を作っている象徴ではないでしょうか。それによって、種が保存され、繁栄します。
これは生物の本質的で自然な姿であって、人間も自然の一部である以上、人間が例外なはずはありません。
「男女平等」のことばには、男女を無理やり同じととらえて、平準化しようとする作為と思慮の浅さを感じてしまいます。一方、「男女対等」であれば、違うけれど優劣はなく、同じ重みをもって並び、違いを活かし、補完しながら手を携え、同じ方向に歩いてゆく、自由や敬意、寛容さを感じます。
■伊勢雅臣より
自然でも高等生物は両性生殖で、「男女対等」に異なる役割を果たしながら、生きています。「男女平等」の究極が「単性生殖」とすれば、下等生物の世界になってしまいますね。
■リンク■
・JOG(1362) 日本語に潜む「仕合わせ」への道標(みちしるべ)
「いただきます」「もったいない」「お陰様」に潜む「仕合わせ」への道標。
https://note.com/jog_jp/n/n3d47f0df3e5c
・JOG(1152) 結婚・出産・育児は幸福の源泉
米国における多くの科学的調査で、結婚・出産・育児は幸福の源泉であることが示されている。
https://note.com/jog_jp/n/n2ffa18aaa992
・JOG(1044) 日本人の生き方、祈り方
日本人は「祈り」と「天命追求型」の民族。
https://note.com/jog_jp/n/neee654780faf
・JOG(1020)下田歌子 ~「ゆりかごを揺らす手が世界を動かす」
歌子は平安王朝の官女そのままの姿で、ヴィクトリア女王の謁見に臨んだ。
https://note.com/jog_jp/n/n437b9943d650
・JOG(933) 「お母さん」の語源は「太陽」だった
「今日は」も「お母さん」も太陽が語源となっている日の本の国。
https://note.com/jog_jp/n/n71c87610dd14
・JOG(619) 武家の娘(下)~ アメリカに生きる
武家の娘は、西洋も東洋も人情に変わりはないことを知った。
https://note.com/jog_jp/n/neda9b9d3aad5
・JOG(618) 武家の娘(上) ~ 千年の老樹の根から若桜
武家という「千年の老樹」に生まれ育った娘は、若桜として異国の地に花を咲かせようとしていた。
https://note.com/jog_jp/n/n0f60c229f657
・JOG(169) 欧州合衆国案の母・クーデンホフ光子
欧州連合の原案を提唱したカレルギー伯爵は、日本人として誇りを抱く光子に生み、育てられた。
https://note.com/jog_jp/n/n05689b5ad9f2
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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・内田義雄『武士の娘 日米の架け橋となった鉞子とフローレンス』★★、講談社+α文庫(Kindle版)、H27
http://www.amazon.co.jp/o/ASIN/4062816059/japanontheg01-22/
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