JOG(673) 百人斬り裁判(下)~ 法廷での闘い
稲田弁護士は「百人斬りは虚偽である」ことを立証することを目指した。
■1.国が「事実」を争わないから「虚報」が積み重ねられていく
稲田朋美弁護士は、「百人斬り」で遺族を苦しめた本多勝一記者や朝日新聞に対して、まず「百人斬りは虚偽である」ことを立証することを目指した。
従来から、中国人や韓国人が戦争中の被害について、日本政府を相手取って被害補償を請求する裁判が起こされていたが、それに対する日本政府の姿勢に、稲田弁護士は大きな疑問を感じていた。
たとえば、「南京大虐殺」の被害者として李秀英氏が起こした損害賠償請求訴訟。妊娠中の李秀英氏が日本兵に強姦されそうになり、抵抗したために、銃剣で37回さされて、一度は死んだと思われたが息を吹き返した。
被告とされた日本国の代理人は、法務省の役人が担当するが、法律の専門家として彼らは被害者の主張する事実について全く争わない。ただ除斥期間(不法行為による損害賠償請求権は行為の時から20年で消滅する)などの法律論だけで、損害補償を避けようとする。
被告側が「37回も銃剣で刺されて息を吹き返すことなどありうるのか」などと、原告側の主張が事実かどうか争わないので、判決では李秀英氏の主張する「被害」はそのまま「事実」として書かれてしまう。その結果、「南京大虐殺」はますます日本国が公的に認めた「事実」とされていく。
こうして国家の名誉が踏みにじられている様を目にして、稲田さんは、まず「百人斬りは虚偽である」ことを裁判で明らかにしようとしたのである。
■2.「浅見はうそぱっちをうまく書いたな」
「百人斬りは虚偽である」ことを証明すべく、最初に登場した証言者が両少尉の写真をとった佐藤振濤カメラマンである。
佐藤さんがこの写真をとったのは、昭和12(1937)年11月、常州(上海と南京の中間)で、浅見記者から呼ばれた時だった。浅見記者の話によると二人の将校はここから南京陥落までどちらがさきに100人中国兵を斬るかの競争をするというので、写真をとってほしいと言う。
佐藤さんは、その話は嘘だと思ったが、頼まれた通り、二人の写真をとって、その後、このことは忘れてしまったという。二人の少尉が所属する冨山大隊と一緒に泊まったこともあるが、「百人斬り」について聞きもしなかったという。佐藤さんの日記にも「百人斬り」のことは一行も出てこない。
佐藤さんが実際に浅見記者の「百人斬り」の記事を見たのは、翌年の一月に南京から上海に帰ってからだったという。そのときの印象は「浅見はうそぱっちをうまく書いたな」だった。
■3.野戦病院に収容中にも百人斬り?
「浅見記者が嘘っぱちを書いた」ということは、大隊長だった冨山武雄少佐が南京での裁判に提出した受傷証明書でも明らかにされている。それは、向井少佐が昭和12(1937)年12月2日に左膝および右腕貫通の銃弾を受け、15日まで野戦病院に収容された事実を証明したものである。
しかるに、浅見記者は、この間も次々と両少尉の「百人斬り競争」の成果を報じた記事を書いている。[2,p21]
・12月3日付け「急ピッチに躍進 百人斬りの経過」
向井少尉86人、野田少尉65人
・12月6日付け「"百人斬り"大接戦 勇壮! 向井、野田両少尉
向井少尉89人、野田少尉78人
・12月12日付け 「百人斬り"超記録" 向井106-105野田 両少尉さらに延長戦」
向井千恵子さんは「これほど新聞記事が創作であったことを示す証拠はないはずだが、審理の対象にもされなかったという」と書いている。[2,p28]
両少尉が南京で裁判にかけられた時、浅見記者自身も「現場は目撃したことはなく、聞き取ったことを記事にしただけ」という証言を書き送っている。だが、記事が自分の創作した「嘘っぱち」だとまでは明かさなかったので、この新聞記事を唯一の証拠として、南京裁判では一人の被害者も、一人の目撃者も明らかにされないまま、両少尉は処刑されたのである。
■4.「シナ人にも魂がある。そのようなことをしてはいけない」
佐藤カメラマンの後も、稲田弁護士は14人の証人に出廷して貰うよう申請していたのだが、どういうわけか、裁判所は「必要なし」として、すべて却下した。
却下された証人の一人が、向井少尉が中隊長をしていた頃に直属の部下だったAさんだった。1年あまり向井中隊長と寝食をともにし、「百人斬り」に関する話を時々聞いたという。向井中隊長は「あれは冗談だ」「冗談が新聞に載って、内地でえらいことになった」と語っていた。
Aさんはその話を聞いて、「ありうる」と信じた。Aさん自身も突撃演習をしているところを撮影され、それが実戦の場面としてニュース映画で放映された経験があったからだ。新聞記者も第一線までは来ないので、いつも記事がなくて困っていたから、冗談話を記事にすることは十分考えられるという。
Aさんから見た向井中隊長は、とても潔癖な性格で、正義感が強く、部下思いの人だった。一度、落ちていたシナ人の骸骨をきれいに細工した兵隊がいたが、向井中隊長は非常に怒って「シナ人にも魂がある。そのようなことをしてはいけない」と咎めた。
そのような向井中隊長が中国人捕虜や民間人をゲームで斬るなどということは絶対に信じることはできないとAさんは言う。[1,p150]
■5.「シナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらにやってくる」?
稲田弁護士が最重要証人として申請したが、これまた却下されたのが、鹿児島県鹿屋市で外科病院を経営している井ノ上繁医師だった。
井ノ上医師は昭和14年夏に、鹿児島一中在学中に、野田少尉の話を聞いたという。その時、夏休み中の補習授業が行われており、幼年学校、士官学校を志望している生徒十数人が木陰に集められて、野田少尉の話を聞いた。
野田少尉の話の内容は「百人斬りの英雄ということで有名になったが、自分は決してそういうものではない。迷惑で心外である。百人斬りなんて無茶なことができるわけはない。白兵戦などというものはめったにおきるものではない」というものであった。子供心にも新聞記事は虚偽なんだな、と思ったと言う。
一方、本多勝一被告側が「百人斬りは捕虜の据えもの斬りだった」ということの唯一の証拠として提出したのが、志々目彰という人が鹿児島県立師範学校男子付属小学校で、野田少尉から聞いたという話だった。
志々目氏の証言によると、野田少尉の話では「『ニーライライ』とよびかけるとシナ兵はバカだから、ぞろぞろと出てこちらにやってくる。それを並ばせておいて方っぱしから斬る」という内容だったという。シナ兵は自分が斬られるまで黙って並んでいたのか、と状況を想像するだに難しい話である。
同じ野田少尉の話を聞いたとして、これだけ内容が食い違っているのだから、裁判所で相互に尋問して、どちらが正しいか追求するのが筋だろう。
ところが、原告側の井ノ上医師の証人喚問申請は裁判所によって却下され、本多被告側は志々目氏の陳述書を提出しただけで、証人喚問を申請をしなかった。反対尋問が怖くて、法廷に出てこないのだろうと稲田弁護士は思った。そこで原告側として志々目氏と本多勝一被告の証人(当事者)尋問を申請したが、拒否された。[1,p147]
こうして「百人斬りは捕虜の据えもの斬りだった」という唯一の証言に黒白をつける機会は、裁判所で封じられたのである。
■6.「憎しみ丸出しの笑いをこめて、軍刀をにらめつける」
朝日新聞が弁護のために探し出してきたのが、望月五三郎という故人が書いた私家本『私の支那事変』だった。朝日新聞が証拠として法廷で読み上げた中には、こんな一節があった。
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『おい望月あそこにいる支那人を連れてこい』命令のままに支那人を引っ張って来た。助けてくれと哀願するが、やがてあきらめて前に座る。(野田)少尉の振り上げた軍刀を背にしてふり返り、憎しみ丸出しの笑いをこめて、軍刀をにらめつける。
一刀のもとに首がとんで胴体が、がっくりと前に倒れる。・・・
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自分に向かって振り上げられた軍刀に、「憎しみ丸出しの笑いをこめて」にらみつける、とは、まるで出来の悪いホラー映画のようで、現実にどんな光景だったのか想像し難い。
南京事件の研究家・阿羅健一氏は、この本を検証して、200カ所にも及ぶ間違いがあるとの意見書を提出した。
たとえば、「戦車が城門めがけて激突破した、城門がギイイと音をたててくずれた」とあるが、厚さ20センチの扉は内側から土嚢を積まれ、戦車が激突すれば、戦車の方が壊れてしまう。実際には、歩兵が崩れた城壁を登って内側に入り、土嚢を取り除いて、ようやく戦車が入ったのである。この本の著者が、見てきたような嘘を書く人物だということが、この点だけでもよく分かる。
朝日新聞がその強大な取材力を駆使して、多くの南京戦従軍者や両少尉の関係者を取材し、唯一「百人斬り」を裏付ける証拠として提出できたのが、こんな本であった。
■7.「一見して明白に虚偽とは言えない」
稲田弁護士は、2年をかけた裁判で、143通の書証、15通の準備書面、そしてただ一人出廷を許された佐藤カメラマンの証人尋問を通じ、「いかなる意味においても百人斬りは虚偽である」という事を実証しようとした。
一方、「百人斬り競争」の記事を一般市民や捕虜相手の「殺人ゲーム」に書き換えた本多勝一被告は、原告の証人申請にも応じず、陳述書すら提出しないで、「頬被り」を通した。
それでも「被告無罪」の第一審の判決が平成17(2005)年8月に下った。主な内容は次のようなものだった。
・本多勝一被告の『中国の旅』などの著作が、両少尉の名誉を毀損することは認めるが、遺族らの名前は出てこないので、遺族の固有の名誉を毀損したとはいえない。
・両少尉が「百人斬り」を、記事の内容どおりに実行したかどうかについては、疑問の余地がないではないが、重要な部分について一見して明白に虚偽とは言えないので、遺族らの請求を認めるわけにはいかない。
佐藤カメラマン以降の証人尋問は「必要なし」として認めず、被告側への反対尋問の機会も与えずに、「一見して明白に虚偽とは言えない」から、遺族らの敗訴だという。稲田弁護士は怒りで爆発しそうになった。記者会見では野田少尉の妹・マサさんが泣いていた。
■8.「大きな力」がこの裁判の後ろに動いていた
納得できない原告側は東京高等裁判所への控訴に踏み切ったが、たった一日の審理で弁論を打ち切って、「控訴棄却」の判決を下した。すぐに最高裁への上告を行ったが、これも「上告棄却」との門前払いを食わされた。
エミコ・クーパーさんは、敗訴の理由が分からず、それを考え続けて1日4時間ほどしか眠れなくなるほど、苦しんだ。[2,p164]
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何度も何度も堂々巡りを繰り返し、同じところに落ち着く。
それは、何かの「大きな力」がこの裁判の後ろに動いていたか、何かが仕組まれての「結果」ではなかったか、ということであった。
ある人たちは裁判官を批判したりしていたが、私には、裁判官たちも「この力」によって、本人たちの意志、判断に反して、動かされていたのでは----? と思えば思える気がした。
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そして、エミコさんは、この白を黒と言いくるめる「大きな力」が、国を支える多く事柄にも当然、行われているのではないか、と考える。[2,p168]
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そう考えると、私は居ても立ってもいられない「恐怖」と「危機」を、故国日本と日本国民の将来に感じて泣き叫びたくなる。
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平成17(2005)年8月15日、第一審判決の直前、稲田さんは靖国神社での国民集会に参加した際に、安部晋三幹事長代理(当時)から、衆議院選挙に立候補しないか、と打診を受けた。
白を黒と言いくるめる大きな力と戦って、国家の名誉を守り、また虚偽を教えられて誇りを奪われている子供たちを救うのは、裁判所の役割ではなく、政治家の務めではないか。
わずか373票という僅差で当選した時、向井、野田両少尉を含む264万余の英霊の後押しがあったのかも知れない、と稲田さんは思った。稲田さんはこう決意を語る。[1,p198]
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国家の名誉を守る。私はそのことのために永田町にきた。
闘いは今、始まった。
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(文責:伊勢雅臣)
■リンク■
a. JOG(672) 人斬り裁判(上)~ 遺族の苦しみ
父がなぜ、虚報を教え込まれた小学生に「日本の恥」と言われなくてはならないのか。
b. JOG(028) 平気でうそをつく人々
戦前の「百人斬り競争」の虚報が戦後の「殺人ゲーム」として復活した。
c. JOG(060) 南京事件の影に潜む中国の外交戦術
中国系米人の書いたベストセラー "The Rape of Nanking"は日米同盟への楔。
d. JOG(079) 事実と論理の力
南京事件をめぐる徹底的な学問的検証、あらわる。
■参考■(お勧め度、★★★★:必読~★:専門家向け)
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1. 稲田朋美『百人斬り裁判から南京へ』★★★、文春新書、H19
2. 向井千恵子他『汚名―B級戦犯 刑死した父よ、兄よ』★★、ワック 、H20
■おたより
■Yujiさんより
伊勢様のこの記事は今年の6月の新入社員教育(一ヶ月間)の時にかなりの量を使わせていただきました。有難うございました。お礼を申し上げます。
小生はこの読み物を「志の読み物」と読んでいます。 教育期間には、これをみんなに読んでもらい、その感想を5分間で10人足らずの前で発表してもらいました。一ヶ月間で30回程度行いました。その結果、モチベーションが上がり、人前で自分の考えを述べる練習にもなりました。全員がこの読み物を読んでよかったとの感想をもらいました。良かったです。
また、小生は、この読み物や、その他の良い読み物を270あまりプリントアウトし、ファイリングし、毎日の定時からの若手技術者の勉強会のときに、まず、15分程度読んでもらって、それから電気の勉強をしています。
はじめはこの様な読み物を会社の勉強会に使うことに少し抵抗がありましたが、徐々に公にしていった結果、労務grからも「止めろ」というコメントはでていません。小生は、この読み物を読むと、必ず日本人の歴史、日本人の誇りを知り、毎日の仕事や勉強に必ず精神的な支えができて良いことと信じています。
今では毎日、過去に発行されたものを読んで、小生にその感想をメールで送ってくれる者も出てきました。その感想に対して、小生も丁寧にコメントを書いて送り返しております。日本語教育、会社人としての教育になると信じております。もう二ヶ月以上になります。継続します。
感謝してもし尽くせません。もっと早くお礼のメールを打つべきでしたが、遅れに遅れて、申し訳有りません。今後も、若者だけでなく日本人が日本人として誇りを持って、世界に羽ばたき活躍できるよりどころとなる読み物を配信してください。
有難うございます。
■編集長・伊勢雅臣より
弊誌の目的は明日の日本を担う人材育成ですので、このような活用をしていただくと本当に嬉しく思います。
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