第0回 パーソナルヒストリー
生まれて59年になる今日まで
私がずっとすべてを自分で選択して自由に生きてきたかと言えば
その全く逆です
そんな私が定年の2年前、58歳にして急に起業し
自分で選択する自由を使って
自分の人生に大きなターニングポイントをどうやって迎えたのでしょう
私は子供の時に「どん」というあだ名をつけられました
偉そうにしているから「ドン」ではなく、どんくさい子だったから「どん」ボールを投げられたら、ボールが地面でバウンドして頭の上を超えてゆく
歩いたらすぐにしんどいという
車に乗ったらすぐに酔う
小学校ではクラスメートにいじめられ
そのいじめを先生が見て見ぬふりをして冷ややかに笑う
本当に生きていくのがしんどい、自信がまったくない幼少期でした
小学校5年生の時だと思います
そんな「どん」な私が大きく変わったのは
変わるきっかけをいただいたのはその当時の担任の先生です
熱血先生でした
ぼやぼやと生きている私に対して元気を出しなさいと何度も言いました
その先生との交換日記の中で、自分には良いところがあるのだろうかと疑問に思い、先生に質問をしました
「僕のよいところはどこですか?」
先生はこのように応えました
「一生懸命走るところです」
確かに、足は速くはなかったけれども、徒競走は好きで
ゴールラインに到達するまでスピードを落とさず全力で走っていました
周りの生徒は最初から力を抜いたり
ゴール手前で自分が1番だとわかるとスピードを落としたりする中で
自分自身に好きなところができたというただ1つの変化は
残りの私の人生を好転しました
小学生高学年から高校卒業まで毎年クラス代表に選ばれる
クラスでの発言は進んで一番に手を挙げる
部活の部長になる
得意の英語を活かして大学受験に成功し、アメリカに2年留学する
大学卒業後、一番就きたいと思う職業に就く
ずっと順風満帆だったわけではありませんが、常にやりたいことを見つけ
進んできました
いつも自分に何かが足りないと思い、転職を10回以上もし
コンフォートゾーンから抜けることで自分を磨いてきました。
そんな生き方をしていても、子供のころの性格は変わらず
「どん」な私の側面が出ることがしばしばありました
しばしばというより、ここぞという時に弱気になり
コンフォートゾーンから抜けた後の次の1歩がなく
ごく平凡なサラリーマンとして中年を迎え
定年まじかになりました
さらなる努力をしていれば本当はもっと上を目指せたのに
正直言って、そのまま定年でも大きな不満はありませんでした
定年後の5年間をそのまま契約延長雇用で現役時代よりも下がった給与で我慢し、65歳になれば年金をもらい、年金生活を始める
普通の生き方としては文句はないでしょう
ファイナンシャルプランナーの資格を取っていましたので
自分の老後プランを立ててみました
ぞっとしました
そこには理想の老後生活はなく、切り詰めた生き方しかありません
何のために65歳から平均的な寿命の85歳まで、20年間も生きてゆくのか?
こんな疑問を大きく抱きながらも、まだ次の1歩は出ませんでした
「どん」だからです。自分に自信がないからです。
しかし、風が吹きました。
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