オーストラリア ワーホリ #1 決断に至るまで
僕は、小学1年生のときから16年間、ずっと大好きな野球を続けてきた。つらいことやきついことがあっても、「やるしかねぇ」の精神で乗り越えてきた。中学生のときには軟式野球の全日本選抜に選出(チーム事情により辞退)
勉強は正直好きではなかったが、学校の定期テストだけはしっかり点を取っていたこともあり、さまざまな機会や人との出会いに恵まれた。そして、ICU(国際基督教大学)にキリスト教推薦で進学することになった。
しかし、入学して最初にぶつかった壁が、ICUの1年生必修の ELA(English for Liberal Arts) だった。この授業は オールイングリッシュ で行われ、英語力に応じてクラスが分けられる。
上から順に、
ストリーム1(すといち)
ストリーム2(すとに)
ストリーム3(すとさん)
ストリーム4(すとよん)
僕は、安定の スト4 に振り分けられた。
英検2級を持っていたこともあり、「まあ何とかなるだろう」と思っていた。しかし、現実はそう甘くなかった。
教科書がまったく読めない。
先生の話していることがまったく聞こえない。
まったく話せない。
まさに トリプル役満 だった。
このままではまずいと思い、英語学習に本気で取り組むことを決意。まずは 英単語 と 英文法 を徹底的にやり込んだ。
春学期(ICUは春・秋・冬の3学期制)の間は、誰よりも早く教室に行き、どんなことがあっても一番後ろの席を確保。先生が誰かを当てようとするたびに、頭を伏せて視界から消える という戦略を取っていた。
しかし、秋学期になっても、猛勉強の成果を感じることができず、英語学習を諦めかけた。
それでも冬学期になると、ようやく希望の光が差し込んできた。
先生の言っていることが理解できるようになっていたのだ。
そこからELAが楽しくなり、その勢いのまま乗り切った。そして、IELTSを受験した際には、交換留学の基準(Overall 6.0・全components 5.5以上)をクリア。GPA(成績)も基準を満たしていた。
「留学=キラキラした大学生活」
そんなイメージを抱いていた僕は、漠然と 「交換留学に行ってみたい!」 と思っていた。
そこで、実際に交換留学を経験した先輩たちに話を聞いてみた。
すると、僕の想像していた「キラキラ留学」とは程遠い現実があった。
「授業が全然面白くなかった」
「物価が高くて、思うように遊べなかった」
「日本人の友達と授業を受け、遊んで、毎日同じことの繰り返し」
「早く日本に帰りたくて仕方なかった」
といった、ネガティブな意見がかなり多かったのだ。
もちろん、「留学が楽しすぎて帰りたくなかった!」 という人もいた。
しかし、この話を聞いて、
「留学ってキラキラしてるから行ってみたい!」
「英語力を向上させたい!」
といった 浅はかな考えのまま行くのは危険だ と感じた。
そこで、自分にとって「留学の目的」とは何なのかを改めて考えた。
そして導き出した結論は、
「ひとりで自分のやりたいことに飛び込み、その道を切り開く力を身につけたい」 というものだった。
僕はこれまでずっと団体競技を続け、高校時代は寮生活を送っていたため、何をするにも 誰かと一緒 だった。
「一人で何かをする」という経験がほとんどなかったのだ。
交換留学は、自分の学びたいことを海外で学ぶことができる貴重な機会ではある。
しかし、どうしても 「留学」という枠組みの中に収まることに魅力を感じなかった。
そんなとき、先輩から 「休学してワーキングホリデーに行く」という選択肢もある ことを教えてもらった。
ワーキングホリデーなら、
自分でお金を稼ぎ、生計を立てることができる
稼いだお金で自由に行動できる
勉強することも可能
まさに 「僕のやりたいことはこれだ!」 と直感した。
休学してワーキングホリデーへ
もちろん、大学卒業後にワーキングホリデーに行くという選択肢もあった。
しかし、新卒という 「ポテンシャル採用枠」 を失うリスクが大きい。
そこで、休学してワーキングホリデーに行く という決断をした。
このことを両親に相談すると、
「行くなら頑張ってこい!」
「行くならできるだけ長く行ってきたら?」
と、背中を押してくれた。
どんなときも全力で応援してくれる両親には、本当に感謝しかない。
休学の条件を調べてみると、ICUでは 休学期間は連続して2年間まで(※大学によって異なるので注意) となっていた。
さらに、オーストラリアは 最長3年間 ワーキングホリデーで滞在できることも知った。
そこで、「じゃあ、2年間オーストラリアに行こう!」
という決断に至ったわけである。
次回:資金調達編
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