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オーストラリア ワーホリ #21 異変
最初の1週間を監視カメラに見張られながら、人と一切会わずに過ごしていると、自分自身に異変が起きていることに気がついた。それは、何にも集中できなくなってしまうことだった。誰とも会話を交わさず、ただ黙々と仕事をこなしていると、ふと「俺は何のためにオーストラリアに来たんだろう。出稼ぎに来たのか?このままここで働き続けて、本当に成長できるのか?就活はどうなるんだろう?」と、不安が次々と押し寄せてきた。考える必要のない、どうでもいいことを無限に考え込んでしまい、何をしても頭の片隅でその不安が邪魔をして、全く集中できなかった。
落ち着こうとしても心は落ち着かず、黙って座っていることすらできなくなった。追い打ちをかけるように、今度は眠れなくなった。僕の特技は睡眠で、人生で一度も眠れずに悩んだことがなかったのに、この時ばかりは毎晩、夜中の2時頃に目が覚めてしまった。精神的にきつく、人と会わない孤独感がさらに心を締めつけた。そんな中、仕事が終わると寂しすぎて脳死状態で友達や家族にビデオ電話をかける日々が続いた。
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ある日、父親にビデオ電話をかけたときのことだ。父は冗談交じりに「また電話かけてきたんか?自分で好きで行ったんだから頑張れよw」と言われた。その瞬間、僕はこれまでにないほど深く落ち込んだ。
それには理由がある。僕と父は、僕が小学1年生で野球を始めたときからずっと時間を共にしてきた。父は野球経験者でも指導者でもなかったが、小学校の平日練習が始まる午後4時には仕事を早く切り上げて駆けつけ、土日も必ず応援に来てくれた。
中学に入ってからも、父は土日の試合には必ず駆けつけてくれた。高校進学と同時に寮生活を始め、実家から車で4時間も離れた高校に通うことになったときも、僕がまだ1年生で試合に出られない時期であっても、父は練習試合にさえ来て応援してくれた。
高校時代、監督は非常に厳しく、理不尽なこともかなり多かった。辛くて悩んでいたとき、僕はすぐに父に電話をかけた。バリバリのスポーツマンで、体罰が当たり前だった時代を乗り越えてきた父は、鋼のメンタルの持ち主で、僕にとってどんな悩みにも納得できる答えを返してくれる誰よりも信頼できる、一番の理解者だった。だから今回も、オーストラリアで精神的に追い詰められていた僕は、父の言葉を頼りに電話をかけたのだった。
しかし、無人の“棟”で過ごした初めの1週間、毎日母に電話をかけていたことを知っていた父は、あの言葉を口にした。そして、「俺、眠いからもう寝るわ。」と言い残し、あっさりと電話を切った。
慣れない孤独な生活、精神的な疲労、そして父の言葉。僕は「もしかして、見放されたのか……?」と、必要以上にネガティブに考えてしまったのだろう。
その瞬間、これまで経験したことがないほど、ぼろぼろと涙がこぼれてきた。心の支えだった父の一言で、自分がどれほど父に頼っていたか痛感した。オーストラリアで過ごすこの孤独な時間は、自分自身と向き合うための時間でもある。誰かに頼ることを前提とした自分を変える必要があると、強く感じた。
こんな状況を解決してくれたのは母親だった。
次回:決断
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