時には一般常識からかけ離れる、犯罪者を代理する弁護士の倫理観
米国では弁護士は特に反感を買う職業だが、その理由の一つとしてよく挙げられるのが、「弁護士は凶悪犯罪者でも弁護する」というものだ。
犯罪事件における弁護士の倫理観とは、実は複雑だ。
「殺人者にも人権がある」とよく言われる。これは先進国の法的理論としては正しいだろうが、被害者とその家族のことを考えたら、たとえ弁護士であってもそう簡単には割り切れない。過失殺人ならましても、計画的殺人において被害者の権利をそっちのけに加害者の権利の云々を語ることは、非常識にさえ思える。
しかし、世の中、加害者のことだけを考えれば良いほど単純ではない。
僕の最初の上司はとても尊敬できる人格者であった。そんな彼の話で今でも忘れられないのは、「警察は嘘をつく。単に嘘をつくだけでなく、しょっちゅう嘘をつく」と言っていたことだ。
確かに、言われてみれば、逮捕する警察も起訴する検察も人間である。警察には犯人を検挙するプレッシャーがあり、検察は被告人を有罪にするプレッシャーがある。警察と検察を無条件に信じる理由などなく、嘘つく動機も十分にある。
警察と検察が信用ならないという前提に立てば、どんな凶悪な犯罪に問われている被告人でも、弁護士がつくのは妥当と考えられる。被告人だからと言って、警察・検察のやりたい放題を許していいということにはならない。
そして、被告人に弁護人がつくことを認めるのであれば、弁護人と依頼人の間で交わされ情報について機密性が維持されることは極めて重要になってくる。
それは、弁護人が依頼人に適切な法的アドバイスを提供するには、弁護人がすべての事実関係を把握していることが不可欠だからだ。依頼人からすると、話したことの機密性が保証されていなければ、当然のことながら、都合の悪い話は伝えない。
しかし、この機密保持義務は、場合によっては弁護士をとてつもなく難しい立場に置く。
1970年代、米国ニューヨーク州でこんなことがあった。
ある弁護士は、女学生を殺人した容疑で逮捕された被疑者の代理人として雇われた。その弁護士は、依頼人の話を聞いているうちに、依頼人がもう二人の学生を殺していることだけでなく、死体がどこに埋められているかまで知ってしまう。
弁護士が依頼人から聞いた話を確認するために死体のあり場所に行ったところ、言われた通り死体はそこにあった。そこで、弁護士は死体の写真を撮ったが、警察に報告することはなかった。それどころか、ある男性が未だ行方不明の自分の娘が依頼人に殺害されているかもしれないと思って話を聞きにきた時も、弁護士は父親に娘が既に殺されている事実を伝えなかった。
これは一般の感覚からすると、ありえないことだと思う。行方不明の子供を血眼に探している親を前にして、子供の死体が埋められている場所まで把握していたら、僕でさえその秘密を明かさない自信はない。
しかし、それは(少なくとも米国の)弁護士としては、やってはならないことである。弁護士として依頼人に対する忠義が求められている以上、依頼人の秘密を、それも依頼人に不利になることが分かっているのに、第三者に開示するなど、もってのほかだ。*
このように、弁護士とは時には一般常識とかけ離れた行動に出ざるを得ない時があるのだ。
*米国の弁護士は、通常、まだ起こっていない犯罪を阻止するために依頼人の秘密を開示することは認められている。しかし本件では、殺人は既に実行されていたので、この例外が該当しなかった。
[注:この記事は2021年2月に自分のブログに載せた投稿に微修正加えた上で再掲したものです]
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