自己破産した者の弁護士になる資格とは
「永田町の常識は、世間の非常識」と良く言われるが、弁護士の世界の倫理観も世間からは理解されにくいところがあるのではないかと思う。
たとえば、自己破産が弁護士への道の妨げになるとは普通は考えないだろう。
でも米国のミネソタ州では、司法試験に合格したにもかかわらず自己破産した過去が問題視されて弁護士になれなかった人物がいる。
この人は、大学およびロースクール時代、学費を賄うために学生ローンの借り入れをした。返済義務はロースクール卒業後に始まり、返済スケジュールは月々$175。1980年頃の話だが、今でいっても$330(約3万5000円)だから一般社会人にとって過度の負担とは言えない。
ロースクール卒業後この人物は職に就けたものの、ある年の夏に入ってから雇用者が経営困難に陥ってしまたっため2ヶ月間給与が支払われず、8月に辞めた。間もなく未払いの給料が支払われたのだが、9月に弁護士を雇って自己破産の申請を行った。10月に再就職できたが破産手続きは継続され、翌年2月に裁判所の判決に基づき学生ローンが全額免除された。
ここで重要なのは、裁判所が債務の免除を認めたという事実だ。この人物には法律上自己破産する権利が明確的にあり、裁判所も自己破産の要件を満たしていることを確認したからこそ、学生ローンは免除されたのだ。
それにもかかわらず、ミネソタ州の弁護士会はこの人物の倫理観に問題があるとして弁護士会への入会を拒否し、同州の最高裁判所もその判断を支持した。理由は、失業状態は一時的なものであり、過度の経済的負担もなく、支払い可能であったのにもかかわらず返済する何らの努力も見せなかったから、というものだった。つまり、他者の権利を軽視する行為が問題視された。
なんとも厳しい判決である。
僕が同じ立場に置かれ、自らに認められている権利を行使すれば完全に返済するまで10年かかる債務を一編にチャラにできると知った時、社会や法律に対する漠然とした義務感からその権利を行使しないかと問われると、肯定の返事ができる自信がない。行使に躊躇さえしないのではないかと思ってしまう。
他方で、「法律上認められるからやってしまえ」という考え方ほど弁護士に危険な発想はない。どんな場合でも法規制上明文化されている事項は限られており、明示的に禁止されていないから行為が認められるという考えが罷り通ってしまう環境が、たとえばコンプライアンス問題が絶えない企業の根源にある。弁護士(というか法律に関わる者すべて)に求められる倫理観とは、法律や規則に一字一句厳密に従うことではなくそれらの趣旨を守る姿勢だ、というのが僕の信念である。
正直、気安く自己破産するような者を弁護士にすべきか否かについては決めかねる。自己破産することが総体的欠格事由になり殺人は絶対的欠格事由にならない、という考えはやはり一般的常識からかけ離れているのだろうと思うが、弁護士としての倫理観とはそういうものなのだとも思う。
[注:この記事は2018年9月に自分のブログに載せた投稿に微修正加えた上で再掲したものです]
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