ルコックの靴
その靴はぼろぼろだった
黒ずんだ柔らかい白い紐。
脇からは雨水が入り、左足のかかとはよく見ると穴が空いている。
洗われたのは、6年の内、一、二回だけだ。
それでも大切だった。
唯一無二の相棒だった。
何処へいくにも一緒だった。
辛い時、疲れた時、雨の街、仕事場のフロア、アスファルト、砂利道、雪の日も一緒だった。
これを履かなくなる。
そんな時が来てしまってから、その瞬間に直面してから、涙が込み上げて止まらない気持ち。
胸がつかえる。
写真をたくさん撮ってみた。
撮りながら、傷の一つ一つが愛おしく見えて、泣きたくなった。
ああ、もう一度これを履きたい。
傷を縫って、穴を埋めて、綺麗に磨いて。
しかし履き口の周りの白いゴムの縁取りはひび割れ、インソールも粉々に印刷文字やロゴも薄れ、
『もう、限界だよ』
と、ひび割れが語りかけてくる。
私の心にまでじわじわと侵蝕し、諦めや悔しさや切なさで一杯になる。
もう、こいつを履けないんだ。
こいつと旅する事はできないんだ。
悲しみで一杯で亡骸を眺める事しかできない。
荼毘に伏さねばと思いながら手が伸びない。伸ばせない。
心で泣きながら、透明の綺麗な袋に、くたびれた靴を入れ、新しく買った靴が入っていた綺麗な白い箱にしまった。不釣り合いな金色の流線形のアルファベットのブランド名が、安っぽい印字で箱の蓋には刻まれている。似合わない棺しかなくてごめんね。
でもその中身はぼろぼろの靴だ。
苦楽を共にしたルコックのスニーカー。
まるで私の足そのもの、眼鏡よりも時計よりもコンタクトレンズよりも靴下よりも、それは私と一体化していた。
結局捨てられずに、綺麗にしまっても、もう履かれる事はない、私の相棒。
もう、飛べない。
たまに取り出して傷の痛みを思い出したい、そういう類いの、箱。
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