スポーツにお金を使わない日本人

ラクロスクリニック

会社で正式に社内副業を初めて2週間、何か少しでもアイディアに繋がればと京都でラクロスのクリニックに行ってきた。
Crown Lacrosse Athletesというラクロスクリニックを行う小さなグループが来日し、関東と関西で3日ずつ計6日間クリニックを行うというもの。
このクリニックのコーチ陣が、Syracuse UniversityとUniversity of Maryland出身の選手2名に加え、日本人初のプロラクロス選手2名(厳密に言うと1名はプロで試合出場、もう1名は練習生として1年間チームに在籍)というトップ選手4名がコーチとして指導してくれる、というラクロス選手としては非常に贅沢な内容。
日本のラクロス界ではここ2・3年でトップ選手によるクリニックが少しずつ開催されるようになってきたこともあり、1日のみだが見学してみた。

30名というクリニック参加人数

クリニックのコーチ陣と会って話すのを楽しみに、そしてクリニックを受講している学生たちのレベルや吸収・成長を目の当たりにするのを楽しみに、会場である京都まで出かけてみたが、率直に言って少し寂しさを感じるものだった。
クリニックのために来日してくれた2人と日本人プロ選手2人はとても熱心に指導してくれていたし、選手たちとの交流を楽しんでいた。
一方、参加した選手たちの数はあまり多くなく(30人程度)、それが故に筆者が想像していたよりも「頭数」の面で盛り上がりに欠けていた印象を受けた。
滅多に会うことができない、ひょっとしたら一生に一度も会うことができないかもしれない、人たちに会えるだけでなくコーチまでしてもらえる機会が目の前に転がっているにも関わらず、結果的にそのチャンスに手を伸ばした人数の少なさに寂しさを感じたのかもしれない。
少なくとも、アメリカで同様のクリニックを実施すれば30人以上の人数は集まったように思う。

ラクロスに関して言えば、多くの人がイメージを抱いている通り、日本では大学生のスポーツである。
日本でラクロスがプレーされ始めて30年以上経つが、今も競技人口の90%以上は大学生だ。
残りの10%は、一部の高校では存在する部活と社会人チームである。
かつて青春時代をラクロスに捧げた世代の子どもたちが大学生になると、もう少し競技人口のベースが増えるとも言われている。
ポイントは、「大学生」のスポーツであること。
小学校・中学校・高校までは、部活やスポーツはほとんど親の財布で賄われている。
一方、大学生になると経済的に半ば自立することも多く、スポーツに使うお金は大学生自らの財布からの出費がメインということになる。
そういった状況下では、「一生に一度かもしれない」貴重なクリニックの参加も数万円という出費も難しい、ということなのかもしれない。
それが原因か否かわからないが、参加者が30名だったという現実をどう受止め、今後どう向き合っていくべきなのか、しっかりと考える必要がある。

スポーツにお金をかける価値はるのか?お金をかけさせる動きはあるのか?

筆者の印象として、「日本人はスポーツを『する』にしても『見る』にしてもお金をかけない」というのが強い。
平成29年11-12月実施「スポーツの実施状況等に関する世論調査」によると、「する」にしても「見る」にしても70%弱の人が日本においては個人で拠出していない。
河川敷や道を走ったりウォーキングしたりして、テレビで無料で放送される野球やサッカーを見るのが「普通の」日本人の姿だ、と言われてみれば納得できる。
裏を返すと、「スポーツとはそんなものだ」という価値観・意識・経験が世間の平均的な水準ということなんだろう。
そして、自分や子どもが野球が好きであれば自らいくらかのお金を出し野球をする、同様にサッカーが好きであればいくらかのお金を出しサッカーをする、というのが「普通」の感覚ということなんだろう。
ここで「高いお金」を払って「非日常」を購入し、その結果として視野を拡げる、という選択肢を選ぶにはだいぶハードルが高いのだ。
言い換えれば、日本では「スポーツの価値」を誰かと等価交換するという発想が無く、自らの経験や技術・思考を内に秘めっぱなしにすることでともすれば個々がガラパゴス化してしまってすらいるのかもしれない。
その結果として、武井壮が大人の学校で言っているように、自らの価値がわからないアスリートが増えているのかもしれない。
ラクロスであれ何であれ、日本ほどの人口とスポーツの競技性を備えた国にいれば、大抵のスポーツのトップレベルは教えることや見せることに「経済的価値」があるものだと思う。
ただ、どうすればそれが「価値があるもの」なのかを自らが理解すること、周囲に理解させること、は競技そのものだけをやっていては決して辿り着かないのだ。

常に「これは価値があるのか?」を問い続けること

誤解を恐れずにいうと、今の日本の大学ラクロスは「自らの価値」がどれほどのものなのか、自覚が足りない。
自らの一挙手一投足が、もしかしたら部内の後輩のみならず、ゼミの友達や教授等学内のネットワーク、地元の友達や親・兄弟姉妹等の身近なところに対して好影響を与えるかもしれない、と意識できていない。
別に24/7で気持ちを張詰めていないといけないとは思わないし、むしろオン・オフは上手に使い分けて欲しいが、クロスを持っている時やユニフォームを身に付けている時に自らが与えている影響力は意外に大きいし、その波及度合いがどれくらいのものなのか、それを理解したうえで自らのプレーや行動そのものがどれくらいの価値があるものなのか、というのを一度考えてみてほしい、そう思った。

まとまりの無い文章になってしまったが、スポーツの持つ価値、自らの持つスポーツの価値、をお金やその他のものと等価交換するとしたら、何をリターンでもらえるのか、ということを考えてみるのも良いと思う。

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