吊るされたままのスーツを見て、考えたこと。
昔から古びた和室での生活に慣れてしまっているからだろうか?
ちょうど頭よりも少し高い位置に長く伸びる、和室特有の板、一体これは何と呼べば良いのか、襖や障子の上部と天井との間を仕切る板。
検索。「和室 部位 名称」すぐにヒット。
長押。なげし。
そうか、これが長押なのか。己の無知を恥じた瞬間、それが今。「長押」と入れれば「フック」とすぐに出てくる。考えることは皆同じ。己の凡庸を悔いた瞬間、それも今。しつこい。
ひとまず吊るせるものは何でも長押に引っ掛けた幾つかのフックに吊るしてしまう、という習慣。
今、見渡しただけでも、ポーチ、トートバッグにヘッドホン、いつでも羽織れるような上着、そして先日の撮影で初めて袖を通した真新しいスーツ。
特に今年に入ってからは、帰宅すると手荷物をひとまず当たり障りないところに吊るしておく癖がついてしまった。床に直置きしたり、そのまま収納するのは、気が引ける。ちょっと着ただけなのに毎回欠かさず洗濯も面倒。ならば、吊るしてしまえ。
そうするといつしかそこに吊るされたままのスーツもやがてその場に吊るされているのがごく自然な風合いを醸し出すインテリアの一つとなり、部屋を行ったり来たりする視界に自ずと溶け込みながら次なる出番を待ち続けることになるのだが、さて次なる出番=ライブはいつになることか。
今、目の前に吊るされているのは最近作ったばかりの新作スーツ。つまり、2021年に向けて作られてもの。たくさん着ることが叶いますように、という希望が込められていると言って差し支えない。
ただ趣味が高じて毎年作っているわけではない。着慣れた型のスーツ、幾度となく熱く激しいステージを共にすることで、最高のパフォーマンスを実現するために長年に渡りミリ単位での改良が施されてきたこの型(私に関しては、仕立て始めてから20年程の間にズボンの丈を数センチ上げ下げしている程度で正直スマン)に袖を通す行為こそが、既に自身の戦意高揚(という言葉は物騒ではあるが、ライブ=戦いの場でもあるというのはあながち間違った定義付けではないという意味であえて使ってみる)を促す作用を持つことは明らかであり、そのスーツを作りに行くことはつまり、まだまだ俺たちの炎はこれしきのことで燃え尽きてしまうことはないのであるぞ、という決意表明にも似て、「江藤!俺は“死に球”は打ってないぞ!」という2008年の”ミスター”長嶋監督を彷彿させる溢れんばかりの士気の高まりが見て取れることは動かし難い事実。
であるからして、「今日梅ヶ丘までスーツ作りに行くんだけど多分すぐ終わるから、その後軽くお茶でもどう?」なんて思いつきで当日友人へとLINEを送ってみたりする軽率な行為は当然控えるべきであって、その結果数時間経っても未読のまま、それ見たことか。
スーツを作るために、洋服の並木の引き戸をこじ開けることは、戦いの火蓋を切って落とす行為そのものと認識すべし。
カラカラカラン、と若干間の抜けた鈴の音が鳴り響いたその瞬間に、すべてをライブへのイメージへ向けて全集中の呼吸。ここまで来て、思い出したかのように流行語を使ってみる。
と、すっかり前置きばかりが長くなってしまったが、早いもので2020年も12月中旬となり、今年のライブ本数は3月1日までの通常仕様至極当然の有観客ライブであった頃のもので、バンドのものが16本。案外多い。結成25周年イヤーということで、年始から前のめりのブッキング状況だったことがうかがえる本数である。
手帳のメモを見れば、当日着用のスーツも、青スーツ(2015年)、赤スーツ(2016年)、結晶スーツ(2014年)、黒スーツ(2019年)と長きに渡るスーツバンドとしてのポテンシャルを遺憾なく発揮するバリエーションに富んだ内容で、「スーツ着るツアーバンドの人って、どのタイミングで洗濯してんの?」という誰もが抱く疑問には「とりあえずホテルですぐ干してカラカラに乾かしておけば、そんな洗濯しなくても大丈夫」と当たり前のように答えるようにしている私は、この当たり前のように、という点こそ強調すべき点であって、ちょっとでもそこで引け目を感じたり、それって不潔じゃね?って思われるような心の隙を見せてはならない、これは人生のどんな場面においても置き換えることができる“だから胸を張ってさ!”のエレカシ「ガストロンジャー」理論の真髄でもあるのだよエビバディ、と胸を張って言い切ってしまいたいのも山々、話の行先を見失いがちなのは3月1日以降、週末のライブを前にするたびにライブ自粛すべき?延期?中止?というやり取りを、それこそ25年に渡るライブバンドとしての行先を見失ってしまうほど何度も自問自答の葛藤とともに繰り返してきたからでもあり、もちろんそこからスーツを着る機会も皆無。
緊急事態宣言下、ステイホーム期間中もその気になれば自宅でスーツを着て過ごすことも可能ではあったものの、先述の通り、スーツはライブ時の戦闘服でもあるのだ、という認識に立ってみれば、不要不急の戦意は無用。ならばなるだけ繊維を傷付けないように、そっとタンスに吊るしておくのが吉。
やがて季節は春から梅雨、そして夏秋と経ていく中で、西日が眩しい夕暮れ時の光を扉の外側から仄かに感じながら、各スーツ諸氏たちはタンスの中で今か今かとその出番を待っていたわけで、なんとも甲斐甲斐しい心意気ではないか、とこちらも彼らの健気さに心打たれヨヨと涙を流しつつ、そういえばタンスの中には、それでなくてももう何年も着られていないすっかり過去の遺物と成り果てたスーツも多々眠らされていることを思い出して、彼らの毛羽立った、着用感ありありの生地の一本一本から滲み出る「私とはもう、おしまいなの?」という怨嗟の念にはできる限り気が付いていない愚鈍な振りをしておきましょう。
と、そこまで薄情にならずとも、その一着一着との思い出を回想してその肩に手をかけながら、君は思ったよりも生地が厚くてね、重いんだよね…やら、襟がベッチンだと手入れが大変でさ、もう面倒なんだ…やら呟いていると、自分がいかにも甲斐性のないダメ男のようにも思えてくるので、うん、まぁまたいつか着るよ30周年の時とか!じゃ!と爽やかに言い切ってそっと扉を閉めてしまうのがよろしい。
結成25周年イヤーということで、ライブで着倒される予定であった2020年製スーツは、ちょうど去年の今頃、アーティスト写真撮影時に初めて袖を通されて以来、長らく吊るされたままで放置され、先頃の無観客配信ライブ(10月末)の時にようやく二度目の日の目を見たのであるが、あまりに目にする機会が乏しかったためか、私の脳内では緑系のチェック模様の生地として記憶され、缶バッジデザイン用にイラストを描こうものなら何の躊躇もなく緑系の色鉛筆でもって「うふふ、最新スーツのイラストもうまいこと描けたわい」と得意げに塗られていたものが、この度改めて目にしてみたところ、緑系と言うには程遠い茶系の色合いで、おや?一年タンスの中で寝かせている間に葉の緑も枯れ果てて茶色くなってしまわれたのだろうか?とオフィシャルHPトップ画像のアー写を見てみれば、初めからしっかり茶系のチェックで、我がまなこの何と節穴なことか。
しかしこの写真の表情にはまるでこの先の未来を不安視する微塵の曇りも感じさせない、凛々しい面立ちを皆さんされていることだなぁ、なにせこの撮影は朝早くて、終わったのはお昼前。
カメラのシャッター音のたびにシュパッと光るフラッシュの鮮烈さにすっかり生気は吸い取られ、空腹感は最高潮となり、帰りに二郎系のラーメンでもガッツいてってやろうかシメシメ、などと企てていることはレンズへと向けられた鋭き眼差しからも見て取れるところだが、撮影のあった大門駅辺りからスマホを見つめ近辺の二郎系ラーメンを検索&精査しているうちに千葉に帰って来ちゃって、我ながら何ちゅう帰巣本能だトホホ、と呆れ果てながら最後の砦とも言えるラーメン二郎京成大久保店へと赴く路線へと乗り換えかけたところで、アレ?僕ナニチテルノ?と正気を取り戻し、家に帰ろう、トボトボとホームの階段を上り始めた私に、アジア系の留学生らしき若者が、津田沼駅コノ電車OK?と道を尋ねておいでになり、イェイイェイ、ディスラインOK、と答えているのになぜか全然理解してくれず、やんやと拙い英語と身振りを駆使して何とか納得していただいたやり取りを機に、来年こそは我が英会話力を少しでも向上させてみせるぞ、と心に誓ったことを今の今まですっかり忘れていた。
してみるに当然の如く、我が語学力に相当の進歩は皆無であって、自身の意志の弱さを思いがけず痛感する羽目に陥ってしまった今、よし来年こそは我が英会話力を少しでも向上させてみせるぞ、と今一度心を新たにしたものの、何とも頼りないのは我が身が証明するところである。
気持ちが宙ぶらりんだ、サスペンデッド。吊るされてんだな、あら、話が着地。吊るされたままのスーツを見て、考えたこと。
バカげた話ついでに『Stupidity』。
スーツバンドと言えば、イギリスのパブロック・バンド=Dr.Feelgood。
1975年のライブが収録されたこちらのライブ盤。
糸で吊られたマリオネットのような動きからシャープなカッティングを繰り出すギタリスト=ウィルコ・ジョンソン。未だ現役、ギタースタイルも変わらず。シビれる。
かつて私も、ベースを弾く際のキテレツな動きから“糸の切れた操り人形”と異名をいただいたものですが、、、それじゃ全く動けないよね。
なんて過去の話は別にどうでも良くて、未来の話。
何かとサスペンデッドで中断したり延期したりと、一旦停止する機会が多過ぎた2020年も残りわずか。年が変わるからといきなり楽観的にもなれないし、もちろん全く楽観視できない現状を前にしつつ、それでも来年はこの吊るされたままのスーツに袖を通し、毎度汗だくになって、でも「いや、ホテルですぐ干してカラカラに乾かしておけば、そんな洗濯しなくても大丈夫」と胸を張って言える日常が戻ってくることを切に願って止まない私なのでした。
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