「意志を継ぐ」人たち
「想いを継いでいる世界的建築物は?」と問われた時に「サグラダファミリア」が真っ先に思い浮かぶのは私だけではないと思います。昨年12月にスペインに行く機会があったので私も訪れることができました。
そして、その迫力は想像を絶するものでした。今まで見てきた建築物にはない、「何か」を放っているようでした。それは、本当に多くの、本当に多くの(2回言った!)人たちの思いがそこに注がれているから、なのかもしれません。
サグラダファミリアの建築がスタートしたのは1883年。そして天才建築家ガウディが亡くなったのは今から1926年。ガウディの没後、その想いを継いだ人たちが94年間、建築を継続し、今なお「完成」へとエネルギーを注いでいるのです。
彼らはどのようにしてガウディの意志を継ぎながら、自分の人生を生きているのか?以前からとても興味がありました。そして、ある時「創造と神秘のサグラダファミリア」という映画に出会ったのです。
その映画の中では、ガウディの意志を継いだ人々が登場し想いを語っていました。
ガウディはカタルーニャ人の大切な遺産だ。カウディの才能を世界に示さないと。(現場監督:ジャウマ・トーレギタル氏)
ガウディの意志を継ぐのは名誉なことだ。完成までの道のりはまだ遠いけれど、私は携わることに大きな喜びを感じている。ここを愛する皆にとって仕事は喜びだ。(主任建築家:ジョルディ・ボネット氏)
ガウディの意志を継ぐと言うことは、自分の人生として中それをどう訳すかなのかもしれません。
そして、圧巻はこの人、主任彫刻家の外尾悦郎氏の言葉でした。
ガウディを知らないといい仕事はできない。ガウディに近づきたいと願い、触れたいと願った。そして、カトリックに改宗した。なぜならガウディが見たものを見るべきだからだ。ガウディ本人を見つめるのではなくて、彼の視線を追ってみよう。そう切り替えたのが大きな転換期になった。
ここに「承継」の大きなとても大きなヒントがあるように思えてならないのです。
継承するとは、その人を見つめることではない。その人が見ていたものを見ようとする。
そう語りかけている気がしました。
秋山ジョー