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悪夢日記|窮屈な女

※ほんとに観た夢だけを紹介しています。

嫌な女が夢に出てきて俺の惰眠の邪魔をするのであった。女は、"ポルトガル"かぶれであった。話をすると、すぐにポルトガルの話になる。私の知らぬ、興味もない"ポルトガル"についての蘊蓄をただただ私に向かって垂れるのである。会ったのは初めてではなかった。ほかの夢でも何度か会っているような気がする。彼女の”ポルトガル”が全てみたいな、ポルトガル絶対視の眼差しが、私を辟易とさせるのであった。それにわたしが、好みの女の子に声をかけようとすると、必ず彼女が横にいたりして、私の恋路を邪魔だてするのである。それでも彼女に悪意があるわけではないのだ。おせっかいを入れているように見えるものの、彼女は、わたしに特別な感情を抱いているわけでもないのである。ただただ私に”ポルトガル”の質問をぶつけてきて、答えに窮すると、”ポルトガル”の蘊蓄を垂れてくるだけのことなのだ。彼女はポルトガルに何度か足を運び、日本に帰ってもポルトガル人の習わしを日々実践しているかのようだった。笑った顔は見たことがなく、"ポルトガル"を絶対視するばかりに心を窮屈にしているかのように見えるばかりであった。彼女と話しているとこちらが窒息しそうになるのである。ある日、彼女は私の目の前で、日本在住のポルトガル人からポルトガル産のちっちゃな子豚を2頭も購入し家に持ち帰ろうとしているのを目撃する。そんなものを家で飼ったら数ヶ月後にはとんでもない大きさになってしまうと私は心配になり、売り手のポルトガル人女性に、一体彼女はこの二匹の子豚をどうするつもりなのかと問いかけたのであった。そのポルトガル人曰く、彼女はその子豚を少しの間は愛でるであろうが、飽きた頃には二頭とも食べちゃうんだよと教えてくれた。

自己解析(蛇足解析):
なぜ「ポルトガル」なのか意味不明である。ただこの女性は、わたしが昔付き合っていた、海外かぶれの女性がモデルになっているようにも思う。またイタリア好きで年に数回もイタリアに飛び、贔屓のセリエAのチームの試合を観たり練習にも顔を出し、チームのスタッフから選手まで顔も名前も覚えてもらっていた知人の女性がモデルだったのかもしれない。またあるいは、わたしの友人で、サザンオールスターを絶対視し、住む場所まで茅ヶ崎に移してしまった男を下敷きにしていたのかもしれない。好きが嵩じて対象を絶対視する人々の姿を見ると、わたしはすこぶる具合が悪くなってしまう。新興宗教のような怪しい空気を帯びてくるように感じるのだ。かれらにとっては、その対象は神のような存在なのだろう。だから対象に対するあらゆる批判や意見を退ける。そればかりか、そうして意見した人たちを徹底的に敵視する。崇拝する人と崇拝しない人、信者と非信者、そうしたニ文法が彼ら彼女らの経典となっていく。そこには論理や知性、至情も疎通することのできない世界となる。私にとっては息苦しい夢であったが、”かわいい子豚も飽きたら食べてしまう”という結末には驚いたものの、覚醒したあとは、納得の結末に感じられた。

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