発展とは、何か
こんにちは、jocoです。
昔からアニメーションを観るのが好きで、良く観ているのですが、
最近、懐かしくなりクレヨンしんちゃんやドラえもんのアニメーション映画を観ました。
そこで、思った事がありました。
ドラえもんのオープニングにCGが使用されていたのです。90年代のアニメです。
CGの導入は90年代より少し前からなのかもしれません。ノートルダムの鐘でもCGを使っている、と昔父が教えてくれたのを覚えています。
気になったのが、クオリティーです。
フルCGアニメもたくさん作られている昨今です。素人目にみても今と90年代のCGを観て、だいぶ発展しているな、という印象を受けました。
そこで思いました。
私が活動している金属工芸(私の分野)ではどうなのだろう。果たして目覚しい発展はしているのだろうか?
他分野ではどうなのだろう?
発展とはどういう事なんだろう?
と思い、今回書き連ねる事にします。
・アニメーションに於ける、CGの導入、デジタル化の波
まずCG、コンピューターグラフィックスが使用された作品について調べてみました。
なんと私が生まれる以前の作品でCGが使用されているようです。
1982年に公開された映画「トロン」は世界で初めて全面的にコンピューターグラフィックス(CG)を導入した映画との事で、特に象徴的なシーンが「ライトサイクル」と呼ばれる乗り物で対決するシーンです。このCGパートを作成されましたが、Mathematical Applications Group, Inc.(MAGI)という会社によって作られていました。
MAGIと聞くと、エヴァに出てくる赤城リツコ博士のお母さんの脳で動いているマギが出てくるのは私だけでしょうか。
ではアニメーション業界の制作ではどうなのでしょう。
1990 年代以降、仕上から撮影・背景美術・ポストプロダ クションの工程ではデジタル制作が導入されたようです。
現在の日本のアニメーション制作は仕上から撮影、背景美術、ポストプロダクションの工程ではデジタル制作が導入されています。
しかし原画・動画といった作画工程は、紙に 手描きのままです。
手描きからデジタルへの素材の転換は、動画検査が終わった動画をクリンアップ し、スキャンする仕上の工程で行い、彩色以降はデジタル制作ツールでの作業となっています。
シナリオ、絵コンテ以降の作画の工程は、レイアウト、原画、動画の作業と、それぞれの検 査(チェック)で成り立っており、デジタル制作を導入するためには、それぞれの工程への導入 が必要とされる。
ここでいうデジタル制作というのはCGに限らず、パソコンで処理をする、という認識でしょう。
業界内でいえば、まだ手書きの部分とデジタル処理を並行して行う、ハイブリッドでのデジタル化の導入のようです。
昔見ていたピングー(ペンギンのアニメーション)はクレイアニメーションでしたが、最近観てみたらフルCGのアニメーションに変わっていました。
これらも、制作側からしたら、絵コンテを手書きで書いていたり製法は適材適所的なハイブリッドでの作成なのかもしれませんが、私が外側から観るとやはり発展しているな。という印象です。
というのも、クレイアニメーションはキャラクターを少しずつ動かしては撮影して、を繰り返すコマ撮りの手法です。
その膨大な時間がかかりそうな作業が、CGで処理する事で表現の幅が増えているのではなかろうか、と想像できるからです。決してCGが楽であろう、という話ではありません。
ここで私が重要にしたいのは、
玄人の中身の実状はとても重要なのですが、それは一度置いておいて、外側から観て、消費者的にみて、表現されているモノがどう見えるか。今までとの差がはっきり分かるかどうか。
が重要、としておきたいのです。
次に私が所属している金属関係とジュエリーの分野に於いての発展について、考えたいです。
・金属工芸の変遷
金属工芸、金工とは金属に細工をする工芸、あるいはその職人のことを指し、金属を加工して作られる工芸品のことを金工品といいます。
金属工芸は手法を主に、
鋳金
鍛金
彫金
の三つの分野に分けられます。
日本に金属とその加工技術がもたらされたのは、弥生時代初期、紀元前200年頃のこと。
中国大陸・朝鮮半島から伝わった金工技術によって剣や銅鐸、装身具などが作られました。
材料として融点が比較的低く扱いやすい青銅や大きく道具が展開した鉄が使われていました。
古墳時代には馬具や甲冑を製作するようになり、青銅器の剣や鏡などへの装飾も見られました。
この頃の遺跡からは、鋳金によって作られた鉄製の刀や斧なども出土しています。
奈良〜平安時代には、仏教の伝来に伴い、仏像の鋳造技術が発達していきました。
鎌倉〜安土桃山時代になると、金属工芸の産業化や量産化が進み、金工技術もさらに進歩していきました。
それにより、それまでは一部の特権階級だけのものであった金属製品が、一般階級にまで広がっていきます。
金属工芸の発展は特に、江戸あたりの技巧が目立ちます。
武家社会においては武器や刀剣類への装飾が好まれるようになり、技巧的に優れた装飾が、刀の鍔や目貫等の金具にも施されました。
また、茶の湯文化の発展により茶釜が作られるようになり、芸術的な価値を持つ名作も数多く残されています。
金属工芸の発展としてめざましいのはやはり江戸時代付近かと思います。
例えば、鍔工に関していえば大きく分けて江戸金工、京都金工、地方金工とあり、それぞれに流派が存在していました。
江戸鍔を真似て周りの工芸家が技を競っていて、その技を競う環境自体が今の金工とは大きく違う点と言えます。
また、武家社会の金属工芸は権力者、大名や将軍へ作品を納めていました。
それはもう命がけの作成です。
文字通り首が飛ぶわけですから。
命がけで生まれる作品は、やはり形や技術が最高潮になるのは必須かと思います。
そして現代の金属工芸はというと。
基本は過去の技術を習います。
彫金、鋳金、鍛金それらの技術です。
その技術を身につけたうえで個人の感性に応じて多様に表現していることと思います。
それが工芸の発展に繋がっているかと問われれば、私は疑問です。
モチーフや見せ方などは確かに変化していると思いますが、アニメーションの様な素人目に劇的な変化を感じれるかという点では微妙なところです。
・ジュエリーの変遷
ジュエリーの起源は諸説あるようです。
(1)装身具は人々が闇のなかに潜む悪しきものから自分を守るための護符だったという説。
(2)人間とは本来的に遊びたいもので、装身具とは遊びの一つなのだという説。
(3)人間は他人と違っていたいと願うもの、そのために身を飾ったのだという説。
(4)は(3)とは逆に、人間は一人でいるのが不安で何かに属していたいから揃いの装身具をまとったのだ、という説。
といった具合です。
要するに起源はわかっていない、ということです。
歴史上、最も古い装身具は、刺青といわれています。これは「身体変工」といって、美しく身を飾るのに適したものを持たなかった民族が、刺青をしたり歯を削ったりしたのが始まりと言われています。
その後、動物の骨や鋳造技術が発展していくにつれ、銅のリングや黄金のリングなどが作られていきました。
時が経ち、16世紀頃こら西洋ではいわゆる王侯貴族社会が誕生します。その身分を示すためにジュエリーが発展し、それらは「特定の人を飾るための道具」としてのジュエリーが活用された時代でした。
18世紀半ばに英国から始まった産業革命。成功した人たちは、大金をはたいてジュエリーをたくさん買うようになります。今日の「アンティークジュエリー」といわれるものの多くはこの時代のものと言われています。
因みに、日本のジュエリーはというと、古墳時代の終わりから江戸時代の末期までの間、日本にはジュエリーらしいジュエリーはほとんど存在しませんでした。飾り櫛やかんざしなどの髪の毛の飾りはあれど、日本人は指輪もネックレスもイヤリングも使わなかったのです。とても珍しい民族といえます。
では、現代のジュエリーはどうかというと、製造方法や貴金属の配合方法が幾分変化していますが、アイテムとしても大きく変化はありません。
ただ、アートの分野としてコンテンポラリージュエリーという分野もあり、金属や宝石だけでなく、多様な素材で身につけるジュエリーも存在しますが、世間的にとてもニッチなものとなるでしょう。
その多様な素材を使用している、という点で言えば、絵画表現だけでなく、ミクストメディア的なアート表現に似通っているともいえなくないかと思います。
コンテンポラリージュエリーという点で、現代のジュエリーは展開しているように感じるものの、一般的にみてジュエリー自体が大きく発展したと言えるかは微妙なところです。
しかし、扱う金属の発展性はあります。
今までのジュエリーで扱っていなかった、チタン、タンタルやジルコニウム、モリブデンなどのレアメタルです。これらはとても高い融点で硬度も高く加工も難しい金属といわれています。
主に工業製品にはよく使われていますが、ジュエリーとしても少なからず利用されていて、それぞれ独特の金属的特徴をもっているため、ジュエリーの発展といえると思います。
・個人での発展とは
発展というのはどういう事なのでしょう。
時代の流れに沿ってある技術革新を行う事、それが発展なのでしょうか。
人類史に則って、
CGのように傍目にみて進化を感じるようなものは発展途上のもの。
工芸のように人類の進化に寄り添って発展していったものは、発展仕切っているもの。
ジュエリーの様に既に多様化していて傍目には進化の度合いが分かりにくいもの。
それぞれの分野である一定の時間を費やし、人の知恵や技術を注ぎ込むことが発展なんだと思うのです。
しかし、少し気になることがあります。
数学や物理、化学などの学問について、定説の上書きや幅を広げることで進化できるように感じます。
ですが、工芸や芸術の分野は個としての技術、発展が基本となり、個の到達点とは過去も現代もそれほど変わらないのではないか、という事。
むしろ発展しているのだろうか?
果たして、昔の工芸家よりも良質な作品が作れているのだろうか。
工芸や芸術でも個人の到達レベルがもしも明確になった場合、今と300年前でどれほどレベル差があるのだろうか。
知識、情報、道具の変化などあり、進度は違うかもしれませんが、あくまで個の技術の進化を考えると大きく飛躍は難しいのではないでしょうか。
そんな命題にぶち当たり、最近はもっと自身を奮い立たせ、飛躍せねば、と思うこの頃です。
私のレベルはいま、何レベルまで行ったのだろう。