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大切な家族と後悔しない生き方を。

2023年10月6日午前2時10分。
私の母親が天国へ旅立ちました。

約2年前にガンを患い、治療を続けてきました。
発覚した当時は大したことない、
と私と弟には伝えていたのですが
その頃にはすでにステージ3と4の間であり、
病状は良くなかったと後日父から聞きました。

私は新卒2年目でバタバタしており、
弟も高校野球ラストイヤーということもあり
心配をかけたくなかったのでしょう。

治療の結果、ガンは無くなった...
と思いきや転移が見つかり再度入院。
2回目の入院でかなり大きな手術を乗り越えた、
にも関わらず...
運命は残酷で、再度転移が見つかりました。

その後2023年の4月ごろ緩和ケアへ移行。
余命3ヶ月と深刻されるも転院や在宅ケアなどで
9月中旬までは比較的元気な姿を見せてくれていましたが、9月末に病状が悪化。
再び緩和ケア病棟に入院することになりました。

大切な家族がこの世からいなくなってしまうのは
いくつになっても当然寂しいです。
初孫を抱いてもらうことはおろか、結婚式すら
呼ぶことが出来なかったのは正直無念です。
ただ、当時余命3ヶ月もたないと言われていた中で
よく頑張ったんじゃないかなぁと...

しかしながら私自身すごく後悔があります。
それは、母が闘病中「いつか治るだろう」
という考えから、
母親に会いに行く時間を作らなかったことです。

うちの家系は癌になる人が多かったものの、
頑なに手術や抗癌剤を拒んだ父方の祖父を除き、
ほとんどの場合は手術や治療をして治っていました。
母親もそれと同じく、いずれは治るのであろうと
たかを括り、弟の高校進学を機に住む場所が離れ離れになってからは年に1,2回ほどしか会えていませんでした。

親離れ、子離れが出来ていないと言われれば
それまでではありますが...
たくさんの愛を注いで育ててくれた母親に対して
親孝行なことが出来ていなかったと今更ながらに後悔し、その時間を埋めるように最近は頻繁に会いに行くようになりました。

皮肉にも余命宣告が母親と自分が関わる機会を
増やした、ということになるわけですが...
しかしながら、
「どれだけ埋め合わせをしようとも
過ぎ去った時間は戻ってこない」ということです。

母親が元気なうちに自分が会いに行っていれば、
もっとたくさんの思い出が出来たはず。

母親が元気なうちに色々な相談をしていれば、
もっと悩みも簡単に解決していたかもしれない。

どう足掻いても「たられば」でしかないんです。
後悔をしてからでは何事も遅いのです。

大切な人との別れは、寿命かもしれないし、
事故かもしれないし、病気かもしれない。
自分が想像しているよりも早いものかもしれません。
もしかしたらこれを書いている自分自身が
そうなってしまうかもしれません。
当たり前の日常なんて言葉は存在しません。

だから、そうなってしまう前に...
後悔をしないような生き方をするために...
大切な家族との時間を大切にしましょう。

追記

元々上記の文章は、
母親が生きている時に書き始めていたものを
一部修正して投稿させていただきました。
そのため一部文章がおかしいところもあるかもしれませんが見逃してくださると幸いです。

最後の時も僕と弟が2人でおかんの手を握りながら
病室の中は家族3人と、僕の妻の典佳の4人で
看取ることが出来ました。
自分たちにとっても、おかんにとっても、
幸せな最後の時間を過ごせたんじゃないかと思います。

最後は声が出せないほどかなり弱っていた母に対して、
ただ「そばにいるで。大丈夫やで。」しか声をかけられず
無力感に苛まれていた時もう出せなかったはずなのに、
いつものあの声で「じゅんや。じゅんや。」と確かに
俺の名前を2回呼び、抱き寄せてくれた。

おかんが最後に力振り絞って、母として息子を元気付けようと
してくれるおかんの強さと優しさを感じました。
あんなんされたらお別れが余計に寂しくなるっての...
罪な女やでほんま。笑

書こうと思ったら無限に書きたいこと出てくるので
投稿の文章はここらで締めます。笑
気持ちの整理ができて前を向くことができ次第、
母が生前に綴っていた手記と一緒にエッセイにして
投稿していこうと思います。

おかん、俺のこと産み育てて愛してくれてありがとう。
おかんのおかげで俺の人生、今最高に幸せです。
最後の最後まで、
綺麗で、かっこいい自慢のおかんでいてくれてありがとう。

たくさんの愛をありがとう!
おかん、大好きやで❤️
またな!

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