心の在り処を知る
ふとした瞬間に,自分の心の在り処を知ってしまう.そうなった.かなり鋭く客観視できるのは自慢だけど,客観視しすぎてしまうと途端にきつくなってしまう.「あ」と思った時,僕は心が疲れ果てて居ることに気づいてしまい,その瞬間急にだめになった.本当に急だった.それまでは全然平気だと思っていたのに.そんなものらしい.
別に今病んでいるわけではない,恐らく身体は健康体で,健康に気分が落ちているだけ.そういう時期なのだろう.低気圧の類かもしれない.わからないけど.ただ,間違いなく仕事のし過ぎというのもあり,優しさがない場所だからもうぎりぎりっていう気持ちでもある.それでも生きる.
生きる理由を探してしまうのは人の性だけど,理由なくても生きていていいと思っている.なんで理由がないと存在してはだめなの?そんなことないよね.理由がないと存在してはならないなら,この世のほとんどの人が死なないといけなくなるよ.それか嘘の理由にすがって虚しい生き方をしているか.全ての人に生きる理由なんてなくて,明日が来るから明日を生きるし,今日があったから今日を生きているだけ.ほんの一瞬くらいは生きる理由はできる.僕の場合は,曲ができそう,とか,月曜日ツイキャスやるぞ,とか.そういうモチベーションは理由と言っても良いかもしれないけれど,そんな大それた理由なんていらないでしょう.逆になんでいるの?
生きる理由が欲しい人は,手を伸ばしすぎ.星が光る理由があって光ってるわけじゃない.光っちゃってるから光ってるってだけ.そう思うと少し気が楽になる.今日も生きちゃった.それでいいんじゃないかな.(甘栗むいちゃいました的な?違うか)
わっとあないすでいにするためにする努力も素晴らしいけど,そうじゃなくても良い.毎日歩いて夜なら少し傷ついて(僕はよく傷つく),それでもなんか食べたり飲んだりして,平気なふりをしてまた毎日を生きているなら,それだけで素晴らしい.嫌なことを見たり聴いたりして,心臓がキュッとなって,それでも笑ってるのすごいよ.誰も褒めないなら僕が褒めてあげる.どんだけ凄いことをしているんだ君は.さすがだね.
話は戻って客観視.心の在り処に気づいたら,その瞬間から一気におかしくなる.というか,今までは心に蓋をして見ないようにしていたらしい.気づけなかった.明確に心があると知ってしまい,「なんでこんな辛いのに平気なの」って言ってくるので,「あ,平気じゃなかったんだ」ってなった.そこから心ヨワヨワモードになってしまって,朝起きるのもしんどくて,何度仕事を休もうかと思ったけどちゃんと行って残業までしてるから何なんだろうね.誰も褒めてくれないから癒やしくらい誰か分けてって感じだ.マックもやってないし.
近くの24時間スーパーに行ったら,自分と同じようなゾンビみたいな人たちが,ふらふらふらふらと惣菜コーナーを見て回って,なんか面白くて.ゾンビは油ものが好きらしく,みんなカツを買っていた.レジのおばさんにだけは,僕は微笑みながら「ありがとうございます」って言います.当然です.感謝を忘れません.僕も例にならって買ってみた.あとコーヒー.