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大きな自然と小さな命

最近ランニングをしている.川沿いを走っている.
5月も終わりに近づき日が伸びてきているので,仕事を終えたあとに走っても日が落ちきる前に川沿いに辿り着くことができる.

夕焼けが川の動きを形取り,そのキラメキに沿って温度を感じるようになる.遠く,この光が瞳に辿り着くまでの幾光年,もうすでに無いかもしれない星に思いを馳せる.

呼吸を意識しないと長い距離が走れないため,呼吸を意識する.すると身体の中に空気の流れを感じることができる.身体が熱を持ち,身体を実感する.自分の意識外に自分という生命体を認識し,この呼吸のし辛さが永遠に続くことに苦痛を感じ,やはり生きていることを実感する.

と,まあここまで書いてはみたが,ランニング中の僕はこれほどまでに余裕はなく,もはや脳内が空っぽになり,ただ足を動かし呼吸をし汗を流すだけのマシーンと化している.

走り始めて,苦しくて苦しくてもう走れないところまで走ったあと,一旦歩くと,急に自分以外の存在に気付くことができた.夕焼けである.川である.木々である.これらは僕なんかが生まれるよりも何年も前から存在し,僕が死んだあとも存在し続ける.川沿いを走っている僕のことなど見向きもせずひたすらに存在し続ける.自分の命の短さにぞっとしてしまった.

自然というものについて,人はなにかコントロールできるんじゃないかと錯覚してしまっているような気がするが,実際はそんなことは一切なく,人や動物たちは大きな自然の流れのほんのわずかな小さな一瞬に過ぎない.それに気付いてしまった.この大きな流れの中の一部である僕が,その一瞬の生命をどう使うことができるんだろう.

歴史というのは一生続くように見えて,死んだあとの世界を知ることはできないため,自分が生きた時,それだけが自分の時間だ.
そう考えると,意思を持ち自我を持ち生きる僕らの意味というのは本当は無いのかもしれない.と,自然目線で考えてしまうと,自分の生命が意味を成さないように感じてしまう.

ただ,例えば僕という人間が生きていくために,必ずしも理由が必要だとは思わない.理由を感じているのは人間だけで,その他の生命はただそこにあるだけなので良いのだ.だから僕ら人間もそう合って良いはずである.

大きな制約の中で,アイスクリームが溶け切るまでの一瞬を,ヘリウム入の風船が飛ばされて破裂までの一瞬を,特に大切に思わなくても構わなくて,ただ時間として消費するで良いのだ.この小さな一瞬の命を「命だぜ」と思いながら生きれればそれで良いのだと思った.


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takuma nagashima
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