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アーニャアメとかいう物について

スーパーを歩いていたら、アーニャアメなるものが売っていた。これは、SPY FAMILYに出てくるキャラクター「アーニャ」の顔が袋全面に印刷されている飴だ。
これを見た時とても気持ち悪いなと思った。企業の金儲けのためにキャラクター≒創作物が消費されてるのが目に見えてわかったからだ。なんだかとてもやるせなく感じた。

資本主義において、金になりそうな物っていうのは特に大きな団体が寄ってくる印象がある。金になるうちに使っとけの精神なんだろう。
キャラクターの雰囲気をそぐわないグッズとかならまだわからなくもないけど、アーニャアメはマジでなんなの?
これはもう金稼ぎのために取り敢えず人気のあるアーニャを印刷しとけばいいじゃん、の感じがぷんぷんしてきて気持ちが悪すぎる。金が稼げれば何でも良いのか。

アーニャアメに限らず、こういった創作物の消費って結構あると思っていて、それと二次創作の違いはリスペクト(=愛)があるかどうかだと思っている。
愛のある創作物は第三者が見てもわかるものだ。
最近だと、どこかの地域復興のために二次元キャラクターを模した旅館?を作ったが、あまりに杜撰すぎて逆に叩かれたとかいうやつ。何だったっけ?
「取り敢えずアニメキャラを使っておけばいいだろ」みたいな下心が透けて見える。
こういった作品に対してのリスペクトのない行為は本当に気持ち悪くて、でもそういう人って多いんだと思うし、どうしようもないのかなと考え込んでいる

リスペクトという観点ではAI絵師というのも吐き気がする。確かに絵を描くために絵師の人たちは模写から始めるが、それは自分の頭の中のものを思った通りに落とし込むために自分の身体を練習するためであって、最終目標は「自分の作品を作る」である。
一方AI絵師は、さまざまな絵を学習させ機械の力で作り出す。「プログラムコードを考えるということをしている」という指摘もあるだろうが、100歩譲ってそうだったしても、そこに出てくる「創作物を完成させた時の喜び」の有無が全く異なってくる。

創作するものにとって、創作は時に苦しみながらも自分の中のものをどうにか表現するために試行錯誤して自分の手で創り出している。完成に至るまでにはそこまでのバックボーンが様々あり、なので創り出されるものも多種多様なものだ。

もちろん何かの参考や、その場で楽しむ程度で使う分には構わないと思う。

ただ、それを実際の創作者(今回なら絵師)と同等の立場で幅を効かせるのは違うと思う。
そして、それを見境なく称える客の方にも問題がある。

創作物は生み出されていき、今後何が異なっていくのかというと、それは創り手の思考だと思っており、そこも加味して創作物と見るべきだと僕は思う。
そうなった時に作ったものが価値が無いものと判断させるのはそれを消費する側の人間なのだ。
「誰が作ったやつでも良いわ、」という価値観が普及しだすと、本当の物の価値が無くなっていく。これは恐ろしいことだ。

話は若干逸れたが、創作物においてリスペクトのない利用は人として絶対にしてはならない行為であり、同時に創作物というのはそれだけ価値のあるものだと信じている。

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takuma nagashima
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