遠方よりきたる
手を伸ばしたらつかめないことに気付く.そんなことばかりだな.面白いことに,この間ご飯食べに行った尊敬する先輩に「君の言葉は強すぎるから,音楽があって初めて成り立つ」なんて言うから笑っちゃった.音楽やっててよかったなー.最近は特に,僕の話をきちんと聞いてくれる人なんて居ない気がして,「どうせちゃんと聞いてくれないんだろう」って思ってしまって,すぐに壁を作ってしまうのをどうかやめてくれよ,僕よ.
現実ではどんどん僕は嘘の仮面をつけるのがうまくなるし,仮面をつけたほうが楽すぎて,最近は別に苦でもなくなってしまった.これは危険信号,メーデーメーデー.ちゃんと帰っておいでよ?君の居場所はそんな明るいところじゃないって知ってる.もっと暗くてどんよりとしたところだよ.その場所の一瞬のきらめきのために生きているんでしょ?
笑う門にはなんとやらというから,というのもあるけれど,もう無意識で笑うようにしている.笑っている人を怒る人っていないんじゃないかなっていう,生きる知恵です.もう相手より先に笑うようにしている.それで円滑に進むならオールオッケーなのでは,という考え.いつか変わりそうだけど,今はそれでなんとかやってる.
結局僕の話は誰が聞いてくれるんだろう.話を聞いてほしいな.だから僕は音楽を作っているんだろうなと思う.音楽の中では自由に話すことができるし,思想を垂れ流すことができる.コーヒーを片手にゆっくり僕の話を聞いてほしい.でも,話を聞いてほしいっていう希望は求め過ぎなんだろうか.色々と話したいことがあるんだ.今日あったこととか,考えたこととか,気づいたこととか,お昼のこととかさ.でもそれも望み過ぎな気がする.受け答えじゃなくて,僕の話を.
ただいまおかえり,誰かが遠方よりきたる.おーい.手を振ったら返してくれた.良かった,僕の知ってる人だった.僕は少し強めにかかとを踏みつけ歩き出す.ここからだと霞んで顔の形くらいしかわからないものの,近づけばきっとわかるだろうという希望的観測で歩き続ける.近くになって気づいた.知らない人だった.どうして,向こうの人も勘違いしているということを思いつかなかったんだろう.お互い気まずそうに頭を掻いて,歩みを止めることはなかった.
それでも歩みを止めないのはなぜ?