【令和に】平成ジャンプ、平成ジャンプって言うけどさ【なったね】
もちろんHey! Say! JUMPさんのことではなく。我らが渡辺直美さんが言及してたほうのやつ。ちょっと前に、そんなネットスラングあったっけ?ってなったやつ。
楽屋でみんなでテレビを見ていたら
平成ジャンプ、平成ジャンプ、と聞こえてきて、意味を知って驚愕。
平成ジャンプとは…日本語スラングで
昭和生まれで、未婚のまま令和を迎える人の事らしい。
当初のNHKへの総ツッコミみたいな段階ではまあそういうこともあるかなと思って静観してたんですが、ここまで一般化するとさすがに無理みが深いっちゅーかなんちゅーか。
いやね、冷静に結婚してないことを平成ジャンプとか言っちゃうその感性が平成をジャンプしてね?って話で。結婚したい人はしたらいいし、結婚が素晴らしいものだと思うことも自由だと思うけど、生涯未婚率が上昇してて3組に1組は離婚する時代に結婚ありきでものを語られても....っていう。そもそも、これはまあ熱愛報道なんかでも思うことなんですが、不倫関係にでもならない限り他人が結婚してようがしてまいが関係なくね?配偶者との関係性だって人それぞれで一概には言えないわけだし、結婚してるからこうですね!みたいなのは基本ない。し、そろそろみんなそれくらいわかってるわけじゃないですか。共働きも、主婦も主夫もいて、それぞれやり方があるんだなーって。
むろん少子化がどうとか政策的な問題はあるだろうし、統計とかは取り続ければいいと思うけれども、日本では婚外子が少ないとか、キャリアとの関係で女性が思うようなタイミングでいわゆる妊活をするのが難しいこともあるとか、それ以前に金も人手も足りねぇ、みたいこととか、結婚すれば解決、ではないことも明白だから、やたらめったら結婚がどうとか言ってもしょうがない気がしています(ザル理論)。
脱線するけど、冷静に自分が大人になるまでに吐きそうなくらい金がかかりすぎて同じように育てるとか無理だわ、ってのはある。社会で生きることがえぐすぎて、子どもとか持ったら、自分がいじめられたから腹いせに他人をいじめた、みたいな感じがして嫌だってのがメインだけど。有難いことに後悔はない人生だしそこそこ楽しんでもいるとは思うものの、そうやって開き直るまでにすごく時間がかかったし、自分が拷問受けたから強くなったからって人様に拷問を経験させようってのもおかしな話なわけで。
だけど、結婚したい人はしたらいいし、子どもを持ちたい人は持ったらいいと思う、というのが基本的なスタンスです。自分が(今のところ)したくないことでもしたい人がいるのは十分に理解できることだし、したいと思いつついろんなハードルを感じている人もいるだろうけど、そういうのが少しでも解消されたらいいな、とも思ってる。これはまじでくっそ単純な話で、不満が溜まった人じゃなくて納得とか満足を感じてる人たちが増えたほうが社会全体がハッピーだと思うから。人間余裕がなくなると優しくなれないし、電車で隣になる知らん人がイライラしてるよりはハッピーなほうがいいっしょふつーに。
それから、平成ジャンプに関しては、同性婚が認められてないのはどうなんですかって裁判も最近起きてたり、選択的夫婦別姓の話もあったり、制度さえ整えば結婚したいんだけどな〜って人たちもいることを考えると、余計になんだかなと思ったり。
世代ってやつなのかもしれないですけど、これらに反対する人の意味がわかってないんすよねぇ。わかってなさすぎて反論とかないくらいにはわかってない。異性婚禁止で同性婚だけにするのは(自分が結婚できなくなるから)反対、とかだったら意味わかるけどそうじゃないし、知らない人たちが同性婚できても関係なくない?って。自分が認めたくない人たちが結婚しようがしまいが、世界は滅びないしいつも通り明日はくるよ。少子化が〜って人もいるらしいけど、じゃああなたは同性婚が認められたら異性婚やめて同性婚するんですか?異性に興味なくなるんですか?って話で。とりますっげぇ昔から同性愛はあるっぽいけど今のところ人類滅びてないから安心して?って感じ。逆にそれで滅びるならそれが「生物学的」に正しい選択なのでは?とも思うし。
ちな同じ理由で、選択的夫婦別姓に反対の意味がわかってない。同姓禁止で全員が別姓じゃなきゃいけなくなるのは(同じ名字にしたいから)反対、ならわかるけど、同じ名字がいい人は同じ名字にできるわけだし、なにに困るのかがわからないというか。申し訳ないけど他人の名字に1ミリも当事者意識が湧かない。そんなの好きにしたらええやん。それに、同じ名字じゃないと家族が崩壊するとかいうけど、そしたら結婚して名字を変えた人はみんな実家との関係が崩壊してることになるし(「嫁ぐ」くらいな感覚だったらえぐくもなる???のかもしれんが)、3組に1組に離婚する時代に言われても説得力がないっていうか。名字同じにしても別れてるやん、っていう。
これはもうちな中のちなですが、俺自身は、母親がガンガン旧姓を使う家庭で育ったので、どちらかというと両親で同じ名字っていう感覚がない。母親はフルタイムで働いてるというか、いわゆる高学歴→バリバリ働く仕事が生きがい?タイプなのと、諸々の関係で職場でも旧姓を使うのが合理的な状況があって、という塩梅です。未だに母親が自分と同じ名字で署名とかすると違和感半端ない。本当の名前(旧姓)を書けばいいのに、と思うレベル。
個人的に母のことはすごく尊敬してるんですが、仕事への姿勢とか見ててもものっそいカッコよくて、ほんとこう一個人として見ているというか、○○○○(母の名前)は○○○○(母の名前)って感じで、父親と同じ名字じゃなきゃいけないとは正直思えてません。そしてこれは妙だと思われるかもしれないけれども、仕事での両親というのも相俟って、両親のことは○○(母の旧姓)さん、××(父の名字)さんと認識してるような部分もあったりして、わりとそれぞれのものという意識が強い。
じゃあお前はどうなの?と思われるかもしれませんけど、自分自身は下の名前かHN、あだ名で呼ばれることがほとんどで(HNが本名だと思われることがあるくらいには周囲に浸透してる)名字で呼ばれることのほうが少ないので、べつにそこまで....。ただ、結婚(とか興味ないけど、人生なにが起こるかわからんからすることがあったとして)したら名字を変えたくないとも思ってるので、自分が嫌なことを相手に強要したくないって意味でも選択的夫婦別姓だったらなぁとか。相手が名字変えたい!って言ってたらとめないけど、渋ってたりするのに自分が名字変えたくないという理由で相手に変えさせたりしたらそれは冷静にモラハラの始まりすぎる。結婚前から離婚案件。尊重できない相手と(一緒に暮らす....かは人それぞれだけど)人生共にするとか無理みが深いしわりと事故。
あたしちなね、個人的に頭のなかでは、前にもTwitterとかでツイートしたと思うんだけど、なんかべつに平成が終わって次のやつにいったとしても、べつになんか、うちの頭のなかの感覚では月曜日から火曜日になるぐらいのテンションで、なんか、劇的になにかがぼーん!って変わるわけではないと思ってるの。
話が変わりすぎるけど、kemioさんのこれ(動画0:33〜)はそれなすぎた。ぶっちゃけ近年は年が変わるときにも思ってるけど、時計があってみんなが年変わるよ!って言ってるからあーそうなんだってなるだけで、たぶん時計とかカレンダーとかなかったら気付かないし、時空の歪みとかもできないし、まあでも結婚してないことを平成ジャンプとか言っちゃうその感性を平成ジャンプ呼べるようになったことはよかったのかなとか思いつつ、けどでも、元号変わらなきゃ価値観変わらないってわけでもないしそれはえぐすぎるしっつー。
なお俺はとてもよい両親をもっているので、勧めたら母親もkemioさんの動画を見てたし(自分の興味のないことはまじで興味がない人だから正直これは驚いた)、父親に至っては勧めたその場で動画を見て、面白いからってチャンネル登録までしてました。ありがみ探検隊ってやつっすね。
それにしても、noteで#kemioを検索すると、現時点で全15件中8件が俺で笑う(この記事を入れたら全16件中9件)。好きすぎるっしょ。っつーか、マイブームがわかりやすすぎ。一時期ずっとヤバTヤバT言ってたし、まじで人生そんな感じ。
人生とは、マイブームの連続である(適当)。
しのを'19
なんていう悪ふざけはともかく。でも、(適当)があるのがポイントかもしれない。ニュアンス的に。🤞🤞🤞
そんなわけでもないけど、特定の話題になると字数がやばくなるのなんなんだろうねまじで。いや、うーん。いろんな考えがあると思うんです。すごく大事な「文化」だとお思いの方もいらっしゃるんだろうし。でも、自分の過去の記事でもちょろっと書いたけど、良くも悪くも人生は一度しかないし、他人が代わってあげられるわけでも代わってくれるわけでもないから、責任を引き受けるのは誰もない自分自身なわけで、だったらなるたけ苦しくない生き方ができたほうがよくね?ってのが俺の考えで。筋肉痛には意味があるかもしれないけど、わざわざ怪我をする意味はないと思うというか。結果的に成長できることがあったとしても、そんなの本当に怪我してよかったのかは後からしかわからないし、それで本当にすべてがだめになってしまう人もいるし、怪我をするために怪我をするのが滑稽、みたいな意味で苦しむために苦しんでもしょうがないし、だからこう、人生には苦難が必要だ、みたいなのも、そんなのわかんなくない?って。冷静に苦しいのはあなたじゃなくて本人ですから!(成長するのも成長しないのもあなたじゃないじゃん)ってのもあるけど、我慢が必要だから我慢が必要的なのはトートロジーすぎて\(^o^)/
もちろん、その「文化」を守りたい人は自分の人生の範囲で守り続ければいいと思う。でも、もしも他人の人生の領域に闖入したいならまじで全知全能になって出直してほしい。一度しか生きてない人間ごときに、完璧に把握できるわけでもない他人の人生を「客観的」かつ「正確」に判断できるとか思うのはやゔぁい。(自分が神を信じてるかはわからないけど、いるとしたら全知全能という噂なので。)
突然ですが、せっかく写真を挿入したのに話題を変えられなかった。っつーことで、平成最後的ななにかでスタンプショウ2019に行ってきました。というわけではじつはございません笑。まだまだ勉強中すぎるけど、スタンプショウやJAPEXは何回か行ってるんすよね。ここまでの混雑は経験がないので不思議な気分。まあ目的が違ったから風景印には並んでないけど、みんな平成最後好きすぎね?そんなわけで、記事のトップ画像はスタンプショウのものです。
スタンプショウとかJAPEXとか人からお誘いいただいて知ったし、まさか記事になるとは思ってなかったので、大々的に報道されたっぽくてなんかちょっと感動(?)。
取材も入りまくっててすごかった。とか言いつつ話変わるけど、義務感で文章とか書くもんじゃねぇなと思ったし、仕事で文章書ける人すげぇ、ってなった。自分はほぼ言いたいことしか言えないし、気が重いことはできない体質すぎてやばい。そんなの努力不足だよ(???)的に思う人もいるかもわからんけど、これまでの人生において義務感だけでやったことがことごとく失敗してて誰得すぎたので、少なくとも俺の人生においては特段間違った命題でもない気がしている(あと何年生きるか知らないけど、やっぱ違うわ義務感で生きるのがハッピーだわって思うことがあればそうするのでご心配なく)。
そんなこんなで、今回適当なことがーっと書いたけど、字数がすべてを物語りすぎて泣いた。でもじつはこんな自分をエンジョイしてるので問題だとは思ってないっていう幸せ者です。人生初の改元だから令和とか言われても実感湧かないけど、生き続けてはいるし、生きてる限りみんなハッピーだったらいいねっていうざっくりした願望はあるので、まあだいたいそんな感じ(適当)。🤞🤞🤞