どうせなら電光掲示板に生まれたかった【雑談】
いやもうこれはタイトルの通り。タイトルのまま。初台から新宿まで歩いているときに電光掲示板(車を運転する人向けの渋滞情報的なもの:写真撮り忘れた笑)を見て、あー電光掲示板に生まれたかったな、と思っただけ。
そもそもこの世に生まれること自体を是とはできない気もしているが、とにかくこう、人間として生きるのが想像以上に面倒臭くてしょうがない。こんなことなら電光掲示板として生きて(?)、そのうち車に追突されてグシャっとなって撤去されたかった。
自殺願望はないけど、いつか死ねる、いつかここから解放される、と思うのが生きるモチベーションにはなっている。恩師にも友人にも恵まれてるし、好きなことばっかやってるからそこそこ以上には楽しい毎日だけど、人生が長く続いたらいいとはまったく思えない。むしろ、終わりがあるとわかっているからなんとかがんばれてるという感覚。
友人や知人に、死にたくない、ずっと生きていたいと言う人が何人かいるが、正直何を言っているのかよくわからない。いや、永遠だろうが何だろうが生きたいなら生きればいいし、お好きにしていただければとは思うが。どういう環境で何を考えて生きたらそう思えるんだろ?とは思った。純粋な疑問として。
たぶん、というか十中八九、いつかは死ねる。科学の進歩で人間は死ななくなるとか言ってる人もいるけど、まあ、たぶん死ねる。「痛めつけなくても この身はいつか滅びるものだから 甘えてなんぼ」って宇多田ヒカルさんも言ってたし(「This Is Love」)、積極的に死のうとは思わないが、もう少しで終わりが見えないかな、とか思ったりもする。実際に終わりが見えたら見えたでやりたいことがたくさん出てきて折り合い付けるのに苦労するのかもしれないけど。
そんなわけで、俺は元気です。なんかね、いつか死ねると思うと元気が出る。どうせ死ぬなら何でもできるじゃん、と思って。どうせ死ぬなら、失敗したら恥ずかしいとか、周囲にどう思われてるんだろうとか、関係ないから。たとえ頑張りすぎて疲れたって、死ぬなら関係ない。だから気が楽。まー、自分に対して無責任なんだろうけど。
そのうち全部終わる、いま持っているものもすべて手放すことになる、と思うと、じゃあ何しよう、どう生きよう、と思って楽しくなってきませんか?笑。誰かに嫌われたって、そんなんあの世までは持って行けないしな〜。それで全部が引き受けられるわけじゃないけど、有限だと思えばなんてことないものも多いはず。
週休ゼロのニートをしてると、どうせそのうち死ぬとか思わなきゃやってられない。これ豆な。的な。むろん、学業らしきこともしているのでニートと定義すべきか、という問題も(厳密には)ある。
そんなことより、くっそ寒い。コタツ出そうかなと思うくらいには寒い。
そういや、神聖かまってちゃん好きな奴から勧められた曲のなかに「コタツから眺める世界地図」ってあった気がする。
寒いね。