「いい子」でいるのをやめた
自己紹介で前述の通り、私は小さいころから非常に「いい子」でした。
「いい子」の定義は私的にはこちらです。
周囲の期待を深読みして先に行動に移すことができる
場の空気に合わせた言動ができる
結果が出ないと分かった時点で過程を重んじるような雰囲気を醸し出す(先に逃げ道を作る)
嫌われない、好かれすぎない距離感にいる
傾聴ができる
27歳ぐらいに鬱病を発症するまで、そして今の会社に入社するまで、これを続けていました。だって人に嫌われたくないから。私は承認欲求の塊です。
その結果、自分をかなり苦しめていたことに気づきました。
今もそうなのですが、自分の1メートルぐらい後ろから俯瞰で全体を雰囲気というか、自分のことを見ているような感覚がずっとあります。(霊的なことではなく、精神的にふわふわしている感じ)
これはいいことでもあるんですが、自分の体が自分の思ったように動いていない時、要は「いい子」でない時、尋常でないストレスを感じます。
「いい子」をやめた
「いい子」に疲れた
20代後半は、「いい子」でいることにほとほと疲れていました。なんとなく自分が自分でないような感覚がして気持ち悪かった。相手のためにこう言った方がいい、自分のためにこうした方がいい、ということもどうしても周りの目を気にして行動に移すことができませんでした。
その時、俯瞰で見ている自分からは、こうした方がいいのに、という感覚がありながら、実際の行動とはずれが生じていました。
事実、鬱病で入院するまでに至り、このままではまずい、習慣化しているなにかを変えなければと思い立ったのです。
「いい子」をやめてどうしたのか
伝えたいことはきちんと伝える、ただし誠意(自分のことも省みながら)ある言葉を使う
距離感を無視する(本音が伝わらない、理解しあえない相手といつまでも付き合っていても仕方がないと気づく)
この2つを心がけて生活するようになった結果、かなりストレスから解放されました。
「いい子」をやめた結果
これまで思いもよらなかった出会いに恵まれた
どことなく距離感のある人、なんとなくいいやつ、響いているのかわからない人に対して、本音で話をするのって難しいですよね。私も相手がそういう方であればそう感じます。
きちんと考えた発言をすること、言葉をぶつける相手にとって嫌なことでもきちんと伝えることを心がけた結果、周囲から信頼していただけるようになりました。
※あくまでも主観です。
そうしたところ、30歳を過ぎてから、ビジネスでもプライベートでも、人との繋がりは遠浅の海から、断続的に続く日本海溝的なイメージへと変わりました。
もちろん、相手をないがしろにしたりはありませんが、深く付き合わなくてもいいや、と割り切ること、大事にしたいご縁に対してきちんと向き合うことができるようになりました。
精神的に安定した
「いい子」でいるのは疲れます。周りの目を気にしたり、ニコニコしていたり、失敗したらいけなかったり・・・。こうしたストレスから解放されました。
「失敗したら挽回すればいい」「嫌われようが、きちんと成果を上げられればいい」そう割り切れるようになっていました。
今はいい子?わるい子?
どっちでもないと思っています。いや、どちらかといえば悪い子です。
わがままはよくありませんが、考えがないのはもっといけないことです。俯瞰して周囲に合わせていたころは、外的要因ばかりがモチベーションになっていました。
例えば、「〇〇先輩が頑張っているから」「〇〇くんが成果をあげたから」頑張らなくてはいけないとか、「得意先の飲み会だから」「たくさん先輩が集まる会だから」おとなしくしていなければいけないとか、なんでそうしなきゃいけないの?と正直思っていたことを捨て去りました。
今のモチベーションはあくまでも内的要因で、「スキルアップのため」「車を買うため」「住宅ローンのため」「家庭が笑顔にあふれるように」頑張っています。
誰かがやっているからとか、どうでもいいんです。頑張るための理由は自分がどうなりたいか、自分の手の届く範囲をどうしたいかにあると思っています。
とはいえ、やっぱり飲み会では飲みすぎるし、先輩からは調子に乗るなと叱られるし、自制心が弱いという性格はどうにもできませんでしたが(笑)
今回も最後までお付き合いいただきありがとうございました。