生い立ち②SOBRE EU②
こんにちは!!!
先週の木曜日に約6年ぶりぐらいに大捻挫をしまして
松葉杖生活を送っているジョンです。
昔から食事・トレーニング・バスケ練習をちゃんと計画立ててやっている
時に限って大怪我をします(笑)
昔と違う所は【ここでもういいや。どうせわしなんて】ってなっていましたが、今はどうやってこの怪我の間にトレーニングして前のより良くするかを模索するようになった所で変われたなと実感します。しかしかなり焦りますね(笑)
嫁がヨガとか教えているのでヨガも取り入れてみようともいます。
さて、今日は自分の生い立ち②を書いていきます。
https://note.com/joaogiovanni/n/nec79334bfafa
☝ ①はこちらに貼ってますので読んでみてください!
車で7時間かかる祖母の家に着くと僕はすぐに祖父の経営していたバーでお菓子を食い散らかしていました(笑)
祖父は黒人でとても厳格な人でしたが僕にはとても優しくしてくれました。
親父がその隣でずっと僕を怒れずに居たのを鮮明に覚えています。
そんな物関係ねえと調子に乗っているとよく怒られてました(笑)
祖母はドーベルマンのジアナという名前の犬を飼っていていつもこの犬が店の守衛をしていた記憶がありますね。
そのバーの裏にはかなり広い庭付きで家庭菜園等もできる家に祖父・祖母
同じ敷地の下側には叔父さん家族が住んでいた記憶があります。
そうだ。ここで日本人の祖母の紹介をしておきましょう。
名前☞クラオカ・オドリカ・デ・オリベイラ
生年月日☞1930年2月16日
出身地☞日本・熊本県
祖母の家族は戦時中に日本から船に乗って移民としてブラジルに。
まだ生まれたばかりでブラジルにてちゃんと名前が読める人が居なくて
本当は【ユリコ】という名前だったみたいですがブラジルにて
名前が【オドリカ】になったと聞いています。
そして日本の苗字は【クラオカ】という風に聞いています。
ブラジルに着くなりコーヒー農園やほとんど言い方はよくないですが奴隷のように働かされていたと聞いています。
そして月日が経ちブラジルで祖父と出会いました。
しかしもう戦争は終わっていた為祖母の家族は帰国する事になったのですが
祖父と結婚すると祖母は言い出したため日本の家族には縁を切られ日本の戸籍からも消されていたと聞きました。
黒人と結婚すると言う事がどれ程反対されていたかは分かりませんが祖母の意思が無ければ今の僕は居ないですしそこは本当に感謝と言っていいのか何と言っていいのか・・・
と祖母の紹介はこんな感じで行きましょう(笑)
イヌビアパウリスタに帰ると毎回僕が行っていたのは
RODEO【ロデオ】です。
ロデオとは暴れ馬や暴れ牛にどれだけ長く乗っていられるかを競うスポーツです。
イヌビアパウリスタではとても盛んでしたね。
僕もカウボーイの格好して観戦に行ってました(笑)
ちなみに一番最初の写真はロデオに行く前だと思います(笑)
知ったげにカウボーイはっと被ってますね(笑)
今では従兄弟がその場所を仕切っているみたいですし
ブラジルに帰ることがあったら必ず行きたいですね。
そしてもう一つの楽しみは叔父さんの家です。
前回も書いた通り親父の兄弟は沢山います(笑)
その近くに住んでいた叔父さんの家はなんと
牧場でした(笑)
このように馬に乗ったり牛の乳搾り等は仕事として皆やっていましたね
日本ではあまり考えられないような事も良くありました(笑)
今では全く無縁の農業や家畜業そして一番盛んなコーヒー農園によく行って木の下に潜ってコーヒーの木を揺らして豆を採取していました。
子供ならではですね(笑)
叔父ちゃんの牧場では犬さん達をかなりの頭数飼ってました。
ピットプルから雑種の子まで計20匹位いた記憶があります。
その犬さんたちはとても賢くて牛さんの追い込み等の為に訓練されていました。
叔父ちゃんが指笛を吹くと一斉に犬さん達が牛さん達を追い込み始めあっという間に牛さん達はお家に帰らされます(笑)
ただやはりその中にも言う事を聞かない牛さん達は犬さん達に囲まれ突進をされて無理やりお家に返されていました(笑)
その間人間たちは棒を持って犬さん達が追い込むのを手伝っていました。
この様な日常が大好きでイヌビアパウリスタに帰るのは大好きでした。
と言う事で今日はこの辺で。
どうでしたか??
これからもドンドン書いていきますのでスキやフォローよろしくお願いします。
今回もお読みいただきありがとうございます!!!!!
ジョンジョバンニ
Boa noite
Como vcs estão
Eu torci meu pé e não tô conseguindo anda normal ainda
Mais logo logo vai melhorar
Hj eu vó escrever sobre mim seguindo o número 1
https://note.com/joaogiovanni/n/nec79334bfafa
Quando eu chegava na casa do meu avô eu logo logo para o bar comer paçoca kkkkk
Meu pai ficava bravo. Mais não queria saber de nada. Porque perto de mim tinha meu avô e o meu pai não falava nada kkkkk
Sempre do lado do meu avô ficava a Diana
A cachorrinha do meu avô
Atrás do bar tinha a casa deles e do meu tiu
Nem sei se é grande ou pequena porque não é nada igual do Japão né
Vó fala sobre minha vó
Nome. Kuraoka odorika de Oliveira
Data de nascimento 16do 2 de 1930
a cidade de Japão Kumamoto e o lugar que os pais dela nasciu
veio do Japão de navios a família dela
Eles não soube ler o nome dela direito e pois nome dela Odorika
Mais na verdade era para ser Yuriko
Ela trabalhou de colher café e outras coisas muito cansado
E encontrou com o meu avô
mais a minha vó não voltou porque ela quis casar com meu avô
E eles tiraram o registro dela no Japão por isso difícil para achar a registração dela aqui no Japão
e d epois casso com o meu avo e tiraraum a registracao dela do japao
Mais eu tenho que agradecer a minha avó
Porque se ela não ficasse no Brasil eu não estaria aqui nesse mundo
Muito obrigado vó 😽😽
Eu lembro que em inubiapaulista
Tinha rodeio
E eu amava o rodeio
Sempre colocava o chapéu e ia para o rodeio todo todo kkkkk
Se um dia volta para o Brasil eu quero ir no rodeio
E lembro da fazenda do meu tiu
Lá nós corria atrás das vaca montava nós cavalo e cagava de medo dos cachorro e das cobras kkkkkk
tinha um monte de cachorros na fazenda e eles era muito inteligente
Mais eu amava correr e. Aquela natureza muito bom
lembro de antes de munta nesse cavalo eu chorei pa caramba de medo kkkkk
Então hoje e até aqui
Vó escrever de novo
Muito obrigado por ter lido hoje também.
Só apertem o coração que tem aí
Por favor
Tchau tchau
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