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母の愛のあり方。試練つづき

おはようございます。
都内は今日もポカポカですね

今日は爆モテだった母の若い時の話を
したいと思いました。

母は私が出会った中でもっとも強く
深めの優しさを持った人間。

その母は世界で1番愛した男性がいる。
それが私の実のダディ。

2人が出会ったのは母が27歳、
ダディが25歳の時。

娘の私が見ても当時の2人は
誰もが言う“美男美女”“イケている2人”
。笑

ダディーは母が初めて心から愛した人。
だから色んなことを許し
私が母のお腹に授かった。

未婚だったがお互い真剣で
将来のことも考えていた。

なのに突然の父の裏切り。
母は泣いて縋るような女性とは
真逆で『お前なんかいらん。』と
強くあろうとしてしまう人。

内心誰にも治せないくらい
心痛かっただろうに。
溢れるくらい涙流したかっただろうに。
強すぎてなんだか勿体無いとも今の私は思う。

そんなダディ側の母は
産んだらこちら側で育てると
申し出たらしく。
(ダディ側は裕福で、
母側は裕福とはかけ離れてたため。)

母は何としててもこの子は
『私が立派に育てる』と誓い
そのために
“周りの信用してる人に甘える”
ことも学び母の家族や周りの友人の
協力の元、妊婦生活を過ごし
無事に私が産まれた。

私が2歳になるまでは母の家族と
暮らし私は毎日のように色んな人からの
愛情を受けていたんだと
当時の写真や話を聞くと感じる。

それでも母は
『私が立派に育てる』というのを
忘れなかった。

母は1人で育てるには限界があると
感じパートナーを探した、
全て私を中心に。

娘を受け入れてくれる人。
娘を自分の子として育ててくれる人。
娘を愛してくれる人。
娘の将来をしっかりと見てくれる人。

当時地域の1番美しい人に
選ばれた事のある母。
フィリピンの身近な男性、
遠く離れたニュージーランドや日本の
男性からの猛烈なアタック。

それに勝ち取ったのが今の父。
理由は1番最初に会いに来てくれたから。
それで気持ちが充分伝わったと。
交際数日で結婚。(笑)

知らない人は
どうせお金だろ、とか
日本に憧れてたんだろと
ネガティブな言葉を発する人もいるはず。
それも間違えてないから
そう思う人がいてもいいと思う

けど異国の地に行くのはどんなことよりも
大変で苦しい。

当時の母は結婚後、一度母だけが
父と一緒に日本に旅立った。
日本の家族がどんな人なのか
日本の暮らしは、日本の家は
日本の人たちはどうなのか。

言葉が分からない中
一生懸命日本語を勉強し
祖父母とコミュニケーションをとった。
幸いなことに小さい子供がいる母を
祖父母は受け入れてくれた。

今みたいにネットワークも良くない
国際電話はお金がかかるからそんなにできない
娘の顔を見ることもできない
毎晩隠れて泣いていたみたい。

半年後、私を日本に連れてくる準備が
整いフィリピンに一時帰国。
母と離れていた私はすっかり
母を忘れてしまったそうで
それがどんな出来事よりも苦しかったみたい
ごめんねママ

母にとっての人生の最大の試練。
お腹の中にいてから2歳まで
苦しくて痛くてどうしたらいいか
分からなかっただろう

それでも母は私にダディの悪口を
言ったことはなかった。

愛した人だったから
そして愛した人の娘だから
同じようにダディのことは
愛して欲しいと思ったから。

愛の形ってさまざまだよね。
素敵な考え方と育て方をしてくれた
母に感謝。

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