同じ空を見る

冬休み前最後の学校だった。冬晴れ。
やっとまともに2週間通えて卒業式みたいな気持ちになった。年明けたら学校来ない人今より多くなるし、実際みんな集まる最後って感じだった。
箇条書きでばーっと!




・達観したようなことを言いたくなるのは悪い癖だと思ってる。けど言う。

万事塞翁が馬という言葉が好きだしスタンスが伝わりやすいからよく使う。でも本当は馬から落ちて足を折ってそれがなんの役にも立たなくてただ苦しみになったとしても美しいと思うんだよ。嬉しいこと、悲しいこと、その重なりそれ自体が美しいって感じる。これは多分綺麗事で、本当にほんとうに悲しいことが起こったらこんなこと言えないかもしれない。理不尽だ!って思ったでかい出来事がまだ一度もない。そうなの、そんなんだからマジでまだ屁こたれてる場合じゃない。




・学校の中庭で友達と缶のコンポタを飲んだ。この学校で1番好きな場所。最後まで粒を残さずに飲むにはクルクル回しながら飲まないといけないと教えてもらった。


芝生に座り込んで空を眺める。
雲が何に見えるか駄弁る。
走馬灯に出てきそうな時間だった、抜け出せてよかったと本気で思った。

周りは秀才だらけ。天才はあんまいない。努力したやつもしてないやつも結局は同じ空を見るんだと思うと嬉しかった。「本当に偉大なものは無料で平等」という言葉を思い出す。

あの雲が富山っぽいとか、1っぽいとか。同じ場所で語れることもまだまだ沢山あるみたいで安心した。

気まぐれすぎる夕焼けを追いかけて坂を登る時の気持ちもきっと同じだと思う。

・学年集会で先生たちの応援メッセージを聞く。

「こんなに頑張ったんだから大丈夫と思えるように最後までやりきって」


もうとっくの前からそうは思えないことになっていた。でも戻れたらこの悔しさに価値なんてない。爽快感は欲しい。「もったいなかった」という気持ちは多分ずっと消えないけど、いつか晴らすまで持っていく。


・どんなに開き直ったって、こうにしかなれなかったという切なさはつきまとう。

どうにかなるでしょ!という開き直りを披露しまくって外に出てきた以上、不安になるのは筋が通っていない気がしてどっしりと構えてるを装う。

余った時間でやったなんでもバスケットで「大学受験不安な人」と言われても立てない。もちろん「3年間で恋人ができた人」も立てない。
ハッタリもかまり続ければ本物になる、という言葉を信じる。


・帰りにブックオフに寄る。
空の名前という本を買った。定価3000円するのに220円で売ってた。ぱらっと見た感じ綺麗だったから不思議に思った。家に帰って眺めてたら、ドバッとページが切られた場所があることに気がついた。悪戯なのか、そんなに持ち歩きたくなるページだったのか。この本を見てむしゃくしゃしたなら何があったん?って聞きたくなる。


空を見て考えられることを増やしたいって思った。座学がダメな分は足で稼ぎたい。色々終わったらいっぱい歩く。
去年、遅刻した日は空の写真を撮って「遅刻の空」というファイルを作っていた。どうゆう意図で始めたのか思い出せないけど、なんかいいじゃん。


岡本太郎の本をさらーっとめくった。
今も悲惨な事態にいる人がいることに心を向けられる人は幸せだ、なんて言えない。歓喜はある。

みたいなこと書いてあって説教された気になった。そうだよな。いろんなものに目を瞑っているくせにアタシ幸せ♪ってなんだ、滑稽かも。




言い訳ばっかりで都合がいい。気分がいい時だけいいことを言う、悪い時は無視する。このままじゃ、このままじゃ、きっと一生このままなんだな。
清々しく死ねるようにどっかは貫いて頑張る!
お風呂入れなすぎるからやばくなりかけな気がする。風呂に入らないと気力が消える!

ひたに歩くよ〜あり得ないとしても〜♪


いろんな時に見た空メドレー

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