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推しが近づきキャーと叫んだ。
東京事変が解散。え、うそでしょうと思った。これも東京事変としての役割が終わったってことで。
2004年5月30日の始動から2012年2月29日の解散まで約8年に渡って活動してきた東京事変。
最後のコンサートは、首都圏で横浜アリーナと日本武道館。当然、争奪選であり、チケットは取れなかった。ただ、mixiで知り合えた椎名林檎のファンで繋がりで、両場所でのチケットが取れた人がいた。一緒に行かないかと誘われ、幸運なことに両方の会場に行けた。ありがとう、mixi。
東京事変が解散し、椎名林檎はソロと戻ったが、活躍はさらに目まぐるしかった。
復活はドラマの主題歌。自由への道づれ。
このMVには、当時16歳の小松菜奈が出演。
2014年NHKワールドカップ放送のテーマ音楽「NIPPON」
これは先になるけど、2020年には東京オリンピックの音楽も担当。だけど、コロナ禍でオリンピックは翌年に開催。その間に、某大手広告代理店が横入りがはいり、潰される。
2015年の椎名林檎のソロコンサートツアーに、チケットが当選。このころから、コンサートチケットの当選確率が上がり、コンサートへ行けるようになった。
ライブに行った神奈川県民ホールでは、前席10番目。なかなかの良席である。ライブ中に、椎名林檎が唄いながら、ステージ前に来たときは、思わずキャーッと叫んでしまった。当時はもう40代のオッサンだったけど、目の前に憧れる人が現れると、オッサンでも黄色い声援って飛ぶんだと思った。
その時のコンサートでキャーッと叫んだライブはこちら。
2018年には20周年記念の日本全国アリーナツアー。日本全国と言っても、静岡、さいたま、大阪、福岡の4ヶ所。どこか当たればいいかなと思っていたら、まさかの4ヶ所が全部当選してしまった。そして、このアリーナツアーが僕の人生を変えるターニングポイントとなった。その話は、また別の機会に。
そして、翌年の2019年には、鹿児島の桜島フェスに椎名林檎が参加するということで、初めてのフェス参加。きゃりーぱみゅぱみゅのライブは面白かった。
結構、前の方でみたけど、音楽はノリノリと言うより、ジャズ系の曲が多く、飛び跳ねるとかはなく、ちょっと消化不良の感じ。でも、この時はフェスに参戦して本当に良かった。それから4年間は生で見る機会を奪われてしまったから。
2020年にはなんと東京事変が復活。まさか、このタイミングで。そして、日本全国のコンサートツアー。そのコンサートツアーも当選したけれど、コロナ禍でコンサートが中止に。こればかりは仕方ない。
そして、東京オリンピックも翌年に延期となり、この記事の文にも書いたけど、某大手広告代理店の横やりで、当初のイベントチームが解散となる結果となり、林檎さんの音楽担当も外れることになった。
コロナ禍は東京事変の活動は休止状態となり、椎名林檎はシングルやAdoなどの他のアーティストに曲を提供していたりしていた。
あれだけ、反対していたベストアルバムもこの間に販売していた。反対していた理由はこの記事に書いています。
コロナ禍が明けた2023年には、日本全国ツアーのコンサートが開催。最初は当たらなかったけど、運よく繰り上げ当選。会場は渋谷のBunkamuraオーチャードホール。普段はクラシック、バレエ、オペラなどを講演する会場だけに落ち着きがあり、大人のためのホール会場でとても落ち着けて聞けた。席は2階で立っての観戦が禁止の場所だったが、ゆっくり鑑賞が出来たことも良かった。
翌年の2024年は待望のアリーナツアー。しかも、アルバム発売を一週間前の突然の発表。それまでは、アルバムを出すことは全く口外せず。この上場時代にすごいことだ。それと同時にに全国ツアーが開催されることも発表された。
そして、今回も4回当選し、静岡、さいたま、新潟、大阪と公演を見させてもらった。
最後になるが、結局、ここまで何がいいたいかと言うと、長く愛され続ける秘訣は、常に変化を続けることである。ファンの一部は昔の方が良かったという人もいるだろう。でも、それでは成長が出来ない。一貫して通すことも間違いではないが、残念ながら人は飽きてしまうのである。
宇多田ヒカルが椎名林檎について語っていたことが印象に残っている。彼女は変化を楽しんでいると。
自分から楽しむ変化とは進化することだ。
この言葉をいうために、椎名林檎さんの愛が強くて、こんなに長い分になりましたことをお詫びします。