阪神タイガースに魅了されて、私は野球を始めた。
こんにちは、うるまです。
前回記事では私と性格が真逆な、2歳年上の姉との関係性についてお話ししています。↓↓↓
早ければ今日、阪神タイガースの「アレ」が決定してしまうかもしれないので、今回は私が野球を始めた頃のお話をします。
私たち阪神ファンにとってもリーグ優勝は久しぶりなので、ソワソワしてしまいますね...。
私が野球を知ったのは、祖父母の家で野球のテレビ中継を見たのが初めてでした。その時は阪神タイガースの試合ではなく、なんと読売ジャイアンツの試合だった気がします。
そして、私は兵庫県西宮市にある甲子園球場の近くが地元だったので、地元にもプロ野球チームがあるということを知ったのが阪神タイガースとの出会いでした。
そして、背番号53の赤星憲広選手に憧れて、野球を始めました。(現在は、Goingスポーツニュースにも出演されている方です)↓↓↓
赤星選手は小柄な選手ではありますが、自慢の足を武器にスピードスターとして大活躍されていました。当時の私は、周りの同い年の子らよりも身長が低く”チビ”と言われることが多かったのですが、そんな私の希望になっていたのが赤星選手でした。幼少期は赤星選手のユニフォームを毎日着て、生活していたのを今でも覚えています。
そこから高校3年生まで野球を続けることになるのですが、最初は、応援する用のメガホンをバットに、新聞紙をボールにして、家の中で野球をしていました。いつも母親か祖母にボールを投げてもらい、それを打って、家の中を走り回る。そんな毎日を過ごしていました。
この時は自分が満足するまで付き合ってもらっていて、”相手に気を遣う”ということはほとんどなかったですね...。野球が好きで仕方がない。野球がしたい。ただ本能のままに生きることができていたと思います。
この時は、少年野球チームなどの組織には所属していなかったので、自分の気持ちを最優先に行動することができていました。その後、小学1年生から地元の少年野球チームに入ることになるのですが、私は組織に馴染むことが苦手だなと何度も思っていました。
最初はチームに溶け込むために、無意識に自分を繕い、相手の気持ちを考えて行動することができます。ただ付き合いが長くなってくると相手の苦手な部分が見えてきたり、相手に気を遣い続ける関係に嫌気がさしてしまい、「人間関係リセットしたい症候群」に何度かかったかは覚えていません。
私はかなり極端で、何事も白黒はっきりさせたい性格です。いわゆる「0か100か」で物事を考えてしまう癖があります。だからこそ、正解がない「人間の気持ち」を想像して相手に気を遣いながら生きることにストレスを感じるようになりました。
この幼少期、まだチーム/組織に属していない時は本来の自分を生きることができていたんだなあと、つくづく思います。
いつからでしょうか?自分の気持ちを隠すのが上手くなってしまったのは。
最近ニュースで”阪神タイガース”の特集を見て、ふとこの話を思い出したので今回記事にしてみました。阪神タイガースのファンとして、早く”アレ”することを心から願っています。
最後までご覧いただき、ありがとうございました。