生き抜いた者だけが書ける本「エディ・ジェイク著/金原瑞人訳 世界でいちばん幸せな男 101歳、アウシュヴィッツ生存者が語る美しい人生の見つけ方」感想(読書の秋2021応募作品)
これはその人にしか書けない。そう思わされる文章が好きだ。そういった文章を書くためには、何も珍しい経験をする必要はない。誰もが体験する出来事から、誰も見たことが無い文章を生み出す人は少なくない。
とはいえ、その人しか体験していない出来事の前では、普遍的な話は限りなく無力に近いのかもしれない。今回私が読んだのは、著者の身に降りかかった壮絶な体験と、それを経て得た考え方によって生まれた、この世界に2冊と無い本である。
著者のエディ・ジェイクは、1920年にドイツで東部のライプツィヒという街で生まれた。初等教育機関を卒業したのちに進学するも、ある時ユダヤ人だという理由で退学させられてしまう。その後は、偽名を使って機械技術専門学校へ入学し、およそ5年間機械技師の勉強をした。
学校を卒業したある日、エディは故郷の家に帰る。自宅には誰もいなかった。不審に思いながら眠りにつくと、突然見知らぬドイツ人に家を襲撃され、酷い暴行を受けてしまう。この出来事は「水晶の夜」と呼ばれている。
その後、エディは収容所に入れられる。時間が経った今なら、当時ドイツではどんなことが起きていたのか、少しは実態がわかるだろうが、その時の当事者は、何が起こっているのかが一切分からなかった。なぜ拘束されているのか、なぜ非人道的な扱いを受けているのか、わかるものは一人もいなかった。(もちろん当時もその行為に対するちゃんとした説明など存在しなかったと思うが)
1944年、ジェイクはアウシュヴィッツに送られる。そこは、人間としての尊厳を奪う、悪夢が現実になったような場所だと語っている。死と隣り合わせというよりも、いつ殺されるかわからない恐怖と隣り合わせだと私は解釈した。およそ人が過ごす環境とは程遠く、収容所までの貨車の中で次々と人が死んでいたという記述は衝撃だった。
エディがアウシュヴィッツを脱出し、アメリカ軍に救出されたのは1945年。死ぬ可能性も高かったが、生き延びることに成功した。収容所に居た頃も、何度も絶望したエディだったが、それでも生きることを辞めなかった。そのために、耐えるのではなく、逃げる道を選んだ。
その後エディは結婚し、息子が生まれる。101歳となった今でも生き続けている。エディが思うヒトラーへの復讐は、憎むことではない。世界で一番幸せな男になることだ。私は本作で「憎まない」と「許さない」が共存することを知った。
この本には、突然すべてを失う言いようがない恐怖はもちろん、それでもエディは生きているという希望も詰まっている。収容所での描写はとても詳細だが、描かれていない凄惨さもあるだろう。ナチス政権を二度と繰り返してはならない、絶対に許さないという認識を強めるには最適な一冊かもしれない。本作を読み終えた後は、一冊でも多くの関連本を読みたいと思った。