映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」のなんでもないシーンで泣きそうになった
2020年は、自分の中の映画熱が再燃した年だった。2012年から4年間、大学の映画サークルに所属していた私は、年に何十本も映画を観ていたのだが、大学卒業と同時に、映画を観る機会が減っていった。
ここ数年は、余程の話題作でもない限り、劇場で観たりDVDを借りたりしなかった。そもそも話題作すら追えていなかった。そんな状態の私だったが、夏のある日にふと「映画館に行ってみよう」と思った。
久しぶりに劇場で映画鑑賞をして「やっぱり映画は面白い」という結論に至った。映画館のスケジュールを頻繁にチェックし、話題作じゃなくても観に行くようになった。2020年の下半期は、8回映画館へ足を運んだ。一般的な映画ファンに比べたら少ない方だが、近年の私にしてはかなり多い。
劇場で観た8本全てが、それぞれ違った方向で印象的だが、特に記憶に残っているのが、11月に公開されたアレクシス・ミシャリク監督のフランス映画「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」だ。
これは、19世紀末にフランスで上演され、100年以上愛され続けている舞台「シラノ・ド・ベルジュラック」がどのようにして誕生したのかを描いた作品である。ちなみに、これまで「シラノ・ド・ベルジュラック」はアメリカのブロードウェイで上演されたり、ハリウッドで映画化されたりしている。
映画の舞台は1890年代のパリ。主人公は劇作家にして詩人のエドモン・ロスタン。ストーリーは、エドモン作の舞台が「とんだ駄作」だとして大失敗に終わるところから始まる。その舞台の2年後、エドモンはヒット作を出すこともなく、スランプに陥っている。
ある時エドモンは、2年前の舞台で主演を務めた大女優のサラ・ベルナールの伝手で、名優のコンスタン・コクランに会うことになる。エドモンはサラに、ただ会うだけではなく、作品を持っていくように言われる。未発表の作品はあるのかというサラの問いに、エドモンは「もちろんあります」と答えるが、実際にはそんなものはない。
その後、エドモンはカフェのマスターのヒントを頼りに、200年前に実在した剣術家にして作家のシラノ・ド・ベルジュラックを主人公にすることを決める。ただし、シラノ・ド・ベルジュラックのキャラクターを借りるだけで、ストーリーは自力で生み出さなければいけない。
エドモンはコクランに会って「このチャンスを何としてでもものにしたい」という思いで、舞台のアイディアを即興で並べ立てる。そのアイディアを面白く思ったコクランは、「喜劇」を条件にゴーサインを出す。
実は借金を抱えていたコクランは、「パリ中の劇場から追放する」と古巣の支配人に激怒されてしまう。仕方がないので、すでに来月まで借りている劇場で「シラノ・ド・ベルジュラック」を上演することを決める。上演まで一ヶ月を切っているのに、まだ何も書けていない。
エドモンは、くせ者揃いのキャストのワガママを聞きながら稽古して、毎日必死に脚本を書く。果たして無事に公演を成功させることが出来るのか…というのが簡単なあらすじ。
ストーリーとしては単純なコメディで、テンポも良くて面白い作品だと思った。それぞれの登場人物の魅力も出ていて、何よりコクランの「理不尽なことをサラッと言ってしまう」キャラが良かった。
私が特に「良いなあ」と思った場面がある。間もなくシラノ・ド・ベルジュラックが初上演される劇場に、たくさんのお客さんがワクワクしながら集まってくるシーンだ。この場面自体は本当に何でもないシーンで、特に重要な所でもない。ただ多くのエキストラたちが入場したり席に座ったりする、何の変哲もない時間だった。そんなシーンだったにも関わらず、私はその場面を見て思わず泣きそうになった。
2020年は、普段通りにエンタメやカルチャーを享受出来る年では無かった。音楽、演劇、映画、お笑い、それら全ての表現活動を、作り手の思い通りに実行するわけにはいかなかった。私がその場面を観て泣きそうになったのは、それが2020年に失ってしまった光景だったからだ。年齢も生活環境も違う大勢の人たちが、「これが観たい」という一つの目的で集まってくるという、日本どころか世界中で毎日のようにあった当たり前の光景は、当たり前では無くなってしまった。そういう場面を見るだけで、私はとにかく感動した。
「笑いたい」「感動したい」という思いを胸に、それぞれ出自の違う人間がお金を払い、楽しみで胸を膨らませながら劇場の席に着く光景は、実は奇跡的なものだった。それが再確認出来ただけでも、「シラノ・ド・ベルジュラックに会いたい!」を観て良かったと思っている。
演劇が好きな人はもちろん、演劇と縁の無い生活を送っている人にも、是非一度観てもらいたい作品である。
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