アジアのダンスシーンに訪れる新たな混沌
2024年3月23日、私も主催メンバーとして関わる、アジアのダンスミュージックにフォーカスした不定期開催のパーティー「深夜亜細亜」を和歌山市で開催した。韓国からはSeesea、ACS(88JEONG/C BONG SAE)、DJ Yes Yes aka Park Daham、国内からはsoi48とMMM(stillichimiya)がゲストとして参加し、会場は大いに盛り上がった。深夜亜細亜を含むこのツアーは福岡〜和歌山〜歌舞伎町を巡り、非常に印象深いものとなった。
先日公開されたPitchforkの記事が、このパーティー/ツアーとリンクしていたため、備忘録を兼ねて私的に翻訳した。著者のJames Gui氏はPitchforkやBandcampなどに特にアジアのミュージックシーンに関する良質な記事を沢山投稿されている。なお、オリジナル記事にはプレイリストやYouTubeリンクが含まれており、翻訳に誤りがある可能性もあるため、オリジナルを参照していただきたい。
(怒られが発生したら消しますので悪しからず)
免責:
This translation of the original Pitchfork article was conducted by Joe Mio and may differ from the original text's intent. The translation is provided solely for educational and informational purposes to facilitate understanding of its content and is not intended for commercial use. If you have any concerns regarding this translation, please contact jmworks@gmail.com. Should Pitchfork or the original copyright holder raise any concerns, we are prepared to remove the translation upon request.
アジアのダンスシーンに訪れる新たな混沌
過去10年間で、アジアのアンダーグラウンドの電子音楽や実験音楽シーンは、国境を越えた新たな繋がりを築き上げてきた。次に来るのは、世界的なムーブメントなのだろうか。
James Gui 2024年10月5日
ソウルで2022年に開催されたBoiler Roomのパンデミック後初のイベントで、特に際立ったパフォーマンスがあった。カラフルな傘の帽子をかぶり、鉄製のハサミを手にしたソウル拠点のDJ兼プロデューサーSeeseaは、高速でエネルギッシュなK-POPのエディットや、リズミカルなバックビートを特徴とする「トロット」や「ポンチャック」と呼ばれるジャンルの楽曲を披露した。トロットは、日本の演歌と西洋のダンスミュージックの融合によって、日本の植民地時代に生まれた音楽で、時には独自の韓国的な精神を感じさせるとされている。2022年初め、NewJeansのプロデューサー250は、東廟(トンミョ)の中古電子機器店や昼間のダンススタジオ「コラテック」で約10年間探し求めた「ポン」の集大成として、アルバム『PPONG』を発表した。Seeseaのセットは、オンラインでは賛否両論であったが、ポンチャックのアナログシンセの独特な音色や、荒削りな歌声は、文化的背景を理解している観客には好評を得た。
過去10年で、ソウル、マニラ、東京、ホーチミン、上海、台北、バンコクなど、アジアのアンダーグラウンドな電子音楽や実験音楽シーンが、それぞれ独自の言語を発展させ、アジア内でネットワークを築き始めている。「アジア」という言葉を用いる際には常に注意が必要だ。経済連合のASEANから、暴力的な帝国主義プロジェクトである大東亜共栄圏まで、汎アジア主義は歴史的に、上からの均質化の試みであった。しかし、この新しい汎アジア主義は、むしろ草の根的でアジア内相互の現象である。これらの音楽は、ヨーロッパのクラブの洗練されたテクノとは異なり、大胆で過剰なサウンドなのだ。
(訳注:汎アジア主義(Pan-Asianism)は、19世紀後半から20世紀前半にかけて、アジア諸国や民族が連帯し、特に西洋の帝国主義に対抗するために協力し合うべきだという思想として発展したもの。それに対して、後述のインターアジア主義(Inter-Asianism)は、より現代的な概念であり、アジア諸国や地域間の相互交流や協力を強調するもの。)
2020年、アーティスト集団およびレコードレーベルEternal Dragonzが、ロサンゼルスとオーストラリアのコミュニティ組織を支援するための資金集めコンピレーション『Embers』を発表したことが大きな転機となった。このアルバムは、ソウル、ハノイ、クアラルンプール、東京のシーンを結びつけ、内省的な思考と抗議の精神が混ざり合う音楽で構成されていた。翌年、イギリスのクラブコレクティブEastern Marginsが『Redline Legends』をリリースした。これは、インドネシアのファンコット、ベトナムのビナハウス、シンガポール/マレーシアの慢揺(マンヤオ)、フィリピンのブドッツといったポンチャックに似たアジア各国のジャンルに対する力強いオマージュである。そして2022年には、ロンドンの電子音楽レーベルCHINABOTが、スリランカ、カンボジア、タイ、イギリスの伝統的な音色とエレクトロアコースティックの要素を融合させたコンピレーションアルバムで設立5周年を祝った。
これらの試みは、アジアのアーティストたちの活動と共に実を結びつつある。2023年には、Manila Community Radio(MCR)がBoiler Roomの注目の「Broadcast Lab」を主導し、フィリピンのクラブシーンの大胆で過剰な音楽スタイルを世界的なプラットフォームに乗せた。ブドッツのパイオニアであるDJ Love(Sherwin Tuna)のセットは、厳格なテクノ愛好者の間で物議を醸したが、2000年代からフィリピンで広く親しまれているこのストリートミュージックを西洋のリスナーに紹介するものとなった。
韓国では、アンダーグラウンドのアーティストと文化機関の間でアジア内の文化圏を育む上で重要な人物の一人がパク・ダハムである。彼はノイズアーティスト、プロモーター、DJ、レーベルの代表など多彩な役割を担っており、2015年に日本のDJクルーSoi48と共に初開催したイベント「Asian Music Party」の主催者でもある。2年後の2017年には、アジアにおける実験音楽や即興音楽、インディペンデントミュージックのサウンドネットワークを作ることを目指したキュレーションプロジェクト「A Melting Pot」もスタートさせた。2017年に代替芸術空間Post Territory Ujeonggukで行われた初回の集まりでは、Yan Jun、Martinus Indra Hermawan、Dawang Huangによるトーク、映画上映、パフォーマンスが開催された。
彼の活動は、パンデミック後にさらに広がり、クラブシーンにも及んでいる。2022年には、ベトナムのコレクティブNhạc Gãyを招き、ソウル市立美術館でSeeseaや実験的クラブミュージシャンのbelaと共にパフォーマンスを披露した。パンデミック後は、アンダーグラウンドスペースACSを運営するDJデュオのC Bong SaeとPalpaljeongも加わり、彼らの活気あるパーティは「Future Kwankwang Medley」をはじめとして、ブドッツ、ファンコット、ポンチャック、そして「GOiiBBER」と呼ばれるハードダンスのハイブリッドを取り入れたイベントを頻繁に開催している。GOiiBBERとは、韓国語の「奇妙なキノコ(괴상한 버섯)」とオランダ発祥のハードダンスジャンルを掛け合わせた言葉遊びである。
特に日本では、第二次世界大戦後に地域主義への関心が続いている。1999年に開館した福岡のアジア美術館は、「アジアの近現代美術を体系的に収集・展示する唯一の美術館」と自称している。また、アジアからの音楽を発掘する多くの日本のセレクターたちは、現代のエスノミュージコロジスト(民族音楽学者)とも見なされるだろう。渋谷のパーティ「DUGEM RISING」は2010年からファンコットを回し続けており、東京のDJコレクティブSoi48はモーラムへの愛を地域に広めている。村上巨樹や岸野雄一は定期的にミャンマーを訪れ、打楽器を中心とした宮廷音楽であるサインワインを掘り起こしている。さらに、韓国のインディバンド「Kiha and the Faces」で活動していた長谷川陽平は、韓国や華語圏のレアグルーヴに関する豊富な知識を自身のミックスに活かしている。ノイズミュージックの領域では、大友良英の「Asian Meeting Festival」や「Far East Network」が、柳漢吉(リュウ・ハンキル)(韓国)、Yan Jun(中国)、Yuen Chee Wai(シンガポール)、dj sniff(香港)といった即興演奏家たちをアジア全体で結びつけてきた。
しかし、日本における汎アジア主義の歴史は無垢ではない。日本の美術史家岡倉覚三(岡倉天心)が1903年に「アジアは一つである」と宣言して以来、この地域の想像上の統一は西洋の帝国主義に対抗するためのスローガンとして機能してきたが、その考えは第二次世界大戦中、日本によるアジアの広範な征服の口実となってしまった。そこで重要な問いが浮かぶ。いわゆる新しいインターアジア主義は、これまでの芸術や政治運動とどのように異なるのか?答えは、イエスでもありノーでもある。汎アジア主義が主に東アジアの国々や個人によって提唱され、東南アジアの仲間が除外されるという批判はよく聞かれる。実際、現代の音楽における汎アジア運動の最初の試みは、1973年に設立された「アジアン・コンポーザーズ・リーグ」だったかもしれない。創設メンバーは台湾、香港、日本、韓国からの作曲家で、西洋クラシックの伝統に基づく音楽を作り出し、いずれも鉄のカーテンのこちら側に属していた。しかし、東南アジアのアーティストたちが主導する新しいインターアジアのアンダーグラウンドは、これまでの歴史をボトムアップ、すなわちシーン同士のレベルで再構築し、これらの埋めがたい違いを認識しつつ、相互認識やつながりについて新たな考え方を模索している。
DIY組織は、地域のアジアシーンがより広範に認知されるために、制度的な資金を活用している。2018年から2022年まで、マニラの実験芸術フェスティバル「WSK」は、インドネシアの「Yes No Klub」、シンガポールの「PlayFreely」、ベルリンの「CTM Festival」と協力し、「東南アジアにおける実験的な音と音楽文化を研究し、地域内およびヨーロッパやその他の地域と対話を促進すること」を目的としたプロジェクト「Nusasonic」に参加した。ブドッツ、ダンドゥット、抗議音楽、ノイズに関する英語の記事を特集し、Nusasonicの研究やイベント、そして2022年のコンピレーションアルバム『Common Tonalities』は、アンダーグラウンドにおける新しいインターアジア主義を主張している。
結論として、アジアのアンダーグラウンドアーティストたちは、西洋よりも隣国からインスピレーションを得ることが増えている。ベルリンはクラブシーンの中心ではなくなりつつあるが、それでもこれらのDJたちは時折訪れている。今年のCTMフェスティバルでは、タイのプロデューサーPisitakunが「The Three Sound of Revolution」と題したシリーズをキュレーションし、C Bong Sae(ソウルのDIYスペース、ACSのオーナーの一人)、Teya Logos、マレーシアのDJ Wanton Witchを招いて、それぞれの文脈における抗議と音楽の共通点を結びつけた。ディアスポラの中で共通する周縁化された経験とも相まって、このインターアジア的な連帯は、異なる背景を持つ幅広い人々を結びつける可能性を持っている。
もちろん、これらの違いはしばしばコラボレーションを困難にする。2016年のWKCRのインタビューで、大友良英は「韓国、日本、中国、シンガポールがこうして話す機会なんて、これまでまったくなかった。そもそも、会うチャンスがない。共通の言語すらないし……そもそもチャンスがない。歴史的に見ても、この100年、特に韓国、日本、中国の間では、そんなに良いことはなかったから。」と語っている。
アジア内の地政学的なヒエラルキーは、時に乗り越えがたい壁となる。今年の初め、ACSはフィリピンのDJTeya Logosをソウルでのイベントに招いたが、韓国大使館が彼女のビザを拒否したため、直前にキャンセルとなった。西洋のアーティストが韓国に入国する際には問題がない一方で、ベトナムやフィリピンなど東南アジア諸国のアーティストは、韓国の厳しい移民政策によりビザを取得するのが難しい。また、東アジアと西アジアの間での政治的な連帯の試みも、時には無視されることがある。Pisitakunの「The Three Sound of Revolution」は、プロパレスチナの声を封じたとしてBerghainのボイコットを呼びかけた「Ravers for Palestine」の抗議にもかかわらず、Berghainで予定通り行われた。
これらが1990年代のアジアアンダーグラウンドのように、再び世界的なムーブメントへと繋がるのだろうか?(訳注:90年代にイギリスでアジア(特にインド)音楽とクラブミュージックが融合するムーブメントが起こった。)私はそうは思わないし、むしろそうならないことを願っている。ここで最もエキサイティングなのは、シーン同士の交流がますます活発になっていることである。ソウルのクラブクルーInternatiiionalが台中のDAOと繋がり、ホーチミン市のRắn Cạp Đuôiが韓国のデコンストラクティッドクラブプロデューサーNET GALAとコラボし、東京拠点のSoi48がバンコクのXuxu Partyでイベントを開いている。アジアの音楽シーンが互いにインスピレーションを求め合っている今、追いつくべきは私たち西洋側である。