初めまして。音楽×絵本×子どもの活動をしています!
今日からnoteをはじめました。
■0歳からの音楽教室「音の自由教室クレエ」代表。
■一般社団法人「日本音楽絵本推進協会」代表理事をしております
寒河江克枝(さがえかつえ)と申します。
こう書くと、私の名前もだし…なんだか堅そうな感じですか…
どちらも、子ども×音楽×絵本がテーマの活動です。
初めましてなので、自分のプロフィール含めてご紹介したいと思います。
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夫と7歳と4歳の娘2人と東京で暮らしています。
生まれは長野県上田市。
緑豊かなところで、3人兄弟の末っ子として生まれました。
病弱な幼少期
生まれつき肝臓の病気があり、1歳と12歳の頃に大きな手術をしました。
小学校高学年の頃は、入退院の繰り返しで、卒業式の日に、出席日数が足りてませんって言われたとか。
義務教育なので無事に卒業できましたが、親は相当びっくりしたようです!
入院生活と言っても、基本元気!
小児科の大部屋に入ると、同じくらいの子供たちが入院していて、みんなで夜、ナースステーションの前を、看護婦さんに見つからないように通り過ぎ、病院内を駆け回ったり、夜中までゲームをしていて、見回りが来たら全員ベッドに戻って慌てて寝たフリしたり(笑)
今思えば、寝てる下にゲームやトランプが散乱しているからバレバレだったと思いますが(^^)
昼間は、同じお部屋の子達は、病院内の学校に行ってしまうので、残された私は、隣の部屋の小さな子供たちと遊んだり、生まれたばかりの赤ちゃんを見に行ってガラス越しで眺めたり。
看護学生も研修に来るので、話し相手になってもらったり。
その時に、看護学生に「小児科の看護師になるにはどうしたらいいの?」と聞いた事があります。
すると「看護師になっても、科を希望することはできないんだよ。どこにいくか分からない。」
と言われて、小児科で看護師として働く、というのを諦めました。
(大人になって思えば、希望できないというのは大きな病院に就職した場合であって、小児科しかない医院に就職すれば良かったですよね。)
その頃から、入院している子ども達の姿を見ていて、何かしてあげたい!っていう思いがあったんだと思います。
なぜか、小学校での出来事よりも、病院での記憶の方が、楽しかった思い出として鮮明に覚えています。
小児科の看護士がダメなら保育士さんかな〜なんて、漠然と思っていました。
そして、もう一つ好きだったのは歌う事。
小学生の頃、学校の合唱部に所属し、6年の頃はリーダーを務めていました。
公立の小学校ですが、実力のある先生が担当していて、県ではいつも金賞。全国大会にも出場しました!
でも、合唱部での歌ではなく、、、
家で姉とカラオケの如く、歌手になりきってJポップを歌っていました!
卒業文集でも、将来の夢は「歌手になること」と書いたと思います。
音楽大学入学に向けて
ピアノ教室には、5歳年上の兄が、友達が通っていたピアノ教室に付いて行き、勝手に入会してきた!というので通い出しました。
勝手に入会してきたのに、ならばと親はヤマハのアップライドピアノを買い与え、ついでといった感じで姉も私もピアノ教室に入室しました。
実家は、全く裕福な家庭ではありませんが、子どものやりたい事や習い事、教育にはお金を惜しまず使ってくれました。
その事は、自分も親の身になり、すごい事をしてもらっていたんだと本当に感謝です。
小学校、中学校の頃は、毎日習い事に通っていました。
ですが、通うだけで家では何もしない。
ピアノも練習熱心ではないので、宿題はレッスンの前日に慌ててやるくらい、、、
後は、学校や合唱で頼まれた伴奏ばかりを練習していました。
それでも、先生は優しくて怒らない。
親が呆れて「たまには練習したらー」と言うくらいで、いい意味で放任でしたので、ピアノ教室を辞めたい!と思った事はなく、続けていました。
親からも、練習しないなら辞めなさい!と言われた事がありません。
同じように練習をしない3兄弟でしたが、今では兄は作曲家として仕事をしています。
早々にピアノ教室を辞めた姉は、保育士としてピアノを弾いたり、社会人のバンドを組んで、イベントや施設などで歌っています。
音楽とは無縁だった両親ですが、子ども3人が音楽の道に進んでいることは、不思議でなりません。
中学生になり、ゆるゆると続けていたピアノですが、高校生になると勧められるまま、受験コースの先生に変わりました。
そこで、音楽大学に進む、という進路が見えてきます。
当時、歌を習っていた先生が、小学校の音楽専科の先生でしたので、「先生みたいに、小学校の音楽専科なりたいです!」
と相談しましたが、「音大を出ても、中学校、高校の免許しか取れない。小学校の音楽専科は、たまたま空きが出てお声が掛かっただけで、希望してもできるものではないよ。」
と言われて、また諦め、、、
やっぱり、小さい子どものために仕事をしたい!という想いが強かったんですよね。
幼い頃から、自分の中で
「子ども」と「音楽」
という軸はブレずにあり続けたように思います。
大学に入って挫折
無事に、希望していた国立音楽大学の音楽教育学部に入りました!
ほんとに、優秀な先生たちのお陰です。
ただ、全く成績優秀ではない私。
無事に入学できましたが、入学してからが大変、、、
ほとんどの子は、中学や高校から音楽高校に通っていて、大学受験での試験内容は、習っている事のごく一部。
普通科の高校で、試験のための勉強しかしていない私とは既に差がありました。
やってきたピアノ曲も、試験のためにベートーベンやらバッハやらやりましたが、他に大曲はほとんどやってきていない。
ピアノの教授から「今まで何をやってきたんだ?」と呆れられました。
ほとんどの学生は、幼い頃から必死に練習して学んできた子達ばかりなのです。
会話も「ショパンの○○いいよねー」とか、、、クラシックなど、ほとんど聴かないで過ごしてきた私にはさっぱり、、、
「カラオケは喉を痛めるから行けない。」と、、、
高校時代は、しょっちゅう友達とカラオケに行って歌っていた私とは大違いです。
入学して初めて、大変なところにきてしまった!と思いました。
大学デビューという言葉があるくらい、皆さん大学にきて楽しむんでしょうが、私にとって、遊んでばかりいた中学•高校に比べて、1番真面目な学生時代が大学生でした。
成績が悪い私の就職活動
入学してからすぐに、就職先探し。
希望は
「子ども」「音楽」。
それだけなら音楽教室に就職すればいいので、いくらでもありますが、生活はできない、、、
音大卒業者で1番難しいかもしれない
「安定したお給料」
というのも条件です!
なぜかと言うと、もちろんお金を頂くことは大事ですが、病気がちな私は、母親からこう言われ続けていました。
「あなたは病気があるから、結婚は無理かもしれない。相手の方が良くても、相手のお家は必ず反対する。だから、1人でも生きていけるような仕事に就きなさい!」と。
言われていた時は、なんてひどい事を言う母親なんだ!と思っていましたが、言われるとその言葉が染み付いていくもんなんですね。
音楽では食べていけない!と言われますが、音楽でちゃんと生活していきたい!と思っていました。
すると、希望する地元長野県での就職先に、私立幼稚園での音楽の先生の募集がありました!
希望している小さな子への音楽指導。
そして、安定した収入。
これだ!!と思い、大学1年生の頃から問い合わせをしていました!
まだ早いですよ!と何度言われたことか(笑)
もうここしかないと思い、就職に有利になるためには、リトミックをやっておこう!と、授業ではリトミックを選択。
エレクトーンが弾けるといい!と聞いて、エレクトーンのサークルに入部。
吹奏楽の経験がなく、楽器の事を全く知らなかったので、知るために吹奏楽に入り、初めてフルートを練習。
ピアノを教える経験をしておこう!と、養護施設の子どもたちにピアノを指導するボランティア活動に参加。
あった方がいいと聞いて、大手音楽教室の指導グレードなどを取得。
就職に少しでも有利になるならと、色々やっていました!
5名だけの狭き門でしたが、無事に希望通り就職。
系列幼稚園が長野県内に沢山あるのですが、その中で、県内一の生徒数を誇る、大きな幼稚園の音楽専科として配属されました!
音楽の先生として
いきなり50名の生徒のピアノ指導。
リトミック指導。
鍵盤ハーモニカ指導。
鼓笛隊指導。鼓笛の編曲。
歌の指導。
当然ですが、音楽大学で学んでいない事や経験がない事も、
「音楽の先生」
としていきなりスタートするわけです。
現場を経験しながら、先輩達のやり方を見ながら、少しずつ自分の中でも「音楽の先生」が出来上がってきました。
組織の中で働くというのは、正直大変な面が沢山ありましたが、先生としての自信や、その後の活動に大きく影響する学びがたくさんありました。
その後、大学時代からお付き合いしていた今の主人と結婚し、転勤先の茨城に引っ越しをするため退職する事になります。
母親から、結婚はできない!
と言われていましたが、主人が結婚の挨拶に来た時には「相手のお家が反対しても、2人で生きていけばいいね。」と、駆け落ち?とも取れる発言(笑)
主人の実家は仙台で、歴史好きが多く「仙台と長野は伊達家と真田家で繋がりがある!これはご縁だ!長野はいいところだ。」と喜んで下さいました。
私の病気の事は、主人から話したようですが、あまり聞いていなかったのか、後から確認したら、よく分かってなかった!と言っていました(笑)
結婚はできないと思っていましたが、無事に結婚し、今度は「子ども」と「音楽」という
ほんとに自分が好きな事だけ
やっていく事になります。
さいごに
自分の紹介をささーっと書こうと思ったのですが、幼少期から振り返るとついつい余計な事まで書き続けてしまいました、、、
でも、書きながら今の自分の原点!が分かった気がします!
書ききれなかったので、次回今の仕事を始めるまでの事が書けたらと思います。
成績が悪い私が、自分のやりたい!だけで進んできたこと。
誰かの励みになれば嬉しいです!
最後までお読み頂きありがとうございました。
【音の自由教室クレエ】
♪2017年より音楽絵本を使って<音楽力><想像力><創作力><表現力>の4つの力を育てる音楽教室。
♪0歳からのグループクラスに、ピアノやバイオリンの楽器クラス。
♪小学生のクレエ勝どき児童合唱団。
♪東京勝どき•深川•新潟県三条市で開講
【日本音楽絵本推進協会】
2020年4月、一般社団法人 日本音楽絵本推進協会 設立。
♪音楽絵本講師を育て、音楽絵本を世界へ!