エリカ混声合唱団のはなし
今年1年間お付き合いくださった合唱団との大きな演奏会が終わり、一段落したので雑感をまとめます ─── 楽理科的な文章ではないので悪しからず。
(見出し画像:東京都立大学エリカ混声合唱団 公式twitterより)
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初めてエリカの練習に足を運んだのは今年の6月。お話をいただいたのはさらに前の2月だった。オファーをいただいた指揮者さんとは以前SYC(湘南ユースクワイア)で伴奏したご縁がきっかけ。やはり合唱の伴奏は団員さんとのつながりが大きいので、このようにお誘いくださったのは本当に嬉しかった。クリスマスに開催される定演に向けて、複数の演奏会をプロットとしながら練習を進めていく。コロナの影響もあり、思うような活動ができなかったり学外で合わせをしたりと、団員の皆さんは本当に苦労が絶えなかったことと思う。
定演で演奏するのは全て信長貴富作品。『恋唄・空』『かなしみはあたらしい』『青春譜』『春』の4曲で、今まで共演した他の演奏会ではこのうちいずれかを演奏してきた。これまで、東京都合唱祭や南大沢コーラスフェスティバルで定演曲を伴奏し(大学祭も伴奏する予定だったけれどコロナで部外者の立ち入りができなかった)、少しずつ各作品や合唱団との距離が縮まっていった気がしている。
どれももちろん素晴らしい曲だけれど、『恋唄・空』は個人的に大好きな曲。
高校に入ったばかりの頃、合唱部の先輩達に異様なまでの強い勧誘をされながらも吹奏楽部に入った私。この決断の良し悪しを考えることは決してしないけれど、合唱部に入らなかったことを半ば後悔した作品が『恋唄・空』だった。高2の頃、同級生たちはこの作品を一生懸命に歌っていて、私は無性に羨ましく思ったのをはっきりと覚えている。この歌は音楽も好きだし、詩も当時から大好きだ。
「君のいじわるな一瞥につまづいてみたい」なんて、どんな人が生み出せる日本語なのだろう、と。
そんなわけで、定演第2ステージの1曲目に当たる『恋唄・空』にはかなり特別な思いがあり、普段と明らかに違う指揮者や合唱団の集中力に気圧されがなら本番でピアノに向かっていた。楽譜の4ページ目くらいから合唱が太い軌道に乗っていて、これは素晴らしいものになる(、絶対にそうしなければ)と確信した。
伴奏の書法も大好きなのでピアノを弾くだけでも楽しく、みなさんとアンサンブルをできたのは本当に至福だった。
精神論的なことは普段一切考えないし、ましてや書くこともないので自分がこんなことを書きとめているのも少し面白おかしいのだけれど、私がそんなことを感じるくらい純粋で素敵な演奏だった。合唱団の皆さんにも、そう振り返ってほしいと思っていた。
そうそう、それから、団員さんのtwitterをたまに眺めているのだけど、私が出そうとしていた音色を巧みに言葉で表現なさっていて、自称・音色研究家としてはたいへん嬉しく拝読している。楽器に求めた音が同じ演奏者の耳へ思い通り伝わっていたのだと知るのも本当に幸せだ。これまでの半年で、伴奏を気に入ったという声を団員さんや周囲の方々から沢山くださったのは嬉しい限り。
正直なところ、本番では今まで感じたことのない集中力と強い歌声、そしてなんと言っても指揮者の圧に戸惑い圧倒され、普段するはずのない単独事故を起こしてしまった。伴奏者としてはあるまじき行為であり、じっくり反省する必要がある。
本当にごめんなさい…
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というわけで、エリカの伴奏はこの定演をもって任期終了。
のはずでしたが、次期副指揮者さんから伴奏のお話をいただき、来年もご一緒する方向で調整が決まりました。本当に嬉しく思っています。
また、湯川晃先生、津久井康明先生という心強いお二人の指導陣から、この合唱団へ音楽的なテコ入れとサポートをしていこうと激励をしてくださったので、既に今から楽しみで満ち溢れています。
私が伴奏で参加するということで来年度の乗り番に興味を示してくださった団員さんも多くいらっしゃるとのこと。就活などで一旦離れる団員さんともまたお会いできる日を楽しみにしています!
追記 2022.1.2
note上での空リプ。
私は生の言葉で誰かを音楽的に評価することがたいへん苦手だ。というのも、言葉を慎重に選びすぎる性分だから。私が関わっている人には、音大生もいれば偉い先生方もいるし、一般大生や高校生もいる。その相手に対し音楽をどのような言葉に変換して伝えれば適切なのか、迷うことはしばしばだ。数日経ってから、その日のリハでの発言を後悔することがあるほどなので、ちょうど良いのは客観的に考えながらこうして文章にしてみることだ。
そんな言い訳を前置きに、せっかくだから某指揮者さんのことを少しだけ書き留めて追記としてみたい。
Wikipediaによると、私たちが演奏した4作の作曲家である信長貴富さんは音大を卒業なさっているわけでもないし、高度な専門教育を受けたわけでもないという。もちろん音大卒でない人を見下すつもりは全くない。むしろ、氏の作品には「日本の音楽大学」的なニオイがなく、幅広い対象に親しみやすい音楽だ。
いわゆるクラシックのピアノ作品ばかりに接している身としては、ピアノのパートに見慣れない音型が沢山みられるし、合唱の四声体にも面白い進行が散見される。しかし、音楽になればそれが不自然に感じることはほとんどなく、信長さんの合唱曲だ、とわかる。
今回ご一緒した指揮者の高橋さん。リハーサルから本番まで、また、個人的に会話をした中で、彼からは独特なアプローチを感じた。音大生の仲間と話している限りは現れないような言葉がリハで生まれたり、思いもよらない方向に合唱の舵を切ることがある。その言葉一つひとつを私はできる限り尊重し、こちらからの発言を最小限にして、指揮・合唱・ピアノのバランスを取ってみた。
本番までに音楽面で不安を持ったところは幾らかあったので、少しだけこちらから言葉でのアクションを起こした。しかし、ほとんどの提案はピアノの音でしてみたので、団員さんたちにも気づいたら音楽が変化していた、と感じる場面が何度かあったのではないかと思う。
堅苦しい作曲技法を勉強し、盲目的なままに囚われてしまうと、このような合唱曲の特性を生かすことは難しいと思う(こうした知識の有無をとやかく言うつもりは全くない)。言葉を中心に作り上げていく高橋さんのアプローチは、音符を先に読んでしまう私にとって非常に新鮮なものだった。「言葉を軸にし、かつ音楽的に明確な意思を持っている学生指揮者」という存在におそらく初めて出会ったため、私は彼への興味を持ったのだと思う。本人はリハで何度も迷いを見せていたが、それは彼の中にある音楽を言語化する過程での迷いであると私は感じていた。
リハの進め方や合唱団とのコミュニケーションという面では私はほぼ素人なので、それを評価することなど到底できない。彼が音楽を作り上げ、指揮台に立つ姿を見ていく過程で、私はまたご一緒したいと感じるようになった。
彼の意図を丸切り音楽にできた自信はないけれど、彼の個性を音楽にする手伝いはできたのではないかと思っている。
それではまたいつか。
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