「テッド・バンディ」を観て
①一緒に観た人
ドイツ留学時代の友人。旅行が大好きなIT系男子。正月は弾丸でウズベキスタンに行って、スーツを買ってきたとか。
②観たもの
「テッド・バンディ」映画
シリアルキラーの語源にもなった殺人鬼テッド・バンディ。そんな彼と交際していた女性がいた。その女性からの視点を織り交ぜながら、彼の正体について描いた作品。
③観賞後の感想
・容疑者が法廷で自身を弁護する(日本では起きないこと?!)
テッドは法学部の学生だったからということもあって、法律の知識がある。だから、自分の弁護を、弁護士を差し置いて、始めてしまう。そして、それを裁判官も許す。
私:裁判ってもっと形式的なものだと思っていたから、自分で弁護を始めちゃうなんて、少なくとも日本ではあまり見ないよね。
友人:それで言うと、ゴーンさんの「記者会見」とかもそうだよね。日本を脱出して、自分で記者会見を開いて、無罪をメディアを通して世の中に訴えちゃうところ。
罪の内容は別として、自分で弁護をするみたいなことって、「人任せ」じゃなくて、責任感あるなと思った。もっと言うと、「戦略的な人は自分がプレイするゲームのルールを熟知している」ってこと。
最近読んだ本「憲法の条件」に書かれていた「人の支配 vs. 法の支配」を思い出した。
「人の支配」とは、権力をもつ人間の意思次第で、社会をいかようにも変えることができることをいいます。それに対して「法の支配」とは、その社会の支配構造の中でも最も有理なポジションにいる人 ーたとえば権力があったり、財力があったりする人ー でさえも、法には従わなければいけない、ということです。
出典:憲法の条件 戦後70年から考える|大澤真幸/木村草太|NHK出版新書
法律って、すごくフェアなものだし、法律を知ることで、主体的にゲームをプレイできるようになるから、法律をもっと身近に意識して生活していきたい。
・高校の時に受けた「forensics」(科学捜査)の授業を思い出す
アメリカの高校で取っていた授業に「forensics」というものがある。よく刑事ドラマで「鑑識の人」が出てくるが、その「鑑識の仕方」について学ぶ授業だった。その授業で「テッド・バンディ」を勉強した。殺人現場の状況などを簡易的に再現して、「はい、本物だと思って鑑識しましょう!」みたいなことをやった。
友人:実践的でいいね!日本の学校でも「科捜研」の人を呼んで、そういう授業できたらいいのかもね。
私:「...かそうけん?」
友人:「科学捜査研究所」の略だよ〜
・サイコパスは潜んでいても分からない
映画の最後に、テッドバンディの実際の映像が流れるのだが、確かにチャーミングで、人を魅きつける何かがある人だな、と思った。友人の言葉を借りると「人たらし」。だからこそ、そんな人が、数十人もの女性を残虐な方法で殺していたなんて、まさにサイコパス。
監督がこの映画を作った理由の一つに、大学に通う20歳と24歳の自分の娘たちが「テッド・バンディ」を知らなかったから、というのを挙げている。「テッド・バンディ」の事件から、振る舞いや外見だけで人を判断して信じてはいけない、ということが学ぶことができる。そのことを忘れずに、注意しようね、ということですね。
④終わりに
この映画は、法廷のシーンが中心に扱われていて、だから、法律メインの感想が多めでした。映画と直接関係があるわけではない部分で盛り上がったが、それはそれでよしとしましょう!←