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ユニークであること

中学時代、印刷室に自由に出入りできる程度に先生と仲良くなっていた私は女子向け学級新聞やら、何やら勝手に編集作成印刷して配っていた。もう何も残っていないけれど、なかなかあの年齢としては面白いものを作っていたのではないかと思う。実際に今それを見たらくだらない内容だったというのは容易に想像できるけれど、都会のオリーブ少女にあこがれる田舎の中学生、あのころから私の脳内は時々すごく忙しかった。


毎日30分以上自転車をこいで中学校に通っていた私の往復の通学時間はネタ探しの時間で、だれもいない田舎道をぶつぶつと独り言を言いながら、有能な編集者を気取っていた。セーラー服のスカートの中は着替えるのが楽なようにジャージのズボンをたくし上げ、白いヘルメットをかぶってはいたけれど。


あるときふと「ユニーク」をテーマにしたらどうかというのが降ってきた。なぜかその瞬間をよく覚えていて、父親に近所の人には挨拶をしなさいと厳しくしつけられていたけれど、そんなことしてられるか!と思いながらもなぜか挨拶をしていた山田さんちの前を自転車で通過しているときのことだった。秋の夕暮れだった。


それをもとに書いた女の子向けの学級新聞の内容は忘れてしまったけれど、ユニークという意味を調べてエッセイのようなものを書いた記憶はうっすら残っている。


そんな私が最近ここにきて「ユニーク」だといわれることがちょくちょく出てきた。私自身特別にユニークな人間だとも思っていないけれど、ちょくちょく言われるとやはり私はユニークなのかもしれないという気持ちになってくる。


改めて意味を調べてみると

同じようなものがほかにあまり見られないさま。めったにないさま。独特なさま。


独特なのか・・・私は・・・笑


意固地だったころの私だったら、反発していたかもしれないけれど、今の私はそうか、ユニークなのか、だったらもっとそこを伸ばしたらもっとユニークな人になれるかもしれない、という気持ちになっている。


今の職場には違う国籍同士で結婚している人が何人かいて、私に言われたくはないだろが、その人たちはみな、どこかかわっている。変な人、とかおかしな人、とかいうわけではなく、どこか変わっている。それこそユニークだと表現してもいいかもしれない。私もそういう何かがあるのだとしたらちょっとうれしい。


ユニークってなんだか愛嬌がある気がする。
面白おかしく生きることがテーマの私にはぴったりかもしれない。

自分のそういう部分をもっと育ててみようと思う。








2022年3月はこちらの番組のスポンサーをさせていただいています。パンチが効いたnoteと言われて嬉しくなっています。


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