必然ということ
人がそこで生きている意味は偶然ではなく必然だと捉えると見える世界が変わってくる。
冴えない人生だわ、とやさぐれてる人も、
人生最高!って楽しんでる人も、
おかれた場所で咲きなさい、と諭されてる人も、
世の中に憂いを感じてる私も、
そこにいる意味が必然だとすると、何かしらの意味があるということになる。そこに学びがあるということになる。
偶然だと思ったことも本当は必然で、その積み重ねで今があるのかもしれない。
こんなことを考えるきっかけになったのは、国がこんな状況で、こんな中でも普遍的な幸せはなんだろう、ということを相談したら、そこにあなたがいるのは必然だから、そんな中で輝けばいいと言うようなことを言われてから。
そうか、ここにいるのは必然か。
偶然も積み重なると必然になるのか。
私は引き寄せという単語をなるべく使わないようにしている。信じてないわけじゃない。どちらかというと信じている。そうでないと私の恵まれた出会いに説明がつかない。でもどこかスピリチュアル的な単語のようで、そこが引っかかってしまう。
そこで私は、必然という言葉に変換する。出会ったのは偶然かもしれない。でもそれは必然だったのだと。今の私を形どっているものすべて、必然の上に成り立っていると。
ただ言葉を入れ替えただけだけど途端に私にしっくりくる。このnoteを見つけてもらえたのは偶然かもしれない。でも私にとってそれは必然なのだ。あなたに今読んでもらえる、そのことは私には必然。
出会えたすべての人、
いま私が置かれている環境、
それら全ては私にとって必然で、意味のあること。
そういうことに支えられ守られて私は今日も生きている。