逆境力のこと
果たして私は逆境に強いのか。
私のことを知ってくれている人は、どうも私のことをそんな風に思ってくれている人が多いように感じる。
何年前だろう、本当につらくて辛くてたまらない出来事があって、どうにもこうにも悲しくて、でも何とか日々をこなしていた時にたまたま母から電話があった。母には心配をかけるものかと思っていたけれど、どうしようもなくて母に話した。そして母は「乗り越えられる人にだけ苦難が来る」というようなことを私に言った。なんだかんだと今、私がここにいるということは乗り越えた、ということか。
逆境とは何だろう。
順風満帆の逆なこと?
辞書には苦労の多い境遇とあるけれど、苦労ってなんだろう。
苦労と不便は違う。
今の私の暮らしはどちらかというと不便なだけで苦労ではない。あんまり苦労してない。つまり私は特に苦労が多い境遇ではない。不便が多いだけの境遇だ。
わが子が小さい時は今思うと大変だったかもしれない。あれは苦労だったかもしれない。でもそれは初めてのことだらけだっただけだからだろう、場所は関係がない。
料理するときも、丸鶏を捌くところから始めないと、胸肉だってもも肉だって得られないという暮らしではあるけれど、たいしたことではない。これは苦労とは言わない。めんどくさいだけだ。
この国に来てから21年。私はどれだけのことを乗り越えただろうか。
順風満帆、だったわけではないからやっぱりいろんな逆境があったといえる。ここには恥ずかしくてかけないような激しいことも、今でも胸がギュッとなることも。
そして、私はやっと気付いた。
私は逆境に強いわけじゃなくて、ただ感じないようにやり過ごしてきただけだと。
そうすることで自分が傷付かないようにしてきたと。
目の前の状況が大変だと思うと乗り越えるのがつらくなる。でも淡々と受け止めれば、それは何でもないことになると。
でももうそういうのはやめようと思う。
私は逆境に強いのだ。
逆境力があるのだ。
そう認めることで、
アイデンティティシフトするのだ。
きっとこの能力は誰にでも備わっていると思う。それを認めるか認めないかの差ではなかろうか。
もともと持っている力に目を向けて、それをはっきりと自分で認める。
それが私にとっては逆境力。
あなたはどんな力を持っていると言われますか?
そして、その力を自分自身で認めたとき、目の前が少しだけ明るく開ける感じがありませんか?
私に逆境力があると教えてくれた友達に感謝と愛を!