夢と現実の境目のこと【勝手にリレーエッセイ2023冬 #5】
多分21歳か22歳のころだったと思う。
いつか外国で暮らしたい。
私は紙にそれを書き、そして小さな箱にしまった。
それが夢だというのならば、私は夢をかなえたということになる。
そして今私は夢の中に生きている。
・・・・・
んなわけはない。
生きているのは現実という世界。
今でも毎晩停電するし、インフレがひどすぎてどうやりくりしてもお金は足りないし、道路の凸凹さにはほとほと嫌気がさしているし。
ああ嫌だ嫌だツライツライなんで私はこんなところにいるんだ面白くないにもほどがあるしイライラすることばっかりじゃないか!!!
でもそう感じたちょっと後にいつも思い出す。
そういえば私、夢をかなえたんだよね。
現実という塊と、夢という塊があって、
その間に薄い膜がある。
浸透圧、という言葉があるけれども、まさにそのイメージ。
その膜をその時の感情で行ったり来たりする。
現実の中から夢が生まれて、
夢の先には現実がある。
私はうろうろしたり、時には立ち止まりながら、自分の選んできた人生を振り返る。夢に付属した責任の意味をかみしめながら、現実を生きている。
今回夢の見つけ方、あきらめ方、というテーマでスタートしたリレーエッセイ、同じグループの方の書かれたエッセイをもう何度も何度も読んだ。
そして、第4走者イトーダーキさんの文章を読んで、私はとどめを刺された。
ああ、私はもう若くないんだな、と。
年明けすぐのnoteに私は書いちゃったのだ。
過程は評価する、そんな教訓じみたものはおなかいっぱいだ、と。
私にはもう過程を楽しんでいるような時間がないようなそんな気持ちなのだ。
夢に年齢制限があるのかないのかはわからない。
でもテーマをいただいてから、そして皆さんのエッセーを読みながら、そしてスタエフに飛び入り参加させてもらってから、ずっとずっと心の一番下に潜んでいた気持ち。
夢ってさ、これからの残りの人生の長さをどうとらえているかによっても変わるんじゃない?ってこと。
私の前を走ってきた走者(わかもの)たちがキラキラまぶしくて私どうしたらいいのかわからない。バトンを受け取ったようで受け取れないまま走り出した気でいるけど全然前に進んでいないのかもしれない。
でも、そういう自分の、老い、のような気持ち、そこから逃げずに向き合った時、私は、夢と現実には、実は大きな差などないのかもしれない、そんな考えに至った。
仲良くなった若い日本人女性。
彼女は夢だった通訳者になった。
夢が現実になり、それを続けるうちに、医者になるという夢が出てきた。そして通訳の仕事をやめて春から医学生になる。この先何年後かに彼女は夢だった医者になり、それが現実となったとき、どう感じるのだろうか。
我が家の17歳の長女。
ひたすら勉強しているのは、何かになりたいという夢のためではない。
勉強した先にある何かをつかむため、である。
悶々とした現実を変えるため、である。
そんな長女は、現実に何かをつかんだとき、どう感じるのだろうか。
私は、夢をかなえた。
夢と現実の境目を行ったり来たりしながら、
この先も、現実の中から生まれた夢をかなえて、そしてそれを現実にして、生きていくだろう。
あとがきと謝辞
あえて私は、文字だけで、夢と現実と老いとこれからを表現してみました。Over the Sun世代の哀愁が出せたらいいなと思いながら。
イトーダーキさん、私にこのような機会をありがとうございました。
同じグループでバトンをつなげてくださったヤスさん、morii otoさん、長谷川さん、そしてダーキさん、皆さんのエッセイは、本当にまぶしすぎました。澱みがない、そういう文章が書ける皆さんを尊敬します。文章は心の内が出てしまうものだと思います。それらを受けて私が今回書けたかどうかは自信はありませんが、皆さんよりはちょっとだけ余分に生きている分、悪あがきさせていただきました。
アンカーとしてゴールテープはきれたのかな。
ゴールテープはすべてのグループに準備されていますように!
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