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戦国無双5を語る。新キャラクター編②

こんにちはjmbdです。今回も戦国無双5について語っていきます。前回新キャラを何人かピックアップして語っていく事をお伝えしました。その内の1人である、瀬名について語っていきます。瀬名は今川義元の姪であり、徳川家康の正室で一般的には築山殿、築山御前と言われております。

瀬名

1557年1月15日、当時今川家の人質だった松平元信(徳川家康)と16歳の時に結婚し、2年後には男児の松平信康と女児の亀姫を出産します。息子の信康は1567年に織田信長の娘である徳姫と結婚するも1579年に事件が起きてしまいます。

信康事件と残された謎

1579年、徳姫が父信長に夫信康に関する12ヶ条の罪状を送り付けます。内容は信康の横暴な振る舞い、瀬名が武田に内通している事などが書かれています。これに対し信長は事の真意を確かめる為、徳川家臣酒井忠次を呼び出します。忠次はこの訴状内容を否定せず、信長は家康に信康の切腹を命じます。家康は命に従い、信康と瀬名の処断をするという苦渋の決断をしました。しかしこの事件には幾つか不可解な点と謎が残っています。瀬名が武田に内通する程の力を持っていたのかという点、信長はあくまでも信康のみの処罰を命じた点、最近の研究では信長は最終判断は家康に委ねたとされているなど、家康と信康の親子間に問題があった点や反家康派と信康派の派閥が存在していたなど新たな見解が生まれています。しかしいずれも資料に乏しく未だに謎が多い事件とされています。

戦国無双における瀬名(築山殿)と信康事件

戦国無双における瀬名の人物像は勝気な性格で夫の家康や家臣達に対しても上から目線な言動が目立つ人物であります。しかし今川義元の死を機に彼女は少しずつ変化していきます。独立後自身がどうあるべきか悩む家康に対し活を入れたり、駿河・遠江侵攻の際、今川家の出である瀬名の身を案じる家康に対し、彼女は徳川家の為に生きることを伝えます。合戦後も瀬名を気に掛ける家康を逆に心配した瀬名は妻として家康を支える事を改めて口にします。その後も悩める家康に言動こそまだトゲはありますが瀬名なりに愛情深く献身的に支えています。

今川侵攻前の家康と瀬名の会話
三方ヶ原での敗戦後の2人

しかしそんな2人に事件が起きてしまいます。松平信康武田と内通し謀反を起こしてしまいます。真相を確かめようとするもすでに武力衝突は避けられない状態になってしまいます。その後信康は討死になるも責任を取る為、織田家の使者百地三太夫の前で家康は切腹しようとするも、家康を死なせるわけにはいかないと判断した瀬名は自分が反乱の首謀者と嘘をつき、全責任を自身がとる形をとりました。戸惑う家康に対し瀬名は最後に家康への感謝と礼を述べ自刃します。

瀬名の最後

総評

瀬名はこれまで登場した徳川家無双武将の中でも毛色の違う人物なので新鮮でした。厳格で多くを語らない本多忠勝や服部半蔵、頑固者の井伊直政、皮肉屋の徳川秀忠、同じ女性でも恥ずかしがり屋な井伊直虎と素直で謙虚な稲姫など多種多様な性格の人間がいますが、瀬名はツンデレで姉御肌な人物という印象で、個人的には全新キャラの中では1番気に入っています。信康事件に関しては色々思うところがありますがこの辺りはストーリー編で語っていく予定です。
今回は瀬名について語ってきました。最後までご覧いただきありがとうございます。次回もお楽しみ。

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