Vアイドル研究生・南條夢路との思い出をつらつらと語る

2020年7月24日。エイベックス・ビジネス・ディベロップメント株式会社はバーチャルアイドルプロダクション・AVALONの設立及び、AVALON1期生の座を賭けた公開オーディション・ReVornの開催を発表した。

ReVorn(転生)をテーマに「リアルのステータスは一切考慮せず、純粋な”魂”だけで勝負する」ことを掲げ、5ヶ月にわたって行われてきたこのオーディションも、本日12/26のグランプリ発表を以て終了となる。

このオーディションの中で私が出会い、惹かれ、今なお心を奪われている一つの"魂"がある。南條夢路、通称なんぜう。

可愛いけれどたまに言葉遣いが荒くて、一見するとアイドルらしくはなくてその実誰よりアイドルらしい、そんな彼女が今日までどのように活動をしてきたのか、それを見ていちリスナーである私が何を感じたのか。重要なできごとを網羅するのは非公式wikiに任せ、ごく私的な視点から彼女の歩みをとりとめもなく綴ってみようと思う。

現在の彼女のリスナーさんの中にもえるすりーまで彼女のことをご存じなかった方もいらっしゃるだろう。この先、彼女がもっと大きく羽ばたいていく中で彼女に興味をもつ方もいらっしゃることだろう。そんな方に、必死で走り続けた彼女の姿の一片でもお見せできたら幸いである。


私も知らない初配信

さて、こんな記事を書いていながら、私も実は初配信から彼女のことを追っているわけではない。だがせっかくなので、Twitterを遡って、初配信ツイートを発掘してみることにする。

確認できる限り、初配信はプレ配信期間中8/8の3時39分。初配信の時間としては何かおかしい気がしなくもないが、つっこんではいけない。ちなみになんぜう曰く、「コメント欄の見方も分からず一生一人で誰も知らんバンド曲歌ってた」とのこと。そして聞くところによると、初配信で既に「元ヤ・・・」と言われていたとかいなかったとか。

「じゅんまいだいさん」と呼ばれた日

気を取り直して、なんぜうとの出会いがいつだったかTwitterを遡ってみると、一番最初のリプはこれだった。初めて配信にいったときのことはなんとなく覚えている。

正直、魂オーディションに興味があって配信を訪れたわけではない。ただ、夜寝られなくて、SHOWROOMを開いて、たまたま配信していた人の中で一番名前が気に入ったのが南條夢路だったのだ。

コメントをしてみたら「じゅんまいだいさん」という斬新な呼ばれ方をされた。初めのうちその呼び方に覚えていた違和感がなくなったのはいつのことだっただろう。今ではReVornの他メンバーやリスナーさんからもそう呼ばれることが多い。ReVornメンバー10名のママにあたるサコさんにまで「純米大さん」と言われたときは流石に驚いたが。

さて、そんな初めて訪れた枠で私は確かLiSAをリクエストしたのだと思う。ただ、なんぜうのレパートリーにLiSAがなかったので、今度はいきものがかりをリクエストして「ブルーバード」を歌ってもらった覚えがある。ノリが良くてのびがあって、素直に上手だなと思わされた(因みにその日歌えなかったLiSAは、翌日「Oath Sign」を覚えて披露してくれた)。

この頃から「元ヤ・・・」呼ばわりはされていた記憶はあるが、言葉遣いは今より若干おとなしかったような……いや、変わらなかったかもしれない。うん、やはり当時からこんなものだった()

ちなみに私のリプにでんと豚丼の写真が載っているのは、当時の彼女のルームには「初リプでは飯テロをする」という謎ルールがあったからである。なお、なんぜう的には豚丼に乗ったねぎがお気に召さなかったらしい。

マシュマロと幼稚園

歌枠ばかりのなんぜうだったが、少しは他の企画もやりたいよね、という話になり、マシュマロが設置されたのも予選期間だった。集まったマシュマロへに返信するのを配信の企画にしてはどうかという趣旨でリスナーが提案したものだったが、なんぜうは来たマシュマロにその場で返信してしまったので結局企画にはならなかった。

私はネタマロを中心にいくつか送ったのだが、その一つへの返信の中で「なんぜう幼稚園」という単語が初めて出たように思う。私がSHOWROOMのアカウント名に「@なんぜう幼稚園」と付け始めたのはそのときからなので(ずっとではないが)、思えばこの名前とも長い付き合いになる。

ReVornの理由

予選期間で印象に残っていることはたくさんある。たとえば、彼女がReVornに応募した理由を語ったときのことである。前前前世あたりでは地下アイドルをしていた彼女が、どうしてバーチャルアイドルを目指そうと思ったのか、という原点の話(詳しいことは配信でもマシュマロでも本人に是非聞いてみてほしい)。

思えば、彼女が「みんなを幸せにする」とはっきり口に出して言うようになったのもこのあたりだったような覚えがある。ただ単に配信が楽しくて遊びに行っていたなんぜうの配信だったが、その根底に私たちを幸せにしたい、辛いことがあったときの助けになりたいという気持ちがあったのだと、私が知ったのもこのあたりのことである。

予選の終幕と本戦の開幕

結局彼女は予選をDブロック4位で通過した。余談だが、このDブロックは特に得点の高い配信者が多く、他のブロックと比べても競争が苛烈な魔境であった。実際、なんぜうも全体の中で8位という好順位につけていた。

なお、システムを理解していなかったなんぜうは予選のポイントがそのまま本戦に持ち越されると思っていたらしく、予選上位との点数差に人知れず胃を痛めていたらしい。

さて、予選が終わると、1日空けてすぐに始まるのが本戦である。割り当てられたBブロック19人中で1位を取れば面接への進出が決まる。2~5位の中からも、配信内容を見て最大2人が審査員特別賞として面接に進出できる。

予選での獲得ポイントで見れば、なんぜうはBブロック内でも2位であり、期待は十分持てる戦績ではあったが、不安要素もあった。というのも、本戦には1日3時間の配信時間制限があったのだ。

予選での彼女の配信は基本的に18:00と23:30の2枠。深夜枠は更新を挟みつつ朝まで続くことも珍しくはなかった。どちらかといえば配信時間の長さで稼ぐタイプだったなんぜうは、配信スタイルの改革を余儀なくされた。

ということでリスナーと相談しながらタイテを組んでいったのだが、何せ彼女にとって初めてのSHOWROOM。3周がなんなのかもよく分かっていない彼女に皆で3周タイテの組み方を教え込んだ。本戦期間前にSHOWROOMを使っていいのか分からず、ツイキャスでの配信を行ったのもこの頃だと記憶している。

そんなわけで、できたタイテがこれである。これも余談だが、本戦期間中は毎日デザインを変えて凝ったタイテを出していた。後の最終選考で見せたクオリティへのこだわりの片鱗が窺えるというものである。

さて、今まで深夜配信がメインだったなんぜうだが、朝や昼の時間に進出したことで、また新たなリスナーさんと出会うことが増えた。短い時間の中で進行自体は比較的てきぱき行われるようになったが、なんぜうの枠の独特の和やかな雰囲気は失われていなかったように思う。

朝配信では目を覚ましながら元気をもらえたし、昼配信ではなんぜうの声を聞きながら一息つけた。夕方から深夜の配信はゆっくりと彼女の歌を楽しむことができて、個人的に忙しい時期だったがなんぜうの配信だけを楽しみに一日を生きていた。

本戦のおわり

本戦の間もいろいろなことがあった。他の配信者さんが遊びに来てくれて仲良くなったり、ファンルームに投稿したおやすみボイスを翌朝には削除してしまったり、お腹を壊して配信できなくなってしまったり。

そんないろいろを乗り越えて迎えた本戦最終枠。私はというと……

………バイトだった。

1ヶ月前にそこにバイトを入れてしまった自分を恨んだものだが、もはやどうしようもない。職場から無音で配信画面を見つつクマを投げたのを今でも覚えている。最終枠見たかったなぁ……。

ともあれ、結果はBブロック3位。1位は取れなかったものの、審査員特別賞の可能性がある5位以内を勝ち取った。そして翌日の23時頃、審査員特別賞が発表され、なんぜうは無事最終面接に進むことが決まった。

そういえば、リスナーからお祝いをされたなんぜうが、一人焼肉を煽られたと勘違いして怒り出すなんて一幕もあった。

長い長い3週間

さて、それから面接が終わり、なんぜうの誕生日を挟んで9月4日に久しぶりの配信が行われた。予選以来の時間を気にしなくて良い配信であり、面接を終えたなんぜうを労ったり、今後の活動の話をしたりの配信であった。そしてその翌日

このツイートを最後になんぜうのTwitterが止まった。

他の面接進出者の動きから、Twitterの運用を止めるように運営から指示があったのだと言うことは数日後に判明してひとまず胸をなで下ろすのだが、それからが長かった。

話は変わるが、面接の結果は「9月頃開催予定の大型イベントにてお披露目」とだけ書かれており、具体的な日程は発表されていなかった。「大型イベント」がえるすりーを指しているということは大方の予想するところだったが、何日目のどのタイミングなのかが一向に判明しない。

それでなくともオーディション期間は毎日4,5回は聞いていたなんぜうの声が聞けなくなり、面接結果はいつ発表されるのかすら判然としない。日が経てば経つほど寂しさが募った。もしかしてこのままなんぜうは私たちのところに帰ってきてくれないんじゃないかと、最悪の想像が脳裏をかすめたのも一度や二度ではなかった。

なんぜうが反応できないのは分かっていて、彼女を苦しめることになりかねないことも理解していながら、Twitterで名前を出してみたりマシュマロを送ってみたり、なんとか不安を紛らわすのに必死だった。

発表されるなら初日だろうかとあたりをつけていたものの、初日はまりなす(仮)のAVALON所属が発表されたくらい。2日目、3日目と「ReVorn」の「R」の字も出ないまま過ぎ去り、もしやえるすりーでは発表されないのかと思ったその矢先である。

ようやくお披露目の告知が公式から出た。そして固唾を飲んで見守ったお披露目会。

「南條夢路」の文字を見たときに覚えたのは、嬉しさと言うよりもむしろ安堵だったかもしれない。またなんぜうと会えるのが心強くて、なんぜうがアイドルになる未来に一歩近づくことができたことに心からほっとした。

画面いっぱいに「こっちは清楚」「癒やし枠」なんてコメントが流れているのを眺めながら、深い深い感慨に浸ったのだった。

ニコ動に風呂敷を送る機能がなかったことだけが残念ではある。

最終選考の日々

10月から、毎週Missionをこなす日々が始まった。課題に時間をとられてしまうこともあり、配信頻度が以前より下がったのは否めなかった。だけど、寂しくはなかった。

愛染お姉さんとコラボしてみたり、あつもりをやってみたりと配信の幅は広がったし、配信以外にもYouTube動画にFANBOXにのぞき見配信にとなんぜうのことをいろいろな角度から見られるようになった。

当初は少し人見知りしていたなんぜうも、最近ののぞき見配信では他のメンバーと気軽に話し、会話の進行役まで務める姿を見せてくれた。

3ヶ月という短い期間の中でなんぜうは確かな成長を見せてくれて、それを追うのも楽しかった。

極めつけが12/13に行われたミニライブである。この日のためにボーカルトレーニングに駆け込んだり、歌詞や振り付けを覚えたりと準備を重ね、私が聞き惚れてやまない歌声で私たちに歌を届けてくれた。最後のカウントまで含め時間調整も完璧だったし、それでいてコメントやギフトへの対応もいつも通りこなす(風呂敷はスルーされたが)なんぜうの姿はとても堂々としていて、鮮烈な輝きを放っていた。

まとめ:なんぜうにもらったもの

なんぜうと出会ったことで得たものが数え切れないほどある。

まず第一に、楽しい時間をたくさん過ごせた。深夜に集まってなんぜうの歌を聴いたりいろいろな話をしたり風呂敷を投げたりする時間がとても好きで、いろいろと大変なこともある中でも明日も生きていこうという元気がもらえるし、配信がある日は家に帰ってくるのが少し楽しみになった。

第二に、知らなかった曲にたくさん出会えた。レキシややクリープはなんぜうとが歌ってくれなければ一生出会うことがなかったかもしれないし、ヨルシカやAimerあたりも彼女が歌っているのを聞いて原曲を改めて聴きに行った。

彼女はよく「もらってばかりで何も返せてない」なんて口にするが、私は彼女から本当にたくさんのものをもらってきたし、何一つ返せていないのはむしろ私である。なんぜうの配信にいって、動画を見て、毎日のツイートを見て、これだけ幸せな思いをさせてもらっていながら、私からなんぜうにしてあげられることはそう多くないのだ。

だからせめて彼女のリスナーとして、なんぜう幼稚園の園児として、隣を一緒に歩くくらいのことはしたい。何もできずとも、同じ立場には立てずとも、共に時を過ごしてたくさんの思い出を積み重ねて行くことで、彼女からもらったものへのせめてもの恩返しにしたい。

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