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協会代表のふなよ氏にインタビューしました(前編)
日本リベラルアーツ協会が設立されて1年が経ちました。
色んなイベントや勉強会を開催し、大勢の方にご参加頂いているのですが、時折こんなお声を頂戴します。
「怪しい」「どんな人がいるの?」「結局何をしているの?」などなど…。
今回のインタビュー連載は、そのお声の中の「どんな人がいるの?」にフォーカスを当てて、現在の日本リベラルアーツ協会を紹介して参ります。
第一回の今回は当協会の代表である船岡佳生に、ふじもんがインタビューを行いました。
自己紹介
まずは簡単に自己紹介からお願いします。
船岡佳生と申します。「よくいきる」というのが私の名前です。
いつも自己紹介で何を言おうか迷うんですが、「よくいきる」ことを探究しているような人間ではありますのでリベラルアーツが好きというか日課みたいな感じです。
また、対話するのも好きですので日々そうやって過ごしている人間ですね。
よろしくお願いします。
幼き日の船岡佳生
まずは、リベラルアーツが日課になる前の日々についてのお話から伺っていきますね。
一番小さいときの記憶はなんですか?
一番小さいときの記憶は、いつかはちょっと定かではないんですが、恐らく4歳とかそれ位だったと思うんですけど、その頃のお正月の記憶ですかね。
お正月独特の嬉しいムードってあるじゃないですか。
そこでぴょんぴょん飛び跳ねている記憶が、一番小さい頃のものじゃないかな…。
相当、その時のお正月の雰囲気がよかったんですか?
まぁそうですかね。
お正月って、普段とは違う雰囲気であったり、特別なおせち料理を食べたりとか、その時にお年玉もらってたかどうかは分からないですが(笑)
確かカレンダーがドアの横に貼ってあって、その前ではねてた記憶ですね。
シチュエーションも具体的ですね。
そうですね。
別のエピソードを「昔、こんなことをしていたよ」と聞かされても、自分の中で検索してもそのことは見当たらないんです。
けれどこの記憶は肌勘として残っている記憶なので、たぶんそれが一番古い記憶だと思いますね。
学生時代の船岡佳生
学生時代に思い出に残っていることはありますか?
小学校は公立に行っていて、中学から私立に行ったんです。
小学校で野球をやっていたということと、高校の頃に卓球部に入っていたんですけれど、まあ部活をずっとやっていたということが一番ポイントかなと。
ポイントという言葉が出てきたが、どんなところがポイントだったのか?
最近、東工大の大学院の授業でライフヒストリーインタビューを受けたので同じようなことを話しますね(笑)
高校での部活の体験が、まあ今の自分を結構作っているところはあるんですよね。
だから、そこは人生が切り替わるタイミングではあったかなという風に思っています。
今の自分を語る上では外せないポイントということですね。
具体的にどんなエピソードがあって、そこからどんなことを感じたのですか?
僕小学校で野球をやっていて、そのまま野球続けたかったんですけど、ちょっと不本意ながら志望していなかった私立に入ってしまったんですよ。
小学校の仲間がいないところで野球やっても仕方ないと思って…。
なんとなく野球と卓球って似てるかなあという理由だけで入部しました。
中学から卓球部に入部されて、どうでしたか?
あんまり運動神経良くないんですよね僕。なので最初は下手で上手くいきませんでした。それと中学時代は、自分の理想にしていた環境にいなかったりとか、周りとの環境の差みたいなところでかなり苦しんだ時期だったんですよね。
苦しむだけじゃなくて周りにも害を及ぼしていたと思うし、まあ人生の中でも暗黒的な時代でしたね。
ターニングポイントとなった高校時代
高校での部活動はどうでしたか?
高校へ進学して卓球部で役割を任せてもらえるようになりましたね。
少しずつ努力していって上手くなっていったりとか、周りに教えていったりということが部長を任せてもらえる理由だったのかなあと思います。
そうなっていくうちに、人生自体も楽しくなっていったし人とスムーズに喋れたりとか、外交的までとは言えないですけどそういったふうに振舞えるようになりました。
だけどホントに、小さい頃は内にとじこもってしまって、自分の考えも言いたくないみたいな子だったので、それが明らかに転換したっていうポイントが部活での経験だったということですね。
なので、今僕が話してる感じとかトーンとか仕草などは、結構その時に作られたと思っています。
今のリベラルアーツ協会の活動に繋がっていることはありますか?
そうですね。
繋がってるとは思っています。
大学では1つのことをやるという感じでしたけど、好奇心旺盛になったのもその時期ですし、本質的にはそういった色んな事を知るという営みが好きですね。
ちなみに卓球部部長としての経験に関してですが、かなり部員がまとまらなくて悪戦苦闘していました(笑)
ただ、全体としてはまとまらないけど、自分だけは1対1ではありますが全員と繋がることができているという感じのリーダーでした。
まあ、清濁を併せて吞むじゃないですけど、うまく間に入って調整をするというようなタイプでした。
それでうまく調整して初めて冬に合宿を自分たちの手で企画したり、なんだかんだ大会に対して皆がまとまる瞬間があって本当にうれしい事もたくさんありました。
そういった体験があるので、リベラルアーツ協会での活動でも、自分の意見だけ出して皆についてきてもらうのとは異なる運営方法を取っています。
ふなよしさんの鶴の一声で皆さんついてきてくれそうだと思いますよ?
ついてくるかなあ(笑)
まあ勿論、僕は僕なりに今の考え方とか、リベラルアーツ協会をこうしていきたい、この方向性で進んでいきましょうということは頭の中にはあります。
ただ、それを押し付けるというよりかは「この企画をこういう風にやるんですけど、どうですか?」と提示させていただいて、フィードバックをもらったりしたいですね。
そして、その相手の方の進みたい方向にも進めるようにということは、僕自身の性格として考えちゃうのかもしれませんね。
将来について
今後、ふなよしさん自身のやりたいこと、リベラルアーツ協会以外のことでやっていきたいことは何ですか?
やっていきたいことにもフェーズがありますけど、僕は今、科学技術社会論とよばれる領域の研究をしています。
その分野はとても好きな分野ではあるのでしっかりした修士論文を書いていきたいなと思います。
大学院卒業したらどないすんねんという話を他の方から結構言われるのですが、できることなら博士課程に行きたいなと思っています。
なので、博士課程に行きながら社会でできること、そしてまずは、僕自身が生きていくためにできることをやる。
でないと死んでしまうので(笑)
そうすると、それなりに生きていくための価値提供、つまり、お金をもらえるようにならないといけないと思っています。
そのためにリベラルアーツ協会もそうですし、他のこともやっていきたいですね。
その先はどう考えていますか?
遠い将来みたいな話をすると、僕の一番の欲求というかニーズは色んなものを見たり、色々な場所へ行くということなんです。
以前もアドレスホッパーといって家を持たずに転々とするみたいなことをやりましたが、そういうことが好きだったり、色んな人に話を伺うのが好きですね。
自分が根本的に好きなことを通して他人や社会へ価値を提供していく。
そして、自分も生きていけるとなると、それはホント三方よしという、理想の生活かなと思っています。
そういったことをしていきたいですね。
ま、すぐそれができるかどうかというのは分からないです。
そして、一回就職しなよという声も沢山聞こえてくるんですけど、その辺も上手くやりながらできたらいいなと思っていますけどね。
他にも夢はありますか?
そうですね…。
もっともっと沢山の人達と対話をしたいですね。
教科書の中の物事を偉そうなものとしてみるのではなくて、対話の中で生きた思考、生きた知識に落とし込んで皆さんが生きていけると楽しいのかなと考えています。
そして、そういったきっかけを作りたいなと思っています。なのでそういう居場所というか、事務所兼、カフェ&バーみたいなそういうのを作るのが1つの夢だったりしますね。
いいですね!お酒は僕に任せて欲しいです(笑) ちなみに卒業した後、研究を続けるにせよ、就職するにせよ海外へは行かないんですか?
…。
後編に続く
船岡佳生(ふなおかよしき)のプロフィール
誕生~大学
1998年東京都三鷹市生まれ。
九州大学工学部機械航空工学科に入学し、鳥人間チームに所属。
九大相撲部を復活させる。
2019年には鳥人間コンテスト滑空機部門準優勝に電装班班長として貢献。
学生団体活動のきっかけ・開始
「福岡中小企業経営者協会主催のリベラルアーツのプログラム」
LAPで2年間学び、学生代表を務めるなど幅広く活動。
九州大学修士課程を休学しコロナ禍であっても、「人と人、物、知の間に激しい反応を生み出す」ために学生団体ラジリアを創設。
現在の活動
オンラインの居場所や学びの場づくりの経験を活かすため、東京工業大学 環境社会理工学院 中野民夫研究室に転校。
科学技術倫理を問い直すワークショップの研究を行う。
大学院での研究の傍ら日本リベラルアーツ協会を立ち上げ、鋭意活動中。
取材/編集・ふじもん