【保存用ログ】第06回[20200511-0517]『マナー』
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イスツクエ
ワークショップ第六回の記事です。
1週間よろしくお願いします!
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A
おもしろそうなトピックですね。僕は小学校2年生から日本の小学校に通い出しましたが、当時は給食の「いただきます!」という文化がカルチャーショックでしたね(こういうときだけ外人ヅラwww)このワークショップを機に少し「マナー」の後ろにある文化についても考えられたらなと思います。
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B
とても興味のあるトピックでワクワクしています。
ありもしないマナーを作り、広め、稼ぐ一部のマナー講師に関しては前々から思うところがあったので、「マナーの発生経路、マナーの意義」みたいな部分に関しても考えを深められればなと思います。よろしくどーぞ。
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C
1週間よろしくお願いします。
マナーの意義(マナーって何?)について、皆さんで共通認識ができると今後の議論が進めやすいのではないかと思うので、とりあえず個人的に思うマナーの意義を書きたいと思います。
■マナーの意義
個人的にはマナー(違反)とは、「一般的」な「不快に思うこと」をまとめた不文律かな、と思います。よってマナーの意義は、集団社会の中での、個々人の不快感の軽減にあると感じます。
その中で「不快に思うこと」ということが厄介で、そもそも一定の「決まり事」というものがその合理性に関わらず定められてしまうと、(Aさんも仰っていた「いただきます」とか)それが皆に「当たり前」として浸透してしまった場合に、それを守らないこと自体が「不快感」を誘ってしまい、そう思う人が多数なので「マナー」となってしまうという流れがあるような気がします。こういって「謎マナー」は生まれるのかもしれません。
自分が全く気にしないようなことでも、世間の皆さんからすると不快に思うようなことというのは、結構たくさんあるような気がするので、社会生活を営む上では、マナーについて知ることには意味があると感じています。逆に「世の中の5%しか知らないマナー」みたいなものは、上記一般性の要件を満たさないので、個人的にはマナーではないかなと思います。
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D
マナーの定義に関してはCさんと同意見です。
・マナーが必要か
マナー皆無の社会を想定すると、恐ろしい社会しか想像できないので、必要なものはあるでしょう。
マナーを守る理由
学生のころはあまりマナーは気にしていませんでした。働くようになってからは、圧倒的にマナーの重みが違いました。学生はマナー守らなくても嫌われるだけですが(それはそれで大変ですが)、社会人になると社会的に終わる(とまではいかなくてもデメリットを被る)可能性があるからですね。主観的には不要なマナーだとしても、相手が必要だと感じていれば、自己防衛策として守らざるをえないことになります。相手を変えるより自分を変える方が早いってやつです。
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E
例えば、電車でお年寄りや妊婦に席を譲らない人がいたとします。おそらくそうしたマナー違反は、お年寄りや妊婦とは無関係の周りの人間まで不快にさせるのではないでしょうか。特に自分は何ら不利益を被っていないのに、マナー違反そのものが"不快"という間接的不利益を与えてしまう。マナーにはそういう性質がある気がします。
@D が仰るように重大なマナー違反は社会的に重大な不利益をもたらします。ただ、クラスであっても変な奴はいじめられますし、社会的ペナルティとしては(少なくとも本人にとっては)同じなような気もします。
罰則があるという意味ではルールと言えなくもないですよね。
D
@E 確かに喉元過ぎれば熱さは忘れるので、すでに過ぎ去った時期のペナルティは過小評価しているかもしれません。
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F
マナーは必要か(マナーの意義)
皆さんの意見と同じ感じになってしまうのですが,我が人生最大の聖書(バイブル)の一つと呼んでいいKoi著,芳文社刊 : 「ご注文はうさぎですか?」4巻19P右上から7コマ目にあるリゼのセリフから引用すると「こういうのは楽しく食べればいいんだよ,マナーなんてお互いが楽しむためのものなんだから」,つまり何らかの場を共有する人間どうしで不快に感じるかもしれない要因をあらかじめ排除し,お互いに有意義な時間を過ごすためにマナーは存在していると言えます.しかしながら,引用したリゼのセリフにもある通り,マナーとは「お互いに楽しむため」ことを目的として存在しているのであり,マナーによって他者が排除される結果となるのであればそれは本末転倒と言えます.無論,彼女たちが住んでいる世界は一種の理想世界と言って差し支えのないものですが,会話の自然な流れでこのセリフが出てきたということに改めて「マナーの意義を口に出して確認しないといけなかった事実を描くことにより,彼女たちの世界でもマナーに対する議論は存在することを示す,また彼女たちのリアルな人間性をより増させる」というKoi先生の意図,そして「マナーを守る」ということの難しさなどが読み取れます.セリフの一つから軽く考察するだけでこれほどの知見が得られるとは,やはりごちうさは哲学だった(確信) ←これが言いたかっただけ
マナーを守る理由
さて,マナーを守る理由についてなんですが,もちろん人と接するにあたっては有意義な時間を過ごしたいというのももちろんあるのですが,敢えて別の理由を提示してみます.
今存在している「マナー」というのものは,その成立過程にある程度の合理性,目的性が見受けられるんですね.例えば,「いただきます」「ごちそうさまでした」という食前食後に唱える一種の呪文は神道に由来すると聞きますし,少し違うかもですがイスラム教のコーランにある「豚を食べてはいけない」という記述は「水が少ない砂漠では豚肉を十分に洗えず,食べると寄生虫にかかるから」という砂漠の知恵が背景にあったと聞きます.もちろん,時代遅れとなってしまったマナーもありますし,目の前のマナーに対して一つ一つその意図を考えるべきなのでしょうが,まぁそんなことしてたらめんどくさいので(笑)日常生活をしていく上ではマナーを守った方が失敗する可能性が少なくなるかなといった理由でマナーを守っています.もちろん,暇つぶしに身の回りにあるマナーの由来について調べたりもします.
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G
僕はマナーには大きく2種類あると思っていて、1つは実用的なマナー、もう1つはよく分からんマナー。妊婦さんに席を譲るとかは前者で、箸の持ち方とかは後者ですかね。ただ前者は大多数がその重要性を理解しているので問題はないような。(文字通りマナーなので守るかは人とか状況による)問題は後者かと。箸の持ち方などは美しさを求めた、すなわち周りの人を嫌な気持ちにさせないために出来たものなのに、今ではむしろそのマナーを守っていない人を見て不快感を引き起こすトリガーになっているというジレンマですね。僕はマナーを守らないのなら、マナーを守らない理由を胸を張って言える人間になりたいですね。
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H
マナーは守れば誰も不快にならずに済むものだという漠然とした認識があります。
□よく分からんマナー
ただ箸の持ち方が"お手本"(流儀がたくさんあると思うのでこの定義も怪しい)と多少違うだけで怒られたりするとイラッとしてしまいます(僕のことですが😅)
食べ物落としたりしてないし別にええやろといつも言ってます)
なのであまりにマナーを意識しすぎて、意識して初めて気になり始めるような細かい"ズレ"の可否についてもう少し考えていこうと思います
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C
すっごい簡単に今までの皆さんの意見をまとめて見ました(本当に雑です。)
個人的にはマナーの存在が逆に「不快」を生み出してしまうという点と、「謎マナー」に対してのスタンスについては、もう少し考えてみたいと思います。Fさんが仰っていたような、「マナーの成立過程」に、更なるヒントが眠っている気がします。
どのような状況下でマナーが形成されて、それを人々は受容していくのか。それを掘り進めていけば、謎マナーの解明にも繋がるんじゃないかと思います。
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I
マナーは法律などのルールと違って、手続きが全く違いますよね。例えば、お箸の使い方が分からない子供がお箸の使い方を間違えていても、あまりマナー違反とはみなされないし、それでも子供が美味しく食べていたら、むしろ不快どころが、嬉しく思ったりすると思います。マナーは法律と違って明確な形を持たない。言い換えれば、マナーは愛とルールの中間のような存在かと思いました。なぜなら、愛は形を持たないと思うからです。
形を持たないと論理的とは言えないため、謎マナーが存在してしまうのだと思います。
形をもつ、もたないの中間といっても、幅はあるということです。
したがって、このマナーは必ず守らないといけない、守らないやつはダメだみたいな、マナーはもはやルールだと思います。
マナーは形にできない愛を多少形にしてみた結果のように思います。
E
@I マナーは愛とルールの中間という考えが面白いと感じました。"形を持たない"という部分をもう少し踏み込んでお聞きしたいのですが。"言語化されていない"というニュアンスに近いでしょうか?
ルールは明確に言語化されているため、集団の中で誰にとっても同じ意味を持つのに対し、愛(配慮、思いやり)はそうでないため、人によって揺らぎがある。マナーはその中間だという感じでしょうか?
I
@E お返事ありがとうございます。分かりにくい文章になってしまったと思ってましたが、伝わって頂いて嬉しいです。
言語化されていないというニュアンスでおけです。
私は、愛とルールの中間といっても、ややルールに近いものや、やや愛の要素が強いもの
があると思います。それを幅と表現しました。(例えば、家に帰って手を洗うことに愛の要素は薄いので、形式的なマナー、ルールよりのマナーといえる。)
また、おっさしゃる通り、ルールなどは固定されているのに対し、マナーは揺らぎがあるというのも伝わっていて嬉しかったです。
(おおよそ、世界各国では同じような法体系があるが、各国のマナーというのはそれぞれに存在している。)
マナーというのは人間にとって最も根源的な行動のひとつであるためこのように中間的なものだと思います。個人的に、人間は中間的な存在だと思っているので、自分としては結構納得いきます。
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E
@C さん まとめありがとうございます。
マナーの存在自体が不快を与える(マナー違反事態に不快を感じる)という部分については、その背後に人間の異質なモノに対する生来の不安症がある気がします。
一部の天才・異才を除き大体の人は自分の周りの環境になんとなく合わせて生きていて、何年もコミュニケーションをとり続けることで、その場のノリに適合していく。その中で”他人に挨拶する””綺麗に食べる”とかの習慣を無意識・無自覚に身に着けてその社会の一員になる。そこに、挨拶しない、変な食べ方で食べる人間を認めると、家族に知らない人が紛れているような居心地の悪さを感じるのではないでしょうか。
マナーなんてどうでもいいよと言える人は、この不安症を患ってない異才か、自分の環境をメタで捉えて”そう思おう”としている人か・・あるいは反抗期かなんしか分類できる気がします。
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A
敬語もマナーに入りますかね?入りますよね!?
縦社会の日本では、目上の人間を敬う言葉などが今でも使われています。英語と比較しても、「brother」と「兄弟」じゃ全然ニュアンスが違いますよね。家長制度の名残だと聞いたことがありますが、家の中でさえこういった”マナー”があれば、外の世界は尚更であることは想像にたやすいと思います。現に我々も普段の生活で毎日のように使っているわけで.
正直、「敬語」という概念をはじめて知ったとき面倒くさいなーと思いましたが、今じゃ初対面のブラジレイロと話すときにゃ、「こんな言葉遣いでいいのか?」と不安になってしまう始末です。ポルトガル語には敬語っていう概念はないんですよね(ちょっとはあるよ///)。慣れって怖いですね。まさに、「マナーの存在自体が新たな不快を生んでしまう逆機能」としては働いちゃってるいい例ですね。
@E さんの言葉を借りれば、「社会人であれば、敬語を使えることが社会で”心地良く生きていく”ための一つの共通認識」みたいなものだと言えると思います。
「敬語」って実用的なマナーなのでしょうか?それとも、謎マナーでしょうか?わたし、気になります!
会話の流れで行くと謎マナー認定されそうな感じですが。。。はて
C
「謎マナー」(自分が言った単語ですが)ってどんなものなのですかね。
理由はあるにせよ、現代的にはその「実用性が相当薄まっている」マナーという感じでしょうか。でも敬語の「実用性」ってあまりピンときませんよね。
日本語に「敬語」が存在する詳しい理由は分からないのですが、そこまで来るともはやブラジルと日本の「文化の違い」と言わざるを得ないような気がします。
「文化の違い」というのは、国家間のみならず、同じ国家の中でも、歴史とともに文化が変化しますから、そのマナーが成立した年代から年月が経っていると、「謎マナー」と化すのかもしれません
E
う~ん。敬語は社会秩序に目上目下があって、それを区分して認識する必要がある社会である限り“実用的”なマナーなんじゃないかなと思います。(あくまで僕の感覚ですが)濃淡はあれ、敬語が存在しない、敬意が存在しない社会は未だないのではないでしょうか。でもAさんが最初に感じためんどくさいという感覚もすごくよくわかります。
敬語ではないですが僕は仕事中相手を呼ぶときに役職を付けないようにしています。~部長とか声に出すだけで権威に発言が制約されそうな空気が出て嫌なためですが、たまに不快そうな反応をする方もいらっしゃいます。言霊ではないですが言葉そのものが場の空気を作る、作り過ぎるというのがあって敬意表現の言霊力を緩和すべく日々スキルを磨いてます。笑
将来的にユニバーサル言語的に統一化が進めば敬語は無くなっていくんですかね。
B
社会の様相が変わっていったとしても、敬語が完全になくなることは考えにくいと思います。
人間が自分のアイデンティティを確認する際に「身分、立場」というものはすごく重要だと思っていて、敬語というシステムは自分の立場を明確にしてくれるという面でも使用するメリットが大きいと思います。
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C
■謎マナー 意図的に作られた説
今では高級とされる「黒真珠」ですが、その昔は白くて輝かしい真珠こそ価値のあるものとされていたため、鉛玉のような黒真珠は全く値がつかないものだったそうです。それをイタリアのとある宝石商が知り合いのハリー・ウィンストン(超一流宝石店)に話を持ちかけ、盛大な広告を打つと同時に一頭地に法外に高い値を付けて売り出すことよって、セレブたちはそれを競うように買い漁ったというエピソードがあります。(このような現象を行動経済学では「アンカリング」と言います。)
「謎宝石」なるものが形成された例です。
本題に入る前の前置きが長すぎましたが、上記のエピソードのように、特に合理的な理由がなくとも、それこそ胡散臭いマナー講師ではないですが、「マナー」が成立することによって、何か利益があるような、そしてある程度の影響力を持つ人物が、例えば自らの権威付けのために、意図的にマナーを作り上げた(全てのマナーがそうだとは思いませんが)という可能性があるのでは? と思います。
例えば上流階級が平民との差を見せつけるために、そして成金と自分達を差別化できるように。
特に「お作法」みたいなできると「育ちがいい」とされるようなものの中で、あまり合理性が見受けられないものについてはこのような勘ぐりをしてしまう次第です。
G
Cさん、その説ありますね。確かに謎マナーを広げることは平民との差別化を図りたい上級市民にとってお得ですよね。差別化を考えてない平民は合理性に欠けるという理由で最初は守らないでしょうし。
E
ちょっと陰謀論っぽくていいですね笑
こういう感じの切り口すきです
なんとなく、あらゆるマナーは強者の存在ゆえに発生する側面がある気がします。
例えば、お辞儀マナーは元々は身分が下の者が目上の者に脅威を与えないように体を縮こませて見せる動作が始まりだとする説があるそうです。これは目上という強者がいなければ存在しえないルールではないでしょうか。
また、食事をくちゃくちゃ音を立てて食べてはいけないというのも、他人の咀嚼音に不快を覚える集団がその社会でマジョリティであるがゆえに、守らせる効力を発生させているのだとすればやはりマジョリティという"強者"が作っているといえるかなと思います。
では、ペテン講師が広める謎ビジネスマナーは誰が強者なのか。これは情報の非対称性を通じて各個人がそのマナーを当然と思う”疑似マジョリティ”の存在を信じてしまう故に作られてしまうモノなんじゃないかなという気がします。謎ビジネスマナーは、情報の非対称性を利用して架空の強者を疑似的に作成し、広まり切ったころに"被害者たち"が本当に強者(マジョリティ)になってしまうというスキームなんじゃないかと思います。
思うままに書きましたが、こうしたことってマナーだけじゃなくて文化全般にあるかも
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E
note記事で『周りの目を気にしてしまう』『周りからよく思われたい』と書かれてましたが、@イスツクエ さんとしてはマナーというのはどういうものだと感じられますか?やっぱりなくてもいいのになぜか存在している”謎マナー”的なイメージが強いですか?
イスツクエ
謎っていう部分もありますね。でもとりあえず守ってさえおけば悪影響はないし、便利な面もあると思ってました。しかしマナーそのもので不快になる人もいるというは考えたことがなかったです。
マナーと文化の境目はよくわかりませんが、マナーがなかったら、例えば敬語がなかったら、立場の差がゆるく感じられるし、結構与えている影響は多いと感じますね、
E
@イスツクエ さんありがとうございます。
そうなんですよね。マナーの影響って大きいし、逆にマナーを守らないことの個人への影響が強すぎる。就活マナーなんてのもありますが、僕は大嫌いでした。学生時代某日経銀行のリクルーターに呼ばれジーンズで会いに行ったら、あからさまに引かれた記憶があります。就活の"私服"とは"スーツにネクタイ"なんですね。
そうしたマナーや作法にがんじがらめの世界でうまく生きていくことが大人になるということなのか。
子供じみた問いですけど、割と30過ぎても答えは出ないです。
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J
@イスツクエ
面白い問題提起ありがとうございます。
マナー全般になってしまうと私の頭では処理できないので笑、食事のマナーという枠内で意見を述べさせていただきます。
・マナーが必要か
私は食事マナーに関しては、必要無いという意見を述べさせていただきます。
もちろん、ルールは必要です。(例えば、その場に合ったドレスコードを守る、過度に汚い食べ方をしない等)
ですが、それは店側がルールとしてその都度注意、場合によっては退店、出禁の要求をすればいいだけのはずです。(調べてみると、そのような要求は適法として扱われるようです。)
そうやってルールはルール、マナーはマナーとして処理していくと、マナーのほとんどは善意のユーザーによる押し付けのような気がしてきます。
ひと昔前にネットで、伏せ丼というのが話題になりましたがこれなんかは謎マナーが横行してるラーメン業界への皮肉でしょうね笑
料理を提供する側からすれば、ルールを守る前提で、多くの人に楽しく自分の作った料理を食べてほしいと思っているはずですし、ユーザー側からすればマナーがなくなれば楽しく、もっと多くの種類の食事を食べられる機会が増えるわけで、マナーがあって得をするのは既に大儲けしている既得権益の方くらいではないでしょうか?
以上のように、マナーは料理を提供する側の、多くの人に食事を食べてもらいたいという理念を侵害しているので、マナーは必要無いと思います。
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イスツクエ
すみません!22:00終了と勘違いしてました。皆さんワークショップありがとうございました。主催者側としてはテーマはこんなのでいいのかなと思いながら始まりましたが思ったより色んな意見が出てきて良かったです。
「マナー」について、色んな議論がありました。自分は今のところは、おそらく認識できるマナーは守り続けると思います。守らない勇気がないからです。
1週間ありがとうございました。
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