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2時間かけて美術館へ行った話

詳細書くと身バレしそうですが、
まあ今に知ったことじゃないので。


成羽美術館に行ってきました。
この前、高校の部活の後輩が教えてくれた展示。

ドンのピシャで私の好みでした。
後輩、私の事分かりすぎてる……。


鴨居 玲 展


以下、考察(浅)


自画像(絶筆)


鴨居さんは晩年、
自身を道化師にした絵を描いてたらしい。

私は個人的に、まだ道化師になってない段階で
この作品と同じ構図の作品に惹かれた。
2枚くらいあったけど、口を開けてる方。
惹かれたというか、吐き気した。

空いた口の色が真っ黒というわけでもなくて(概念的に)、そこに何かが有る訳でもなければ無い訳でもない。
というか有るとか無いとかじゃない。ただただ空寂なだけ。「無い」は「有る」ことがあるから「無い」に変容できるけど、そもそもこの中に実体は存在しないから。

しかも、これが鴨居さんの中身な気がする。
「空寂」という自分の核を吐き出そうとしてるけど、
実体のないただの「色」は吐き出せないから
一生鴨居さんは自分の知ってる鴨居さんと付き合っていかなきゃいけない。壁はいつまでも壁のままで、吐き出せない。
みたいな、残虐さを感じた。



廃兵

“廃兵” :日清・日露戦争で体を損傷した軍人のこと

鴨居さんはこの文字を
子どもながらに不気味に思ったらしい。
それが大人になってもF120の作品を描き上げてしまうほどの不快感だったということが、その時代の現実をリアルに物語ってた。
理不尽さはいつの時代にも確かに居る。
時代に合わせて形を変えて、
いつまでもこの世に根を張り続ける。残酷。

鴨居さんの自画像見てたら、
自画像のガラスに反射してこの絵が見えて、
正直ゾッとした。
暫く振り返れなくて、最後に見た。
完全に蛇に見込まれた蛙になった。
絵に、というか、あの画面とガラス板1枚を通した
向こうにいるはずの鴨居さんに、まつ毛の触れるところに刃物を向けられた感じ。
時代背景にも、鴨居さんの技術にも絶望した。

絶対描けない。
でもせめて、
鴨居さんが最後の日を決めた57歳までには
私も描きたい。
人の本能に直接触るような絵が描きたい。


教会


絶対その角度から見て底なんて見える訳ないんだけど
描いてるってことは、鴨居さんは自分の立ち位置を消してる。
または教会を場所でも建物でもなく、
物体として捉えてる。おそらく後者。

かなり無機質な形をしてるから、鴨居さんの中では信仰心よりも好奇心の方が強かったんだろな。
人の強い想いが集まる場所を浮かせるって、なかなかにこの時代ではある種の挑戦だったと思うんだけど。
現地の人はどう思ってたんだろう。
例え日本人が海外で作家活動するにしても、反逆的なものさえ風刺画ということにしてしまえば、アイロニーも可愛がられるものだったのかな……

死に奪われ、死と手を繋いで生きてきたから、
そもそも生死というものに振り回されたくなかったのかな
だから、生死の象徴とも捉えられる教会をモチーフ(ただの物体として→だから無機質?)にしたのかも 邪推かな

あと、容姿が端麗だったからこそ自分の世界では自分を醜く描いて世に出し、真に自分を知ってくれる人を生涯探してたのでは?
鴨居さんに見向きもされず、世俗的ダンディズムは敗北したよね。

窓がひとつもない。
全部の作品に逃げ場の無さを感じる。
息苦しい。




高梁市、凄くいいところだったな
総じて素晴らしい一日だった!

インスピレーションおりてきたし、
美味しいもの食べられたし、

なんかぶどうの絵があった
恐竜の大きなオブジェもあった

岡山のアナログかつクリエイティビティな街並み
結構好きです。


なぜここにぶどう?


2023/06/07 02:34:01

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