「何者でもない僕のこれまで」後編
さてさて、、
随分と日があいてしまいました。。
ディレクターKとの出会い
「100万円出すと言ってくださったY社長の出資の話を断り、
もう一度地に足をつけて修行しよう」
というのが中編の最後の部分でした。
そう決めたのが2018年の春頃。
その頃、「ディレクターK」と飲む機会がありました。
ディレクターKはフリーランスで活躍できる腕を持っているにも関わらず、H制作会社に正社員として所属しているクリエイターです。
自分のため、スキルアップのため、組織を知るため。
ディレクターKの愚直で、奢らない姿勢がとても素敵に見えました。
組織の中でも輝く方法ってあるんだな・・・
制作会社のディレクターは雇用形態は色々あれど、
その人のカラーや価値観に合わせた仕事をやっているという意味では、
一般的にいう会社員とはちょっと違うんだなと思った。
一時は起業することしか考えていませんでしたが、
色々話を聞くうちに、H制作会社に就職することに興味を持ちました。
それまでフリーランスとしてやってきていたとはいえ、
大きな制作会社からすれば、僕の仕事は自主映画レベルでした。
いずれまた独立するとはいえ、一度「大海」を見ておくのは悪いことではない。
縦のつながり、横のつながりを増やし、色んな人と仕事をしてみよう。
後日ディレクターKの紹介で、H制作会社のプロデューサーGとお会いしました。
プロデューサーGと六本木
プロデューサーGとは六本木のゴルフバーでお会いしました。
如何にも業界っぽい。
他にも業界の色んな方がいらっしゃいました。
薄暗い雰囲気の中キャディが作ってくれたハイボールを飲み、
ドライバーのカキーーンという小気味いい音を聴きました。
あまりH制作会社のお話は聞けませんでしたが、夜も更けたころ、
プロデューサーGが
「じゃあ、うちに入るってことでOK?」
と言いました。
半ば勢いで
「はい」
と答えました。
そしてその後3度の面談を通過。
将来は独立したいので、1年くらいでもしかすると辞めるかもしれません、というわがままも受け入れて頂き、僕は生まれて初めて「会社員」になりました。
▲撮影、撮影、そして撮影
就職の二文字
給料制、セキュリティカード、残業申請、業務用のシュレッダー、社内の冷蔵庫にあったビール
全てが新鮮でした。
僕がいた部署はミュージックビデオを中心とした若い部署で、
そのプロデューサーからきた案件の制作業務が中心でした。
会社を紹介してくれたディレクターKも同じ部署でした。
昼夜を問わず働く姿はとても眩しく、尊敬に値しました。
▲徐々に胡散臭さをましていく私
誰もが知る一流ミュージシャンのMVに携わる中で、自分のスキルのなさや、粘り弱さ、責任感のなさを実感しました。
次から次へと来る案件に対し、うまくさばけないことが多く、あれ、自分って貪欲さとか社交性がなかったっけ・・など、結構悩みました。
▲撮影のスタンドイン(カメラロールがロケハン画像だらけ)
何事も納得しないと動けない質で、「やれって言われるからやる」がどうしても納得できなかったり。。
どうしようもなく頑固だった。
でも環境はとても良く、先輩を始め周りの方々はすごい方ばかり。
全てが勉強になりました。
今思えば、入ってよかったと思っています。
▲お菓子のセレクト、そして並べ方の指導
ただ、徐々に何かを蝕まれていった。
前のようにエルギッシュに仕事に取り組むことができなかった。
今思えば甘えだったと思う。
もっと耐えられたかもしれない。
それでもその時は、もう飛び出したくて仕方なかった。
予想通り、1年弱で退社しました。
ギムレットで乾杯
さて、話はギローチェへ。
ギローチェの創業メンバーの一人、宮田。
大学が同じでずっと付き合いがあった。
彼は大学卒業後、大阪で映像制作会社に勤務し、技術を磨いていた。
僕には彼が必要だ!!
僕がH制作会社にいた時から声をかけ続けました。
「起業したら、こんなことやろう、あんなことやろう、自由に働こう!!」
東麻布のバーでギムレットで乾杯した時、彼はギローチェへの転職を決意してくれました。
「じゃあ社名はギムレットやな」と言われましたが、
そこはごめん、ギローチェにしました。
そして創業に合わせて彼は大阪から上京し、ギローチェに入社しました。
▲海外案件大好き宮田のシゴト(TOYOTA 5大陸走破)
会社設立時、大きな支えになったのはH社長でした。
(←横文字大好きビジネスマン)
渋谷区神山町のとあるバーにて、
「制作会社で働いたことで最大限リスクヘッジはできたな、あとはどれだけスケールできるか」
とH社長が葉巻に火を点けながら言った。
そもそもH社長は特にノウハウもないまま人材派遣業で起業し、
わずか3年で社員100名以上を抱えるまでとなったすごい人。
僕がH制作会社にいる時も、
「そんなに修行が必要なの?」
と業界の正攻法に疑問を持つタイプだった。
「300万やな。うち49%はこっちで出す。マジョリティはそっちで持った方が何かと都合がいいやろうから。融資受けるにしても自己資本が過半数あるかは大事やで」
(静岡生まれの関西弁)
▲左:私 右:H社長(胡散臭さ120点)
横文字ばっかりの社長だが、根はドケチ。
↑怒られる
僕は結構散財タイプなので、ドケチな株主についてもらうのは良い戒めになると思ったし、何より僕には経営のノウハウがないので、そこも味方になってくれると思った。
というわけで、僕はH社長のバックアップの元、会社を立ち上げた。
(始まってみると会社の印鑑を作るのに相見積もりを取らせるくらいドケチだった・・・!A社1500円 B社1400円 C社1450円・・・・)
(印鑑ケースも未だに買わせてもらえない)
定款、登記、税務署への届出、ハローワーク・・・
一円で起業できるなんて誰が言ったんだろう。
事務手続きを終え、創業融資を受け、やっと落ち着きました。
宮田たかしの持つパイプのおかげもあり、
お付き合いのある方々に挨拶に周り、
色んなお仕事をさせて頂くチャンスを得ました。
ドケチな株主と僕と僕の生きる道
H制作会社での短い修行はとても生きています。
就職してよかったなと今は思っています。
代理店さんとのお付き合いや、各局のプロデューサー、メディア関連の会社さんからの発注、お知り合いの企業さんからの直接の案件。。
様々な企画にチャレンジさせてもらっています。
「忙しい=嬉しい」
という感覚はやっぱり相応の覚悟がないと味わえない。
そして面倒で地道な作業も、今は一つ一つが愛おしい。
「代表たるもの、隅々までパーフェクトに」
なんてのはまだまだ先だなと思っています。
▲Sunshine City CM
映像制作が主なシゴト。
でも今はちょっと違うことにもチャレンジし始めています。
「私が撮りたかった女優展」という企画展
▲ギローチェ企画「私が撮りたかった女優展」Vol.2開催 2020.2.25-29
素晴らしいフォトグラファーさん5名と今をときめく若手女優5名をお招きし、表参道にて開催した撮り下ろし写真展
「私が撮りたかった女優展」
2020年の2月にお陰様で第2回を開催致しました。
お陰様で大盛況の5日間となりました。
この企画にはとても思い入れがありますので、また別の機会に描いてみたいです。
そして
役者のマネジメントもしてみる?!
▲新井日菜 (Photo By Koichi Kinoshita)
「私が撮りたかった女優展」がきっかけで、
女優・新井日菜さんの所属が決まりました。ギローチェ第1号!
17歳の彼女の今後の活躍を期待してください。
門(もん)
私が撮りたかった女優展も、マネジメントもそうですが、
僕がやりたいのは「門を増やすこと」だと思います。
門って、色々あります。
まず入門、そしてステップアップの為の登竜門、キャリアからの門出。
門は多ければ多いほどいいです。
その門をくぐれない人が多いなら、門が増えればいい。
(もちろん門をくぐるための努力も必要かもしれないけど、
大体みんな努力はしてる)
ひとつでも門が増えて、それぞれが目指すフィールドへ辿り着きやすくなるといいな。
僕もたくさん門が欲しかったから・・じゃあ作る。
「一門」という意味では、ギローチェはひとつ家族みたいにしていきたいという気持ちもあります。
そして、これからも色々考えます。
軸がないって言われても、仕方ない。
助けを借りながら、沢山こしらえたい。
そして今日2020年3月31日、
株式会社ギローチェが始まって1年が経とうとしています。
以上、「何者でもない僕のこれまで」
でした!!
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?