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「私が撮りたかった女優展」ができるまで➋

前回の続きです。
2018年当時、僕は会社員でした。
映像制作会社に入社し、ミュージックビデオを制作する部署のプロダクションマネージャーの仕事をしていました。

そんな中
「社員の企画が採用されてプロジェクトが始まることがある」
という会社の制度を先輩に教えてもらいました。

ペーペーの分際でしたが、部長にその制度について詳細を聞き、僕も企画を作ってみよう!と思いました。


こんなのを作りました。

初めは映画祭をやろうと思った

当時会社に提出した企画の概要

実は初めは写真展をやろうと思ったわけじゃありませんでした。
当時映像部にいたというのもあり、それに関連する企画ということで、

「芸能事務所対抗の映画祭」

を考えました。

1つの映画のキャストを1つの事務所で固めて、若手映画監督で映画を作る。そして一挙に上映。

イメージでは、
事務所対抗なので上映イベントが売込みの場になり、キャスティングにも繋がるようなある意味業界向けの目玉イベントとなればなと思いました。若手の輩出にも一役買ってもらえるイベントになればなーと。

どうですかね笑
今となっては突っ込みどころ満載なのはご容赦ください。

で、これを上司に見せたところ言われたのが

「映画は金にならんからな」

以上!!!

この頃のカメラロールの殆どがロケハンとスタンドインの写真


自力で動き出してみた

全く上司に響かなかったので、じゃあ自分でやろうと思っていくつかの芸能事務所に打診しました。映画館の使用料を調べたり、監督さんにも意見を聞きました。結構興味は持ってもらえた記憶はあります。

今思っても、ちょっと面白そう、って思います。

ただ、映像って短編でも数百万円〜の予算が動くので、当時の自分のプロデュースとしてはスケール感が大きすぎると思いました。

そこで思ったのが、

映像ではなく写真でこういう企画はできないか?

ということでした。
この時点で映像とは関係のない企画になりそうだったので、会社と絡んで生み出すのではなく、自分のみでやろうと思いました。


つまり、ある意味妥協案のような形で写真に関する企画をやろうと思ったんです。お金もそんなにかからないし、大丈夫かな〜と思って。

しかも写真は写真で大好きなので、方向転換した後は写真展に関する企画が色々浮かびました。どうせやるなら今までにない切り口がいいという気持ちが大前提でした。例えば、

  • 脚本家さんを入れて、脚本に沿ったスチールを撮る企画

  • 各都道府県で撮る企画

  • 夢に出てきたことをモチーフにする企画

とかとか。。

➊でも語ったように、「誰かの夢を叶える」みたいな方向性はずっとあった気がします。じゃないと楽しくないし、成立もしない気がしました。

結局は色々考えたものを削ぎ落としてシンプルにしていった気がします。
そして最終的に行き着いたのが、

「ずっと撮りたかった人を撮れる企画」です。

すごくシンプルでいいな、と思いました。
夢があるというか、ちょっとエモい感じ。


でも、シンプルなだけではありません。
被写体を「女優」に絞ったのはちょっとした拘りでした。

女優でも花でも魚でもいいんですけど、
そこは絞った方が面白いと思いました。

パブリックな感じと、専門性はどっちも大事な要素
な気がします。

いいイベントとか企画はその両方がある、と思う。

特に閃いた!とかこれで行こう!!みたいな胸の高鳴りはなかったです。
一人で自由にやっていたし、その時点では責任も伴っていなかったので。
やっぱり違う、と思ったら方向転換すればいいと思ってました。

当時の仕事。控室のお菓子の準備。

続けることだけは誰でもできる

「この企画は爆発的な人気になるだろう」
そんなことは1ミリも思ってませんでした。
そんな才能がないのはわかっていたし、バズる要素はどこにもなかった。


代わりに決めていたこと。
それは「4回は続けよう」ということです。

石の上にも僕的には4年笑

まずは「女優」に絞って4回。そこで見えてきたものとか周りの期待とか反省を生かして、広げる。そうすれば沢山の方に知ってもらえるのではと予想しました。

逆に言えばどんなに流行らなくても4回くらいは続けてみよう、ということです。

バズる企画は才能が必要でも、続けることに才能は要らないです。

人にめっちゃ聞く

このフェーズで大事にしていることがあります。
それは「人の意見を聞くこと」です。

相談したらパクられるという人もいますが、すぐにパクれる企画なんてそうそうないし、誰も労力を使って僕の企画なんかパクらないでしょう。

とにかく同業もそうでない人も含め、人に話まくる。
一人で考えない。

尊敬する谷尻誠さんもその後の著書で同じことを書かれていて、「よかった同じだ!」と思いました。

当時の会社の仕事のロケハン写真


ヨシノハナに会う

さていよいよこの企画をフォトグラファーに聞いてもらおう!
すぐに思いついたのがその時飛ぶ鳥を落とす勢いで売れて行っていたヨシノハナさん。彼女の写真がすごく好きだったし、若い勢いがこの企画に必要だと思った。

インスタグラムのDMでアポを取り、原宿のカフェで待ち合わせた。
彼女に企画を説明し、最終的に彼女の口から出たのは、、

「唐田えりかさんを撮れるならやりたいです」

!!!

なかなか攻めてきたな!
よーし、任せろ!!!!


仕事納めの年末にフラームへ

幸い唐田さんの所属する事務所フラームにお知り合いのマネージャーさんがいたのでお電話し、唐田さんのマネージャーさんを紹介してもらった。

そしてとりあえず話を聞いてもらえることになった。

2018年12月28日、その日フラームさんは忘年会だったらしいですが
その前に時間を頂き夕方にオフィスにお邪魔しました。

その日の日中は会社の仕事でMVの撮影でした

僕の拙い説明や企画を聞いて頂き、

結局その場でOKを頂けた。
今思えば本当にすごい..。
というかありがたすぎる。

現在僕は曲がりなりにもギローチェマネジメントというマネジメント部門の事業も行っているのですが、その立場で考えてもよくOKしてもらえたなと。

実績なし、どこの誰かもよく分からない、一人でやっている、20代半ば、
何より他の女優さんは未定。どんな場所でどんなテイストで企画が始まるかもよく分かっていない。そんな状況で良くOKを頂けたな…今でも本当に感謝しています。

後から知ったのですが、当時のマネージャーさんは唐田さんにフィルム写真の魅力を伝えた写真大好きな方。話題の「マネさんカメラ」もそのマネージャーさんが始めたと聞いています。

今思えばそれが大きかったのかもしれない。

分かりませんが。


フラームを出て、まずヨシノハナに電話しました!!


「やったぞ!!OKもらえたぞ!!」

という予定でした。
しかし彼女は電話に出ませんでした。
年末に突然のお電話、失礼しました。


冷静にラインで結果を報告し、ラインで万歳。
そのまま年を越しました。


また書きます。



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