NY自宅隔離日記13:NY脱出72時間前
世界各地と同様に、コロナウイルスが猛威を奮うニューヨーク。
3/1に最初の陽性反応者が出てから1ヶ月が経ちました。
外出禁止令が全米へと広がり、ニューヨーク州はいまや単体で中国の感染者数を凌ぎ、医療崩壊が起きようとしています。
パニックになる人、楽観する人、呆然と流される人、周りには色んな人がいましたが、ここまで事態が急展開するとは思ってもみなかったという人が、私を含めて大半を占めていると感じます。
その中で自分は「あ、これは書かなくちゃ」と思えたので毎日少しずつ書いてみます。
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壮行会
私の家の近所に住んでいる先輩夫妻は私より3日早く帰るので、お互いの家の食材消費も兼ねて小さな壮行会を行った。
ニューヨークも日に日にあったかくなり、セントラルパークや街中には桜などの花が満開になりつつあったが、その日は冬の寒さが戻る夜だった。
日本に帰れることが嬉しいと思いながら、本当に飛行機が飛ぶかどうかまだ不安で、隔離中にどんなことが起こるかもわからない。
帰国者への差別についてもSNSで見聞きするようになっていた。
たまたまお互い実家が田舎で自営業をしているので、安易に実家に帰ると風評被害があるかもしれない懸念もあり、家族に会えるのは最低でも2週間の隔離が終わった後、もう少し先の話だ。
私は夫の家に身を寄せることになっていたが、夫は私が万が一無症状感染者であったらということを懸念して一週間自宅待機、リモートワークをすることになっていた。
彼は私に何も言わなかったけれど、会社や周囲からプレッシャーがあったのかもしれない。
いつになったらニューヨークに戻ってこれるだろうか、なんて話をしながらお酒を飲む。
帰ってきたら、ロングアイランドのワイナリーに行こう。アップステート(NY州の北側)にハイキングにいこう。延期になっていた、ゲームナイトをしよう。
隔離中は今までやってなかったことがしたい。懐かしい音楽やゲーム、手をつけてなかった趣味をやろう。また連絡取り合おうね。
できるだけ楽しい話題を心がけようとしていた。戦時中の疎開前にもこのような会はあったと聞くが、きっとこんな感じだったのかもしれない、とぽつんと思った。
その時、自分のフライトをもう一度チェックしようと思ったのは虫の知らせだったのかもしれない。
いつもは検索欄にフライト番号を入れるだけで自動的に直近の運行予定がポップアップされるのだが、その日は表示がされなかった。
お酒が進んでほろ酔いだったが、自分のフライトを予約をしたJALではなく、実際に運行するアメリカン航空のサイトで確認してみたこともラッキーだった。
「先輩、明後日の私のフライトがキャンセルされてます」
そこからはパニックだった。
JAL以外のサイトでは私が乗るはずのニューヨーク→ロサンゼルス便がキャンセルと表示されている。
おそらく利用客が少なく、ニューヨークからの移動を制限する動きもあったため、減便対象になったようだ。
時間はすでに深夜でJALのサービスセンターにも繋がらない。
予期していた不安が的中した。
その日は何ももうできないので、家に帰っておとなしく寝たが、さすがの私でも寝付くのに時間がかかった。
翌朝、JALのコールセンターが開くのは8時だが、5分前から定期的に電話をいれる。
8時ちょうどにコールをかけたが、やはり繋がらない。
あの自動音声の案内は世界で一番嫌いな物の一つだ。すごくイライラしてしまう。
電話をかけ直しても繋がらないことはわかっている。
順番がとりやすいかもしれない、とわざわざ英語案内を選び、電話を繋ぎっぱなしにしながら仕事をした。
iPhoneのスピーカーから定期的に回線が混み合っていて繋げないこと、かけ直しを進める案内が流れてくる。
不安とイライラを落ち着けるためにコーヒーをがぶ飲みしながら待つ、待つ、待つ。
繋ぎっぱなしにして1時間。
電話代がいくらになったかわからないが、もう後には引けない。
そんな中で、コールが繋がる音がした。
「私のフライトがキャンセルになっているようなのですが、御社サイトから連絡がないのです。どうなっていますか?」
「確認しますので、予約番号と名前、生年月日をどうぞ」
早朝から対応してくれた女性オペレーターは感じの良い声だったが、私はすでに電話を1時間かけっぱなしにしたことでかなり焦っている。
「予約がキャンセルされたことは確認できません」
オペレーターからの朗らかな返答にキレそうになりながら、私はアメリカンのサイトで確認したからもう一度チェックしてほしいと伝える。
「申し訳ございません。やはりキャンセルになっていました。変更が更新されていなかったようです」
私が買った時には座席指定ができず、おかしいなと思っていたので、その頃にはキャンセルが決まっていた可能性が高い。
しかし、お互いのシステムに情報が反映されないまま、チケットの販売を続けてしまったらしいとのこと。
当日の朝、いつどの便が急にキャンセルになるかわからないので、私は前日の便でロサンゼルスにいくことを決意した。
すぐさま前日便を確認してもらい、変更手数料はなしで前日夕方の便への変更対応をしてもらえた。
このやりとりでさらに30分はかかっている。
コールセンターが繋がらないのは一人当たりに費やす時間が長いからだということがよくわかる。
だが、こんな状況下で、出社して電話をとってくれただけありがたい。
イレギュラーな事態なのでいくらイライラしてもオペレーターの彼女を責めることは筋違いだ。
多少鼻息荒く、食い気味に話してしまったかもしれないが、この手のトラブルは一人旅でもよくあることであり、予測していたのでスムーズに対処できた自分を盛大に褒めたい。
最後までハラハラしながらパッキングを済まし、家の食材を最後まで食べ切ろうと頑張る。
未開封のものや冷凍できるものは冷蔵庫に置いてきた。
食べるのを楽しみにしていた近所の肉屋さんのパテが6月末までの賞味期限であることを確認して、私はその頃までにニューヨークに帰ってこれることをもう一度祈った。
<明日の14に続く>
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