NY自宅隔離日記11:海外で働くということ

世界各地と同様に、コロナウイルスが猛威を奮うニューヨーク。

3/1に最初の陽性反応者が出てから1ヶ月が経ちました。

外出禁止令が全米へと広がり、ニューヨークはパンデミックの中心といわれるまでになりました。

パニックになる人、楽観する人、呆然と流される人、周りには色んな人がいましたが、ここまで事態が急展開するとは思ってもみなかったという人が、私を含めて大半を占めていると感じます。

その中で自分は「あ、これは書かなくちゃ」と思えたので毎日少しずつ書いてみます。

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日本へ帰れないかもしれない

欧州などの感染が早くに拡大した国に渡航中止勧告(レベル3)が出て、14日間の指定施設での隔離などを含めた入国制限が始まることとなった。

欧州支社の人の中には家族を帰し、駐在員自身でも時期を見て帰る準備を始める人がいた。

この頃になると、自分が無症状感染者の可能性や今後コロナにかかる可能性自体が一番の恐怖ではなかった。

言語が不自由な国で入院手続きやロックダウン時の情報をタイムリーに受けられないかもしれないこと。

治安の悪化による暴動、ヘイトクライムに遭った時、どのように対応するのか、外国人に対して平等に対応してもらえるのか不透明なこと。

万が一自分に何か遭った時、家族がそれを知るのは大分後になること。

もし死んだら、遺体は家族の了承もとらずにその場で火葬され、遺灰が届くのは大分後になること。

自分だけの問題ではなく、家族のことも考えなければならないことが増えた。


私自身、海外で働くことは長年の夢であったし、その夢を叶えるために犠牲は必要だと認識していた。

ただ、今回のコロナ騒動や戦争などの非常事態まで考えて、全て飲み込んで、納得していたわけではなかったのだと思い知った。

永住する人にはそういう覚悟をしている人もいるかもしれないが、少なくとも私はそうではなかった。

甘いと言われれば、そうだろう。私も今はそう思う。あっという間に変わっていく事態をいざ目の前にすると、私は呆然とするしかなかった。

日本にいる家族が口には出さないものの、心配していることはひしひしと伝わったし、誰かに精神的負担を転嫁してまで私は自分のワガママを通していいのか悩む夜が続いた。

また、コロナ関連のニュースを見ていると、海外から日本へ帰ってくる人たちに対して厳しいコメントが並んでいることも辛かった。

「こんな時だけ帰ってくるな」

「一切の入国を禁止しろ」

「自分のエゴで他人を危険に晒すのか。無責任」

特にメディアでは帰国者の感染者を連日取り上げていた。

私も日本でずっと過ごしていたら、「自己責任。その人が選んだことでしょう」なんて、思ってしまったかもしれない。

できれば、誰にも迷惑かけたくない。心配もかけたくない。

ニューヨークの自宅から出なければ、自分はきっと安心だろうと思っている。

ただ、家族が感染して万が一の時に私はニューヨークから出られなくなっているかもしれない。

アメリカでも、ドイツでも、日本でも、もう水際対策のフェーズではないから、どこにいても市中感染のリスクはある状態だ。

その中でも、かかってしまった感染者が悪いのだろうか。

海外で働くなんて普通と違うことをしたから悪いのだろうか。


働き方に対する考え方改革

ニューヨークで実施したオンライン飲み会の中でも、この件に関する意見はかなり分かれた。

何が正解かなんてわからない。その人によって大切にしているものは違うし、事情もあるだろう。

私もアラサーになって人生観や働くことへの考え方が随分変わったと感じる。

今の私にとって人生で優先するべきものは、お金でも自己実現でもなく、家族だった。

仕事は人生を豊かにする手段であって、目的ではない。


会社という組織は、全個人の事情を汲むことは難しい。

待っていてもおそらくいい対応は得られないのは理解できる。自分で行動して勝ち取るしかない。

もしかしたら駐在の任を解かれるかもしれないと今回は強く覚悟を決め、私は帰国する準備に入ることにした。

<明日の12に続く>




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