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ロールモデルは必要か

今日は結論から真っ先に。

ロールモデルはきっといた方がいいが、単に模倣するのはあまり意味がない。

また、自分が目指す方向にぴったりな人がいないなら、そのロールモデルに自分がなるためにどうするのかを考えればいいと思う。


尊敬することと、その人を真似ることは、私の中で明確に区別されている。

尊敬する先生、先輩、友人などの身近な存在から、メディアで取り上げられている「世界を変える30人」や「注目の若手」まで、素晴らしい人柄、アイデア、視点、手法を持っているなとは思っていても、彼や彼女のように生きたいと思うことは少ない。

私にとって尊敬する人や憧れる人は、私が絶対にできないだろうことを軽々とやってのける、遠く遠く先を行く人たちのことで。

ある種、神様のような存在を指すのだろう。

仏を崇めることはできても仏の生き方をなぞれないように、私はロールモデルを尊敬し、具体的な技術は真似られるが、生き方の模倣はできない。

そもそも別の人間で、バックグラウンドが違うのだから。


働く女性のロールモデル不在問題は、私の働く組織でもよく取り上げられている。

「女性管理職がいないから、女性のキャリアがイメージしづらい」なんて話がよく出てくるが、男性は自分の上司やマネージャーの男性をみて、「今後こう生きていくんだな」と納得しているのだろうか。

会社の中にそこまでキラキラ働いている男性がいたら、女性社員もきっとその人をロールモデルにするのでは…。

ここから考えると、ロールモデルは模倣というよりは、自分の常識を壊す人であり、生き方のサンプルみたいな意味が含まれていることがうかがえる。

正解のない人生に、「正解らしきもの」を示してくれる存在がロールモデルとなるのだろう。

群れで生きる羊のように、人と違う選択をすることが怖いのであれば、ロールモデルは新しいオプションを提示してくれるので、非常に有効かもしれない。

逆に、常識にとらわれず、一匹狼のように行動しているのであれば、そもそもロールモデルがいなくても生きていけるので、悩む必要もない。

私自身、時に群れの羊、時に一匹狼と、二つの性質が行ったり来たりするので、特定のロールモデルにこだわることをやめた。

しかし、冒頭で述べたように、誰かにとってのロールモデルになれるように、悪いサンプルにはならないように、生きていきたいと心がけている。





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熟女見習い
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