5月(さつき)に感じる祖父の愛
「おじいちゃんのようになるには、まだまだだな。」
百貨店の催し物の帰りたまたま通りがかった5月人形の売り場で僕は言った。
母方のおじいちゃんは一緒に住んでなかったし小学六年生の頃亡くなったけど、お母さんから幼い頃からいろいろしてくれたと聞かされているし、いろんな思い出がある。
僕が生まれて間もない頃、母が実家に帰って冷蔵庫の中を見てたら「よし、買い物行くか」とおじいちゃんが声をかけた。母は食料品買いに行くのだろうと思いついていくと、おじいちゃんはいつも行く近所のスーパーと違う方向に歩きだした。
とりあえず、ついていくと、近所で大きなおもちゃ屋さんに入って、五月人形売り場真っ先に向かい、お母さんに「好きなの選べ!」と言った。呆気に取られた母を見かねて「子供は男の子だろ?好きなの買ってやる!まずは弓だな。」って言ってそそくさと歩き、母も選ぶ事にした。
田舎のおもちゃ売り場とはいえ種類はいろいろあった。母が「これにする!」っておじいちゃんに伝えると「そんなのでいいのか?こっちでもいいんだぞ!」と指さした先に確かに母の選んだ物より豪華でオルゴールもついた物があった。「確かに凄いけど家が狭いから入らない」って伝えるとおじいちゃんも納得して、それを買った。
それ以外にも兜が上にあって、いろんな飾りが雛壇ようにある5月人形を買って店を後にした。
それを母から聞かされた時はおじいちゃんに凄い尊敬をした。おじいちゃんの家に行った時も一緒に遊んでくれたり、元あんまん師だった事もあり僕の家に泊まりに来た時は近所の人に無償でマッサージしてあげてたりと今でも尊敬する所沢山ある。
そして今5月人形売り場に来て値段見てビックリした。兜だけが入って物でも5万〜10万位する物が多くあった。
成長に連れていつの間にか見なくなったけど、実家にあったのは4、5段位あって一番上の真ん中に兜があったのは今でも覚えている。横には張子でできた妙にリアルな虎も!僕が初めて見た時は、怖がって逃げていたらしい。慣れてきたら頭叩いて遊んでいたらしいし、それなら覚えている。
あれから、もう30年位経っているから、時代が違うと言ってしまえばそれまでだけど、ここにあるので5万〜10万するとしたら実家にある5月人形はいくらしたんだろー?
決して裕福って訳でもないのに僕の成長を願って買ってくれた。
そして今大人になって自分で働いて生活できるようになったが、ここにある5月人形でさえ「好きなの選べ!」と子供がもし居たとしても言えない。
おじいちゃんの孫に対する愛と足元にも及ばない今の僕を感じ、あの世で会ったらおじいちゃんに胸張れる生き方をまだまだしないと行けないなと感じながら、5月人形売り場を後にした。
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